△沿道の人たちに手を振る室屋

「空のF1」と呼ばれる小型プロペラ機のレース『レットブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ2017』で室屋義秀(44)が年間総合優勝を飾った。全8戦のうち、第2戦(サンディエゴ)、第3戦(千葉)、第7戦(ラウジッツ)、第8戦(インディアナポリス)でそれぞれ優勝。第4戦(ブダペスト)で3位、第6戦(ポルト)で6位に入り、計74ポイントを獲得。2位のマルティン・ソンカ(チェコ)に4ポイント差をつけ、アジア人で初めて世界の頂点に立った。
室屋は奈良県出身。テレビ朝日系『機動戦士ガンダム』の主人公、アムロ・レイに憧れてパイロットを志した。中央大学時代は航空部に所属し、アメリカで飛行機免許を取得。国内ではグライダーを操縦し、飛行士としての訓練を重ねた。
1995年に但馬空港(兵庫県)で開催されたブライトリングワールドカップを観戦し、世界最高峰のアクロバット飛行に衝撃を受けた。自分も同じことをしたいと考え、アメリカでその可能性を探った。アクロバット飛行のトレーニングを本格的に始めるため、1999年に福島市に移住。市の北西部(山形県との境)に農道空港「ふくしまスカイパーク」があり、練習環境が整っていたからだ。

△あいさつの途中で涙ぐむ室屋

△会場に展示されたトロフィー

同パークは1998年4月に開場した。標高402㍍の位置にあり、滑走路の延長は800㍍。農産物の輸送用として計画されたもので、ここからモモやナシを積んだ軽飛行機が首都圏に向けて飛び立つはずだった。
しかし、空輸は陸上輸送に比べると、コストがかかる。輸送時間を短縮すれば鮮度を維持できるが、その割に農産物の価格は上昇しなかった。このため、同パークが農産物の輸送で活用されることはほとんどなく、開場早々、無用の長物になった。
室屋にとっては、これが幸いした。同パークを半ば好きなように使っていいという状況になったからだ。一方で、日本は航空競技に対する関心が低かったため、スポンサー集めに苦労した。友人などから計3000万円を借金し、中古のプロペラ機を購入。機体は確保したが、燃料代を工面できない時代もあった。

△折り紙飛行機を飛ばす関係者

△福島民報の高橋社長と記念撮影

そんなときに救世主になったのが、日本テレビ系『マネーの虎』に出演していた生活創庫社長の堀之内九一郎だ。堀之内は、番組で「エアショーパイロットになりたい」と訴えた女性に投資を決定。それをテレビで見ていた室屋は堀之内に電話をかけ、「あなたは私に投資すべきだ」と直談判した。
堀之内は本社のある浜松市に室屋を呼び、話を聞いた。室屋が「世界一のアクロバット飛行士になりたい」と言うと、堀之内は「その夢を叶えてやりたい」と資金提供に応じた。
2008年にレッドブル・エアレースのスーパーライセンスを取得。2009年にアジア人として初めて同レースに参戦した。プロペラ機を操り、5~6㌔㍍のコースに設置された高さ25㍍のパイロン型風船障害物(エアゲート)を規定の順序と方法で通過し、ゴールまでのタイムを競うという大会だ。しかし、2011年~2013年は同レース自体が休止となり、室屋は目標を失う形になった。

△吾妻通りをパレードする室屋

△福島民報の紙面を掲げる児童

加えて、2011年は福島県が東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に見舞われた。同パークの滑走路はひび割れを起こし、飛行機が飛べない状態になった。室屋は精神的にも経済的にも厳しい立場に追い込まれた。一時は「もう飛行機に乗れないかもしれない」と思ったが、何とか持ちこたえ、活動を再開した。
同レースは、2014年からエンジンとプロペラを統一して再開された。2015年以降は千葉が開催地に加わり、日本でも大会に対する認知度が高まった。室屋の知名度も急上昇し、スポンサー集めに追い風が吹き始めた。室屋の機体にはファルケン(住友ゴム工業)やレクサス(トヨタ自動車)のロゴが入るようになった。

