野口五郎の代表作は?と質問されたら、大半の人はこの歌を挙げるだろう。「私鉄沿線」。作詞は山上路夫、作曲は佐藤寛(野口の実兄)。1975年1月にリリースされ、その年の第17回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回日本歌謡大賞・放送音楽賞、第8回日本有線大賞・グランプリをそれぞれ受賞した。
この歌には具体的な地名や駅名がまったく出てこない。山上本人も「〇〇線をモデルにした」という話をしていない。このため、ファンは「東急東横線ではないか」「五郎の故郷(岐阜県美濃市)を走る名鉄美濃町線ではないか」などと推測し合った。
腑に落ちないのは、「私鉄沿線」というタイトルだ。漢字が4つ並ぶと、4文字熟語のようだ。不動産屋の宣伝のような印象も受ける。この4文字のあと、「東急〇〇線〇〇駅から徒歩15分」と続きそうな感じがしてしまう。
これらの疑問について、山上はどう考えているのか。『スポーツニッポン』2012年2月10日付「あの頃ヒット曲ランキング【1975年2月】」に次のような記述がある。
《「私鉄沿線」というタイトルにこだわったのは山上だった。当時の国鉄の駅に比べてこじんまりとした雰囲気を思い浮かべた山上が曲調と出来上がった歌詞からこれで行きたい、と推したものだった。
だが、制作スタッフからは反対された。「漢字4文字は硬い」「アイドルっぽくない」。妥協案として「愛の私鉄沿線」にしては、という意見も出たが、それでは演歌のようだ。結局山上が押し切った形となったが、ヒットした後は反対したスタッフが口をそろえて「いいタイトルだ」と態度が変わったとか。今でも「あの曲はうちの近くの沿線をモデルにしている」という人が多いというが、山上は特定の場所を描いたのではなく、自らのイメージを膨らませただけとしている》
改札口で、君のことをいつも待った。電車の中から降りてくる君を探すのが好きだった…。
規模の大きい国鉄の駅では、改札口からホームの様子を見ることはできない。だから、舞台は私鉄の駅となるが、この歌の主題は若い男女の恋愛と別れだ。「私鉄沿線」では、鉄道や駅が主題になってしまう。スタッフが口をそろえて反対するのも無理はない。
なぜ、山上は「私鉄沿線」というタイトルにこだわったのか。この4文字にはどういう意味が込められているのか。山上が明言しない以上、あとは聴き手がさまざまな体験や情報をもとにして、想像するしかない。

それは2000年9月のことだった。東京都品川区荏原に行かなければならなくなった私は、そこが東京のどのあたりにあるのかを調べた。もともと東京に足を運ぶ機会はそう多くない。足を運んだとしても、JRのターミナル駅周辺をウロウロするというパターンが大半なので、東京の地理に詳しくない。「荏原(えばら)」も、最初は読み方が分からなかった。
荏原の位置を調べると、東急目黒線の武蔵小山駅が最寄り駅であることが分かった。小田急と東武の電車は乗ったことがあるが、東急は未体験だ。大人になっても、知らない土地に行くときはドキドキする。
当日は、目黒駅でJRから東急に乗り換えた。東急目黒線は目黒駅(品川区)と日吉駅(横浜市浜北区)を結ぶ約12㌔の路線で、最初の停車駅が不動前駅、その次が武蔵小山駅だ。東京の私鉄は、駅と駅の距離が異常に近い。目黒駅から武蔵小山駅まで1・9㌔なので、あっという間に着いてしまった。
武蔵小山駅の駅舎を出ると、目の前にアーケード付の商店街があった。その日は雨が降っていたので、このアーケードはありがたかった。日時は日曜日の午前11時半だった。
商店街にはさまざまな店が並んでいた。物販だけでなく、喜多方ラーメンの店もあった。その通りを歩いているうちに、何だか懐かしい気分になった。初めて来た街なのに、なぜ、そんな気分になったのか。

