参院選が公示された6月22日午後7時ごろ、JR福島駅西口を歩いていたら、雰囲気が物々しいことに気づいた。私服姿の警官が何人もいたのだ。「誰か要人が来るんだろうか?」と思い、とりあえず安倍晋三首相の日程を調べてみた。午前中は参院選の応援で熊本県、午後は福島県に移動し、郡山駅西口とメガステージ須賀川で街頭演説となっていた。福島市は日程になかったので、「他の大臣かな?」とも思った。
こういう場合、誰が来るのか確認しないと気が済まないタチなので、そのまま福島駅西口をウロウロした。私服警官に「誰が来るんですか?」と質問したかったが、それは我慢した。迷惑になると思ったからだ。そのうち私服警官が新幹線の改札口から駅舎の出入口まで約5㍍おきに並んだ。尋常ではない。これだけの警備の対象になる要人は、天皇皇后両陛下か首相しかいない。
両陛下が地方を視察するときは、日程が事前に公表される。しかし、両陛下が22日に福島を訪問するという情報はなく、見送りをする皇室ファンもいなかった。となると、警備の対象は安倍ということになる。

午後8時18分、予想通りに安倍が現れた。私服警官5~6人が周りを固めた。駅舎の階段を上がり、新幹線の改札口を通って、ホームに向かった。写真を撮ろうしたが、スマホのカメラだったので失敗した(写真)。
翌日、時事通信のサイトで安倍の動静を確認してみた。
△午後3時、JR郡山駅着。同駅西口で街頭演説。同36分、同所発△午後4時11分、福島県須賀川市のショッピングセンター「メガステージ須賀川」着。街頭演説。同53分、同所発△午後5時47分、福島市の結婚式場「エルティ」着。秘書官らと食事。午後6時20分、同所発△同31分、同市のNHK福島放送局着。午後7時19分から同41分まで、報道番組に出演。同59分、同所発△午後8時6分、JR福島駅着。同23分、やまびこ56号で同駅発△午後10時、JR東京駅着。同3分、同駅発△同15分、官邸着
……安倍は報道番組に出演するため、NHK福島放送局のある福島市に足を伸ばしたのだ。メガステージ須賀川からJR郡山駅に戻り、そこから上りの新幹線に乗れば、午後7時前後にJR東京駅に着く。ただ、番組開始の同19分までにNHK放送センター(東京都渋谷区)に到着するかどうかは微妙だ。何かのトラブルで新幹線が10分でも遅れると、番組開始に間に合わなくなる。それではNHKや視聴者に迷惑をかけるので、安全策をとり、福島放送局から出演したのだろう。

安倍が自民党総裁に復帰したのは2012年9月のことである。以来、国政選挙の公示日は福島県に入るのが恒例になっている。2012年12月4日は、亀岡偉民(衆院福島1区)の応援のため福島市。2013年7月4日は、森雅子(参院福島選挙区)の応援のため福島市。2014年12月2日は、亀岡偉民(衆院福島1区)の応援のため相馬市。そして、今回は岩城光英(参院福島選挙区)の応援のため郡山市・須賀川市へ。被災地重視という姿勢を国民に印象づける狙いがあるようだが、それだけが理由ではない。
亀岡、森、岩城の3人はいずれも清和会(細田派)所属である。安倍も清和会出身なので、いわば身内のようなものだ。しかも、この3人は選挙が強くないという共通点もある。

亀岡は衆院選で4回連続で落選し、2005年の小泉郵政選挙でようやく初当選した。2009年の衆院選で5回目の落選を経験。2012年の衆院選で再起できなかったら引退確実だったので、安倍が公示日に応援に駆けつけたのだ。
森は2007年の参院選で初当選したが、得票数は旧民主党の金子恵美(現衆院議員)に次ぐ2位だった。一方の岩城は1998年の参院選で初当選。ただ、得票数は旧民主党の佐藤雄平に次ぐ2位だった。2004年の参院選も当選したとはいえ、得票数は佐藤に次ぐ2位だった。2010年の参院選は、旧民主党の増子輝彦に次ぐ2位当選だった。
従来は参院福島選挙区の改選議席が2だったので、得票数が2番目でも良かった。しかし、2013年以降は改選議席が1になったので、トップでなければ当選できなくなった。蓮舫の決め台詞でないが、2位ではダメになったのだ。