△桜の聖母小の児童たちと記念撮影

今シーズンは第7戦が終了した時点で3勝を挙げ、ポイントランキングで2位につけた。首位のマルティン・ソンカとの差は4ポイント。室屋は最終戦でも優勝し、ソンカとのポイント差を逆転した。初の年間総合優勝を決め、トロフィーを受け取った。米インディアナポリスの会場には、自動車レースのインディアナポリス500マイルレースを制した佐藤琢磨が応援に駆けつけ、優勝を決めた直後に2人で記念撮影した。
福島県はその快挙を称えるため、県民栄誉賞の授与を決めた。授与式は12月4日に福島県庁で行われ、内堀雅雄知事が賞状と記念品(大堀相馬焼の大皿)の目録を手渡した。内堀は「逆境を乗り越え、挑戦を続けて世界一を成し遂げました。復興に取り組む私たちの模範になります。勇気や元気、希望をいただきました」と賞賛。これを受けて、室屋は「世界一になるという夢を福島の皆さんが支えてくれました。来シーズンは2連覇を目指します」と意気込みを語った。
県民栄誉賞の受賞は、登山家の田部井淳子(三春町出身)、ソチ冬季パラリンピックアルペンスキー男子回転座位金メダリストの鈴木猛史(猪苗代町出身)に続いて3人目となった。

△住友ゴムが製作したレプリカ機

4日は、午後からJR福島駅東口駅前広場で県民栄誉賞を祝う式典も行われた。ステージに立った室屋は「年間総合優勝という結果は県民皆さんの成果だと思いますので、県民栄誉賞は私が代表で受け取る気持ちでいます」とあいさつ。その途中で言葉を詰まらせ、目頭を押さえた。見物人からは「頑張れー」「泣くなー」という声援が飛んだ。
続いて、内堀知事、吉田栄光県議会議長、山本克也福島市副市長、半沢正典福島市議会議長、斎藤喜章ふくしま飛行協会理事長、甚野源次郎公明党県本部議長・ふくしま飛行協会顧問、高橋雅行福島民報社社長の7人がステージに上がり、室屋や子どもたちと一緒に折り紙飛行機を飛ばした。
甚野と高橋の2人は、室屋と同じ中央大学の卒業生だ。甚野は経済学部、高橋は法学部、室屋は文学部。式典は欠席したが、福島市長の小林香も中央大学の卒業生だ。

△パレードに使用されたレクサス

この式典は、高橋が後輩の室屋のために開催したという性格が強い。雨が降った場合、式典は民報ビルのロイヤルホールで開催される予定になっていた。また、民報は4日付の紙面で室屋を大々的に取り上げた。その紙面は式典を見学した人たちに号外のような形で配布された。
式典のあとは、JR福島駅東口と国道13号をつなぐ吾妻通りでパレードが行われた。コースの延長は約300㍍。桜の聖母小学校の鼓笛隊と県警音楽隊が先導役を務めた。室屋は、白いレクサスLFAスパイダーに乗って登場。レクサスは西から東に向かってゆっくりと走り、国道13号の手前でUターン。次に反対側の車線を東から西に向かってゆっくりと走った。往復で約600㍍走ったことになる。

△福島市の上空を記念フライト

吾妻通りの沿道に通称「さんかく広場」がある。東北電力福島営業所の東側。この広場に室屋が操るプロペラ機のレプリカが展示された。スポンサーである住友ゴム工業が製作したもので、外観は本物と同様、青と緑のファルケンカラーに塗られていた。パレードを終えた室屋はレプリカ機の横に立ち、笑顔を見せた。カメラやスマホを持った人たちがそれを取り囲んだ。先着300人には室屋のポスターがプレゼントされた。
室屋は午後2時15分に吾妻通りを後にし、ふくしまスカイパークに向かった。午後4時にプロペラ機で同パークを飛び立ち、福島市の中心部へ。県民栄誉賞受賞の記念フライトだ。室屋の勇姿を撮影するため、真横にもう1機がついた。室屋のプロペラ機は、暗くなりかけた灰色の空に細長い線を描く格好になった。スーパーの駐車場では上空を見上げながら、「あれあれ!」と指さす人たちの姿があった。

【文と写真】角田保弘