東京は鉄道とバスが交通機関の柱になっている。このため、今でも駅前商店街の活気が維持されている。一方、地方の駅前商店街は活気を失い、絶滅寸前になっている。クルマ社会が到来したことで、広い駐車場を確保できる郊外に店が並ぶようになった。その影響で、駅前商店街は人通りが少なくなり、シャッター商店街化したのだ。
武蔵小山の駅前商店街は、地方の駅前商店街とは対照的だった。人通りは多く、シャッターを閉めた店は皆無だった。子どもの姿が目立ったのは、外が雨降りで遊べないからだろうか。その光景を見ているうちに、「昔は地方の駅前商店街もこんな感じだったのに…」とグチを言いたくなった。
その瞬間、ハッと気づいた。武蔵小山の駅前商店街は、地方の駅前商店街が失った活気を今でも維持している。だから、初めて来た場所なのに、懐かしい気分になったのだ。そのうち懐かしさを通り越して、何十年も前の世界にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。
商店街はスーパーと違って、客と店員の距離が近い。客は、店員と会話しながら買い物をするので、お互いに顔見知りになったりする。
「そういえば、野口五郎の歌に『私鉄沿線』というのがあったな。武蔵小山も、私鉄沿線だ。歌の中に『あの店で聞かれました。君はどうしているのか、と』という歌詞がある。あれは、こういう商店街をイメージしたのだろうか。その歌詞の前に『僕の街でもう1度だけ熱いコーヒー飲みませんか』というのがある。ということは、『あの店』とは喫茶店のことだろうか」
そんなことを考えているうちに、「私鉄沿線」の謎が解けた。「謎が解けた」というのはオーバーかもしれないが、私自身の疑問は解けた。この歌は「都会の中の田舎」をテーマにしていたのだ。

私の解釈はこうだ。私鉄は全国各地にあるが、国鉄と同等の存在感があるのは東京と大阪だけ。山上が「私鉄沿線」というタイトルにこだわったのは、聴き手に都会をイメージさせたかったからではないか。
都会は高層ビルのイメージが強いが、それはターミナル駅の周辺だけだ。郊外に向かう私鉄に乗り、2駅も行けば、そこはもう住宅密集地だ。商店、学校などもある。都会は人間関係が希薄と言われるが、その中で駅前商店街はコミュニティーの場として機能している。人間関係が割と濃密なので、店員が客に話しかけることはよくある。
この歌の主題は、あくまでも若い男女の恋愛と別れである。しかし、それだけでは物足りない。山上はそこで考えた。主役だけでは単調なので、脇役として、人のよい店員を登場させようと。
「君はいつも女の子と一緒に来ていたよね?最近は1人だけど、あの娘はどうしているのか」
私鉄沿線の駅前商店街…言い換えれば、「都会の中の田舎」だからこそ、こうした会話が成り立つ。ターミナル駅前にある店は、不特定多数の人々が出入りするので、店員が客に立ち入った質問をすることはない。
民俗学者・柳田國男流の表現をすれば、ターミナル駅はハレ(非日常)で、私鉄沿線はケ(日常)となる。東京出身の山上は、東京にも人々の日常生活があることを知っている。かぐや姫の「神田川」も同じ系統の歌だが、こっちの舞台はもっと都心に近い。作詞した喜多條忠は大阪出身で、早稲田大学に進学するために上京した(学費未納で中退)。喜多條にとって、東京は城のように思えたという(朝日新聞「うたの旅人」2008年11月22日付『神田川』より)。東京にずっと住んでいる山上とは視点が違うのだ。
1973年9月にリリースされた「神田川」は、「同棲」という言葉を流行させた。一方、「私鉄沿線」の男女は交際していたものの、同棲まではしていなかった。だから、男は女が来るのを改札口で待っていたのだ。
この2つの歌は、微妙な違いがある。舞台は共に東京で、若い男女の恋愛と別れをテーマにしたという共通点もある。ただ、「神田川」が時代性を帯びているのに対して、「私鉄沿線」にはそれがない。その代わり、普遍性のようなものがあるので、今でも古臭さを感じない(「伝言板」に時代性を感じる?)「私鉄沿線」がリリースされたのは「神田川」の1年半後。この歌は、山上が「神田川」を意識して制作したと考えるのは、うがちすぎだろうか。