こんにちは 久方ぶりの更新です。
少々 身体的にも 精神的にも 参っていました。

今 死にたい 消えたい と切実に思う方が 多いですよね それが何故なのか考えてみました

事実 今の世の中は 生きるには厳しい イジメにせよ その手口にせよ 親の愛情にしろ
情報はネットから それが真実なのか否かよりも 面白いこうだったらいいのに そういう風に
真実はねじ曲がり そのお陰で イジメを受け 親からの愛情を信じられなくなり

すごく 辛い世の中だなと思いました。


さて それでも 死にたい という切実な思いは いつの時代も同じです

人は 人から必要とされる事に 価値を見出し 愛される事で自信をつけています

けれど それが全てではないはずです。

死にたい 理由は様々でしょう・・・私だって この病に疲れ果て 時に死にたいと思います

でも 死のうとはしない

昔は 死ぬ事ばかり 左腕は見る影もないほどの 無数の傷 太ももにはカッターを刺した傷
この傷は 消えないものになりましたが 痛みは消えました

心の傷は 消えたように見えて 残り続ける そして痛み続けるものです。

なぜ痛むのでしょうか?
それは その事を 乗り越えていないからです。痛いまま傷ついたまま 自分は傷ついたと
それでは 傷は痛むばかりです

腕を切ったら 縫合しますよね?
心が傷ついても 縫合しなくては その方法を 自分で探るのです。

どうしたら この傷は癒えるだろう?
願っても祈っても叶わない という方がいます

それは 当然です。願って祈って 叶うのなら 人は 心の風邪など ひかないし 幸せすら感じないでしょう。

自分が望むもの それが 幸せ そしてその幸せが何なのか 例えば 一人でもいい 自分を理解してくれる人がいたら 幸せだと思うとします

そうなれば もう手当たり次第 わかってくれる人を探す

願いや祈りではなく 自分が動かなければ 自分の状況は何一つとして変わらないでしょう
痛む心の傷 これを癒す術を 探す 探し続けること

私は それこそ 生きる意味だと思います。
そこに 自分は こういう人間で在りたい という目標ができれば なおいいですね

以前も 書きましたが 医師や薬は サポーターです
病院に行き 話 出された薬を飲む これを繰り返すだけでは 何も変わらないでしょう

まず 自分が 先頭に立って 自分を引きずってでも 行動を起こす
その結果が悪くても 今まで 黙って祈るだけだった 人間が 動いた これは 物凄いことです

時に こういう事を言う私に対し
私は あなたみたいに強くない と言われる事があります。

人は みな 弱く 強いのですよ。

ここで履き違えてはいけない事は 精神的にも肉体的にも限界がきているのならば
休む事です。
怠けてるだの なんだのと 怒鳴られても 罵声を浴びせられても 耳を塞いでください

人は 休むから 動けるんです 動くためには休まなくてはならない。

死にたい その気持ちを 持ちつつも 自分から 自分の世界を彩る人達なかで
動いてみてください。

以前も言いましたね。
死ぬ事はたやすいが 生きる事は困難で勇気のいる事だと

モノクロの世界で 何が光なのかさえも分からず 何も聞こえない時もある
そこで 彷徨い続けるのは そのモノクロの世界から 抜け出す為に 動かないからです


厳しい言い方かもしれないです。

でも 思いませんか?
自分が 動かないのに 自分の周りや 自分の世界が変わるなんて 怖くないですか?
いつの間にか 人生バラ色?

運命 この言葉は 命を運ぶと書きますね。
よく これが運命か!なんて言いますが 私は違うと思います

命を運ぶのは 自分です 己の人生を 己の望むように運ぶ その船頭はあなた自身なのだと。

私が 一つ自慢できる事があるとしたら
死にたい 消えたい そう思い 実行し けれど 私は 自分の人生を 自分の力で 無理やりにも変えた事
そこには たくさんの人の手助けがありましたが・・・・・

不思議なものです それまで一人ぼっちだったのに 生きる為に必死の動き続けると
手を貸してくれる人が現れる。

冒頭で 生きるには辛い世の中だなと 言いましたが この世の中には たくさんの人がいます
助けてくれる人も 邪魔する人もいます

けれど 捨てたもんじゃない。

なんで 私は このブログを書いているか それは 余りに多くの方が 苦しんでいるから
ネットというもので 目に止まれば 何かが変わるかもしれない
自己満足であり 本心から 一人でもいいから 死ぬ事を 思いとどまって欲しいからです。

今日は 厳しい事を書きましたが 事実です。