こんばんは 今日は 大きな地震がありましたね。

とても怖かったですね。いつか ツナデの住む神奈川にも大地震が来ると言われていますね
正直 逃げ出したい気持ちも 大きいです でも日本は 地震の国ですし 私は 日本が好きなので
深く考える事は 極力避けています 明日かもしれないと 怯えながらでは 生活ができないし
けれど 地震がある度に 東北で起きた地震のニュースの映像が 頭の中に渦巻きます。

東北の方々は きっと 私の想像をはるかに超える 色んな感情であったり 恐怖を感じている事と思います。それでも 立ち上がり前に進もうとする姿に 私は 言葉にできないような 素晴らしさを感じます。


さて…今日のテーマ なぜ自分が鬱になったの?

このような質問を 受けたのです。正直 それに関しては 分からないとしかお答えできません。

けれど 心の風邪を ひいた方の中には その疑問にぶつかる事は 多いのではないかな?と考えていました。

いつもなら実体験を元に お話 するのですが 私は 自分が鬱になった事を疑問に思わなかったので
ただ、受け入れる事が難しかった けれど 鬱だと言われた時に なんで?とは思わなかったのです

だから 考えました。
鬱になる理由 セロトニンがどうとか 言うつもりはありません

在り来たりな言葉ですが 自分が気づかないうちに 心が疲労困憊して 休ませて欲しい という事かなと思います。

心の中に コップがあります コップの大きさは 人それぞれです
けれど 同じものが一つあります これが時間です 唯一 平等に与えられているのが時間だと思うのです。

このコップの中に 時間という水が注がれていきます コップには 色んな時間が注がれていきます
辛い事 悲しい事 絶望や失望 そして 幸せな事や嬉しい事
そうして コップには どんどん水が注がれて行くけれど コップにはおさまりきらなくなってきます

特に 辛い事などですね これは コップの水が溢れてきても そんな事 御構いなしに注がれていきます
ある時 コップから 水がバーっと溢れたと考えてみると…心の中で 色んな時間が ゴチャゴチャに
散らばると思います

それが 鬱の状態と こんな表現にしてみました。
きっと 整理していける水は 自らが コップから流していくのだと思います。
でも 理解できない事や 辛い悲しい事は 整理できず コップの中を埋めてしまう。

その水が 心の中で溢れたら 自分では何が起こっているか 分からない状況になると思います。

もちろん ツナデにもコップが あります それは 色々な事の中で 少しづつ 大きなコップになっています。

溢れ出した感情は コレが辛い ってハッキリとはせず 何だか怖い 何だか不安でたまらない
もう自分なんて消えたらいいんだ というようになる。
これは ツナデも体験してきたし 今でも ある事です。 消えたいとか 不安でたまらない事。


私自身 すごく困る事があるんです
どうにもできない 恐怖や不安に 襲われると それを人にぶつけてしまったり 自分にぶつけていたぶる事をしないように 必死に努力します

その時の ツナデは 私に話しかけないでというオーラを 思いっきり出しているそうです。

主人には 本当に申し訳ないと思っています、主人は自分が何かしたから ツナデは怒っているのでは?と思ってしまいます。そうなる事を 分かっていても 平静を保つ事で一杯一杯なのです

主人が 具合悪いの?と聞きます これが困るんです

うん と言えば どういう風に?となって けれど心の風邪の困ったところは この漠然とした感情を人に伝える事が難しいから 熱があるとか 頭が痛いとか 言えば それなら横になるとか薬を飲みなよ
ってなるけど 漠然としているから 何も言えないし 安定剤が その漠然を消してくれるわけではない

ただ 嵐が去るのを 耐えて 待つしかないんですよね。

鬱になった 事をどうしてか 考えるのだとしたら コップの中から溢れて 散らばった感情を
できるところからでいいから 拾い上げてみてはどうでしょうか?

一つ拾い上げたら これは 何なのか?何故 こんなに悲しい事が起きたのか?
それが 自分が悪いからなのか ではなく それに対して また同じ事が起きた時どうするべきか 考えてみる。

そうやって 出来るとこから 分かりそうなところから 拾い上げて 整理する この作業を
していくと 心の中が だんだん軽くなると思います

誰かのせいにしたり 自分のせいにするのではなく 自分はどう思うのか 次に起きたら
どんな風に対処しようか。

心理士と 行うと スムーズにとは行きませんが 一人ではないから 混乱した時に 助けてもらえます

十数年 同じ心理士と 行ってきたのが こような作業です。
しかし 一時的に心理士が 離れなればならいない時期があり それでも 自分と向き合う事をつ付けるに当たって 役に立ったのが ノートです
拾い上げた 感情を書き出して その時と 今と これからを書いていく
混乱したら それを読み返す。


私は 日記という形で 今も続けています。
このブログも 毎回 書く前に読み返しています。 なので もしかしたら 考え方が変わったり
こうすれば もっと良いのかもと 思ったら どんどん訂正していきたいと思います。

読んでくださってる方に 明確な 回答ができないのが 申し訳ないと思うのですが
鬱になった 事よりも 散らばった時間を 感情を 考えてみるのが 良いかもしれないと
私なりに考えました。

一つ言えるのは 一つ 整理がつくと それが元になり 他の事も 整理しやすくなるんです。

一つの事を 一年かけても 良いと思います どうしても整理が付かなければ 一旦 それは元に戻して
できそうな事を 見つけてみてはどうでしょうか?

そうしている内に 自分のコップも成長して行きます
だんだん 必要ないものは 自分で流すことが出来るようになります

必要ない というのは 人から押し付けられる余分な感情だと思います。

ここで 自分も 出来る限り 人に自分の正義を 押し付けることをしないようにするといいと思います

押し付けられて 無理やり 飲み込む必要はないと思っています
自分が 納得できるなら 飲み込むなんてこともなく すんなりと 収まってくれますし

こうして 私が書くことに 納得いかないと思う方も たくさん居ると思います

私が 正解ではないから 私が こう生きているだけであること そしてツナデも 成長し続けるので
時には あの時 なんてことを書いたのだろうと 思う時が来たら その時は ちゃんと あやまります

では 今日はここまでにします