安倍が森と岩城を相次いで大臣に起用したのは、選挙対策の意味がある 。現職大臣として参院選に臨めば、集票能力が高まると判断したのだ。
より具体的に説明しよう。森は2012年12月に少子化・消費者担当大臣になり、2013年の参院選を迎えた。また、岩城は2015年10月に法務大臣になり、今回の参院選を迎えた。その上で、安倍は公示日に2人の応援に駆けつけた。まさに至れり尽くせりである。
森はその作戦で2013年の参院選を乗り切ったが、岩城はどうか。新聞各紙の世論調査では増子にリードを許しているようだ。朝日新聞、読売新聞・福島民友新聞、日本経済新聞、共同通信は増子有利、毎日新聞は岩城有利という論調になっている。岩城は無党派層の取り込みで増子に大きく遅れをとっている。

岩城は、2014年の福島県知事選で大失態を演じた。ことの始まりは、同年3月に開かれた自民党福島県連大会。県連会長としてマイクを握った岩城は「佐藤現知事の懸命な取り組みには敬意を表するが、秋の知事選で我党は独自の候補を擁立する」と明言した。現職の佐藤雄平(元民主党参院議員)を来賓として招いておきながら、その面前で宣戦布告をしたのだ。
これだけ強気な発言をしたものの、人選作業は難航した。その過程で、岩城の政治手腕のなさがクローズアップされた。8月になって鉢村健(元日本銀行福島支店長)の擁立が決定。しかし、自民党本部は「鉢村では選挙に勝てない」と判断し、推薦を出さなかった。岩城は「県連が主体になって選挙を戦う」と語り、独自候補の擁立にこだわりを見せた。

一方、現職の佐藤は2期8年で引退を表明した。すると、民主党福島県連は内堀雅雄(副知事)の擁立に動いた。自民党本部も内堀支持の立場を打ち出し、岩城に方向転換を迫った。岩城は腰砕けになり、内堀に相乗りすることを決めた。外堀を埋められた鉢村は立候補を断念し、選挙事務所を閉めて福島を去った。日本銀行を退職して選挙の準備をしたのに、戦うことすらできなかったのだ。
この一件で、岩城は男を下げた。「約束を守れない男」「本部の命令に従うだけの政治家」というイメージがついた。今回の選挙で支持が伸び悩んでいるのは、それが尾を引いているからだ。
法務大臣になったことも裏目に出た。地元に帰る回数が減り、選挙活動が思うようにできなくなった。国会答弁でも能力不足を露呈した。今年2月の衆院予算委員会では、旧民主党の階猛が会計検査院による検査と特定秘密保護法の関係について質問。岩城の答弁が右往左往したため、安倍が代わりに答弁した。

岩城が落選の危機にあるため、自民党は大物議員を福島県に次々と送り込んでいる。これがまた、岩城の頼りなさを増幅させる要因になっている。大臣なのに、若い小泉進次郎らの応援を受けているからだ。森雅子も岩城の応援に走り回っている。
森は、応援演説でこんな話をしている。
「復興で財源が必要な時期に与党議員が落選すると、予算が減ることになる。復興に水をさすことになる」
こういう脅しのような発言は、有権者の反感を買う。逆効果だ。森が2006年の福島県知事選で落選したのも、自民党本部の大物議員が福島県に応援に来て、与党の威光を振りかざしたからだ。 森は10年前に経験したことをもう忘れてしまったのか。