こんばんは 雨ばかりの日々に 台風がやってきていますね。

夏もぬけてきたこの時期 ツナデはすでに 下降期に入っています。
毎日 季節性のうつが 本格的になった時のことを思い 苦しいです。何度もブログを書いては
消してしまっていました。

今日は 冬ごろの私宛に そして少しでも 皆様のお役に立てばと思い書いています。

自分の価値 これについて 考えたことがないという方は 少ないと思います。
ただ 心の風邪の時は 毎日 常にそれを考えてしまうものです。

今の私は まだまだ大丈夫と言える状態ですが 冬には もう死にたいと思っているでしょう
毎年 毎年 冬が来るたびに 死にたいと思い 自分の存在価値なんて 無だと思います。
それでも また春が来る頃 私は 前向きになれるのですが やはり その時期を耐え忍ぶ事は安易ではないし それが一生続くのかもしれない事に 疲れてしまいます。

ですが 今の私というか 根本では こう思います

自分の価値は 自分が決める事ではない
もし価値を考えるなら 価値のある人間であるよう努力する事

存在価値なんて 自分が決められる事ではないと思います 実際 私は ダイアモンドより価値のある人間だと 胸を張って言える人は 少ないのでは?

自分では 心の風邪で 周囲から 怠け病と言われ 苦しい中で 何もしてないのに
お腹が空いて ご飯を食べて 眠る事が それに値しないのに と思ったりすると思います

憤りさえ感じるでしょう。

実際 私が そうですから 私が死んでも いいじゃないか むしろいない方が周りのためだ
そう思うのが 冬です

この時 どんなに誰かに そんな事はないよ 十分価値のある人だよと 言われても
聞こえないのです。

友人が そういった感じで悩みを 打ち明けてくれて それに対して そんなことない!!
そう言ってるのに いっこうに友人が受け入れてくれない という方もいるのでは?

そういったとき 心の風邪は 悪さをするので もう誰の声も聞こえないのです
それでも 生きているから もがくし足掻く それだけで 精一杯で 何も耳には入らないのですよね

もし 友人が その状態なら どうか放り出さず 毎日 そんなことはないよ と言い続けてあげて欲しいです。
それは ストレスの溜まることだとは 思います だけど いつかは友人も わかるときがきます

永遠に続くことなど 多分 何一つとしてないでしょう。

自分が 価値のある人間で 居たければ 自分にできることは 進んでやること
諦めないこと その姿勢は 必ず 見ていてくれる人がいます。

どんなに孤独であろうと ひとりぼっちであろうと 生きる

生き急ぐことは無いのです 悪いことが続くかもしれない どん底に落ちたのに これでもかと
追い討ちをかけられるかもしれない
それが どんなことか 私は 知っています。

だけど 本当は 不幸は 自分が作り出しているんですよね。
環境じゃ無いんです。 以前にも書いてきましたが 環境は どうにでもなります
それが不幸な環境なのに 自分は不幸だと言いながら そこに居続けているのは 自分なのです

環境が変われば 抜け出せるなら 自分から不幸な環境から 出ていけばいいのです
それは 簡単では無い 例えば10代前半の 若い子たちが 今ある環境から 抜けるのは難しい
でも 抜けられる日は 来ます その日まで 準備をしなくては。

生きる術を 身につけなくては

厳しいことを言うようですが 何かのせいにして 嘆いているだけなら それは本当に永遠に続いてしまうのかもしれません。

私も 時々思います 親のせいにして こんな風に生きなければら無いのは全部 親のせいだって
そういってしまえば 楽かもしれない・・・

でも 本当は 楽では無い事を知っているから そんなことは 言わない
人のせいにして 誰かを恨み憎み 生きることは 残念なことです。

運命とは 決まったことでは無い これは持論ですが
命を運ぶのは 自分なんだから・・・・・

裕福な家庭で 何一つ苦労したことの無い人が 幸せだと 思うなら やはり違うのかな?って思います

だって きっとその人は ある日社会に出て 打ちのめされるでしょう
でも そんなことで 誰も慰めてなどくれない

苦労は買ってでもしろ とは いい言葉だと思います。
失敗し 学び 泣いて もがいて足掻いて 人は強くなり 苦労した分 それを糧に生きていける

そう思います。

どうか 自分の価値を 考えるより
価値のある人間で居られるよう 何をすればいいのかを 考えてみてください。

特別なことなどしなくていい もしかしたら 誰かの何気ない笑顔に 安堵する人もいるのかもしれない

そんな風に 自分からしたら何の意味もないことが 誰かの何かになっていることを
忘れないでください。