本ブログ(5月21日付)で述べたように、福島市の県営あづま球場で5月18日、プロ野球セ・リーグ公式戦「巨人×横浜DeNA」の8回戦が行われた。試合開始は午後6時。この季節は日が長いので、開始直後はデーゲームのようだった。午後6時30分ぐらいになると、上空がやや暗くなり、薄暮という状態になった。
球場前の広場には日テレジータスが宣伝用の大型テレビを設置した。その中継を見ていると、解説の中畑清が「この時間帯はボールが見づらいので、守っている選手は神経を使います。私は視力がよくないので、フライが上がったら、篠塚(和典)に任せていました(笑)」と言った。
中畑は福島県矢吹町出身なので、福島県で巨人の主催試合があると、テレビ中継の解説を務めることが多い。解説者という立場なのに、始球式に登場したこともある。ただ、2012年から4年間は横浜DeNAの監督をしていたので、解説ができなかった。今季は日テレの解説者に復帰。その仕事で福島県に足を運んだのは、2011年6月の「巨人×東京ヤクルト」(郡山・開成山野球場)以来5年ぶりである。

私は巨人、横浜DeNAどちらのファンでもないので、試合を観戦する気はなかった。それでも県営あづまに行ったのは、観客動員が気になったからだ。試合当日の半月ほど前から、福島民友新聞(読売新聞社の子会社)に「巨人×横浜DeNA」のチケット販売の広告が何度も載った。それを見て「あまり売れてないのかな?」と思い、球場の雰囲気を確認したくなったのだ。
私が球場に到着したのは午後6時20分ごろだった。この時点で、外野席のチケットは完売していた。一方、内野席は完売しておらず、当日券売場に行列ができていた。巨人戦のチケットが試合当日まで売れ残っているというのは、ひと昔前は考えられなかったことである。

巨人はかつて、国民的な球団だった。プロ野球ファンの大半は巨人ファンであり、非巨人ファンは「アンチ巨人」という言葉でひとくくりにされた。テレビ中継の視聴率は関東地区で常に20%を超え、その放映権料は1試合あたり1億円とされた。チケットは「プラチナペーパー」と呼ばれ、入手が困難だった。必然的に「前売り券が完売、当日券はなし」という状況になった。
巨人は1970~1980年代、2年に1度の頻度で「みちのくシリーズ」を実施した。開成山野球場、県営宮城球場(現コボスタ宮城)、岩手県営野球場で3連戦をするというもので、当初は3戦とも平日デーゲームだった。それでも各球場は超満員(チケット完売)になり、巨人人気の高さを示した。

その後、県営宮城、岩手県営が照明施設を相次いで整えたため、同シリーズは3戦中2戦がナイトゲームに移行した。開成山が照明施設を整えた1988年は、3戦ともナイトゲームになった。2年後の1990年は県営あづま、県営宮城、岩手県営の3連戦になった。福島県の開催地が開成山から県営あづまに移ったのは、収容人員が5000人ほど多いうえ、施設も新しいからだ(県営あづまの開場は1986年)。
翌年以降はセ・リーグの日程に同シリーズが盛り込まれなくなった。このため、東北の巨人ファンは、東京まで行かなければ試合を観戦できなくなった。

東北の巨人戦が復活したのは2005年のことである。仙台が東北楽天の本拠地になったことに加え、同年からセ・パ両リーグの交流戦が導入されたからだ。同年は巨人の主催試合も行われた。相手は横浜で、仙台出身の佐々木主浩が登板した。佐々木の事実上の引退試合になったため、打席に立った親友の清原和博は豪快に(わざとらしく)三振した。
翌2006年は県営あづまで16年ぶりに巨人戦が行われた。チケットは数日で完売し、福島県の巨人ファンが飢餓状態にあったことをうかがわせた。この試合を含めて、2005年以降、県営あづまでは巨人戦が7試合行われた。巨人主催が4試合、東京ヤクルト主催が3試合で、それぞれの観客数は次の通りだった。
△2006年6月13日「巨人対オリックス」=1万9442人
△2008年6月17日「巨人対オリックス」=1万7051人
△2009年7月14日「東京ヤクルト対巨人」=1万7380人
△2011年7月29日「東京ヤクルト対巨人」=1万4255人
△2013年7月10日「巨人対東京ヤクルト」=1万7152人
△2015年8月4日「東京ヤクルト対巨人」=1万2361人
△2016年5月18日「巨人対横浜DeNA」=1万3633人
県営あづまの収容人員は、ホームページなどで3万人と発表されている。実際は2万1000人程度だ。過去最高は2006年の19442人。これを基準にすると、2015年と2016年は約6000席分のチケットが売れ残ったことになる。
プロ野球の人気が低下していると言われる。パ・リーグ党の私は、この見方に同意しない。かつて閑古鳥が鳴いていたパ・リーグの球場が、今は日常的に満員になるからだ。ただ、巨人に限定すると、人気が低下しているのは事実だ。テレビ(地上波)の中継が少なくなったし、視聴率も1桁台になった。何より、県営あづまが満員にならなくなった。

