まだ3回目ですが そろそろ本題に触れましょう

私が 精神科に行くように言われたのは 17歳の時でした 16歳の頃から内科にかかっていました

その理由は 主に 動悸や時々 息を吸うのも吐くのも苦しい という状態になったり
真冬に急に汗をダラダラ流したり 真夏に急激な寒さを感じる 微熱や頭痛がある

風邪…そう思い 内科に行きました 血液検査はするけれど 風邪なら上がるはずの白血球の数値には
問題がない。

1年の間に数回 その様な症状に耐え切れず 内科に行った結果 先生が ついに精神科への紹介状を書き私に差し出しました。

正直 驚きました 当時の私は 精神科って おかしい人や心の弱い人の行く場所という認識しかなかったのです この表現に気を悪くされた方 本当に申し訳ありません 説明していきますので 最後までお付き合いください

そして 嫌だと思いつつ 一度だけ精神科に行きました うつ 自律神経失調症と言われました
処方もされましたが 私は薬を飲むことなく 精神科への通院もしませんでした

受け入れられなかったんです 私は弱くない その思いが どうしても心の風邪を受け入れられなかった。

しかし 16歳になった時から 始めたアルバイトに支障が出ていました
私は訳あって 17歳と少しの時 家を出ました これについては いずれお話ししますね

アルバイトで稼いだお金は まず家に2万円を渡す 高校へ通うための定期代と昼の食事代
正直 足りませんでした 学校が終わり夕方から閉店までの数時間を週に5日していましたが

足りないのです でも家には絶対に2万円。削ることのできるのは食事代です
高校の売店では 空き缶を1本10円で引き取ってくるシステムがあったので クラスの皆んなにお願いして 私の机の横にビニールを置き 空き缶を貰い 食事代にあてる

全員が くれる訳ありません 虐めもあったし 200円になれば良い方 それでも20本ですからね
一番やすい パンを一つとジュースを1本。

家を 出てから友達の家を転々としながら 学校と バイト 2万円の仕送りと友達の家には数千円
食べれない日も よくありました

ですが 高校は 卒業したかった。どうしても。絶対に。
それは 高校へ進学するよりも働けと言う 母を 中学の先生が 高校を卒業するまで自分が預かるから
高校だけは行かせてやってくれと 母を説得してくれたから…これからの時代 高校くらいは出ておかないと 職につけないからと。

母が 私を手放すはずがありません。 だから母が根負けし 私は高校へ進学できました
その中学の担任の先生が してくれた事 今でも感謝しています 担任の先生の為に絶対に卒業したかった。

修学旅行 課外授業 卒業旅行は 全て参加しませんでした。
それらの お金を学費に当てていたのです。

高校を卒業後 アルバイト先の店長の推薦で準社員になりました

そんなある日 一睡もできない日が2週間続きました
これは…さすがに精神科に行きました 不眠症 一言で言えば 不眠症
睡眠導入剤 睡眠薬 中途覚醒や早期覚醒の薬 と安定剤が処方されました。

飲まない訳にはいかないのです だって 働かなきゃならないから
朝から夕方まで スーパーで準社員 夕方から 焼き鳥屋 深夜にはガソリンスタンド

ほんの数時間の睡眠を 逃す訳にいかなかった。
これが 私の 心の病との格闘の始まりです

心の病は 気の持ち様だとか色々言われますね 怠け病とか
でも それは違います 弱いからでもないし 気持ちなら心の病の人より ある意味強いと思います
それは そこから脱したいという強い願い 自分でもどうにもできないのに 怠けてると言われる事で
意地でも 治したいという願い

人は誰しも 弱いのです
けれど 本当に強い人間は 自分の弱さを受け入れている人間だと思います
弱い部分もある でも信念もある。
それが 人間だと 思っています。

ここに来る方が 心の風邪ではない人もいるでしょう。

キモい メンヘラ うざい かまってちゃん

よく聞く言葉ですが もし自分の大好きな彼女や彼氏や友達が なっても同じ言葉を
投げつけるのでしょうか?

だとしたら とても寂しい人ですね と私は思ってしまいます

今日は 入り口辺りの話をしましたが 若干 感情的にもなっています しかし私は仏ではないので
それも ありだと思っています。

次回は 受け入れることについて書きたいと思います