親父に必要な物を聞き、
病院まで持って行くと
ナースステーションの前の個室
に親父の病室があった
担当医より話しがあると言われ
説明を聞く
何だかもうボロボロで
退院後も、自立した生活はムリと言う
ある程度うちの家庭の事情も知ってるようで
僕に、電話番号を聞いてもいいですか?
と聞いてくる
今後はヘルパー等の力を借りて生きる
事になるそうだ
そうなった時
果たしてあの男が生きているかどうか
その日はバタバタと過ぎ
その日から主の居ない実家で家族で
暮らす事に成った
離れに、前のブログでも出て来た叔父が
居るだけである
こちらに呼び、焼酎を与え
こちらも歳を取った叔父と飲んでいた
まともに会話が出来る人じゃないから
大変だったけど、害は特に無い
翌日、大量の打ち上げ花火を買い
浜で盛大に打ち上げた
親父の病室の窓からも見えたらしい
子供達のはしゃぎ様は凄かった♪
母親や妹とも会い
ケンカに成らないように
細心の注意と忍耐を払い
そして、墓参りにも行った
そして
無事に1週間が過ぎた
夜 7時に出発
病院へ行くと
親父が玄関まで出て来ていた
子供達が書いた手紙を渡していた
僕と簡単な会話を交わし
本当はもっと言いたい事も沢山
あったんだろうけど
親父との最後の別れは
浜で打ち上げた花火のように
親父の人生や、僕と親父との事を
あの花火に重ね合わせて見上げたあの夜は
僕にとって今後どういう物に成るのかわからない
けど、
僕と子供達は
あの花火のような親子にならないように
そう誓った夜だった
ではまた 次回の講釈にて