巨人の人気はなぜ、低下したのか。私は、テレビ主導のプロ野球が終焉したからだと思う。プロ野球文化が成熟した結果というべきか。
日本では長年、テレビがプロ野球人気を主導して来た。巨人戦を集中的に中継することで、「巨人対その他大勢」という構図を強引に作り出した。それによって、現実世界のプロ野球中継が「ウルトラマン」や「水戸黄門」のような勧善懲悪番組になった。だから、多くの視聴者は巨人を正義の味方と錯覚し、テレビの前で声援を送ったのだ。

「ウルトラマン」や「水戸黄門」は、主役が必ず勝つというストーリーになっている(ウルトラマンはゼットンに負けたけど)。主役が勝つから、視聴者はスカッとするのだ。主役が弱かったら、勧善懲悪番組にならない。
ところが、プロ野球はドラマと違って、主役が必ず勝つとは限らない。V9時代の巨人は確かに常勝球団だったが、1990年代に入ると、優勝したりしなかったりになった。主役がこれでは、視聴者が離れる。そこで、巨人はFAなどで有力選手をかき集め、再び常勝球団になろうとした。
その手法がいささか強引だったため、巨人は「金満球団」と呼ばれるようになった。正義の味方だった巨人が、悪役に変貌したのだ。これが、巨人の人気を低下させる引き金になった。

その状況で、巨人以外の球団は地域密着路線を推し進め、ローカルヒーローに成り切ろうとした。全国ヒーローの巨人は地盤を次々と切り崩され、キャラクターが曖昧になった。テレビが作り出した「巨人対その他の大勢」という構図が成り立たなくなったのだ。
テレビの視聴形態が変化したことも見逃せない。昭和の時代は、1つのテレビを家族全員で見ていた。だから、親子で巨人ファンという家族が多かった。今は親と子が別のテレビを見ているので、子が親の影響を受けにくくなった。親が巨人ファンでも、子は巨人ファンとは限らなくなった。野球そのものに関心がないという子も増えた。気づいたときは、巨人戦のテレビ中継は激減していた。

巨人対横浜DeNAが行われた県営あづま。球場前の広場には巨人のグッズ売り場があった。レプリカユニホーム、Tシャツ、キャップなどが並んだ。巨人のキャップは、V9時代、子どもに人気があった。漫画『巨人の星』の影響もあっただろう。今は巨人のキャップを被っている子どもを見かけなくなった。
昭和から平成にかけての一時期、近鉄や西武のキャップが子どもたちの間で人気になった。カラフルなデザインだったからだ。おっさんのプロ野球選手が被ると滑稽に見えたが、子どものファッションアイテムとしてはバッチグー(←死語)だった。この時期、巨人のキャップはすでに子どもたちの支持を失っていた。

かつてテレビ朝日系で『ニュースステーション』という番組が放送されていた。久米宏がキャスターをつとめ、ニュース番組としては異例の高視聴率をマークした。
その初期(1980年代後半)に「巨人の帽子を被った子どもはどこに行ったのか」という企画が放送された。昔は巨人の帽子を被っている子どもが多かった。猫も杓子もという感じだった。しかし、今はほとんど見かけなくなった。あの子どもたちは、どこへ行ってしまったのか…。そんな趣旨の企画だった。
番組スタッフは、全国各地を訪ね歩いた。しかし、巨人の帽子を被った子どもは見つからず、スタッフは疲労感を強めた。東北地方の農村に立ち寄ると、原っぱで草野球に興じる子どもたちがいた。彼らの頭部ではYGマークが輝いていた。ついに発見した! 巨人の帽子を被っている子どもたちを! 場所は中畑の故郷…矢吹町というオチだった。その瞬間、私は「うそクセー」と思いながらも、ほのぼのとした気分になった。

【写真の説明】
・かつては子どもたちに人気があった巨人のキャップ
・巨人戦が毎年のように行われる県営あづま球場
・球場正面に掲げられた「巨人×横浜DeNA」の横断幕
・当日券の販売所に並ぶ野球ファン
・球場に横づけされた日本テレビの中継車
・球場前の広場に設営された日テレジータスのブース