「プロ野球界出身の政治家は?」と質問されたら、大半の人はこの元選手の顔を思い浮かべるだろう。「エモやん」こと江本孟紀だ。東映、南海、阪神でプレーし、首脳陣を批判して引退した。その際、「ベンチがアホやから、野球がでけへん」と言ったとされる。ただ、本人は「あれはスポーツ紙記者の創作」と言っている。
江本に選挙の話を持ち掛けたのは、スポーツ平和党を創設したアントニオ猪木だ。1992年の参院選。猪木の話を聞いた江本は「少し考えさせてください」と答えた。すると、猪木は怒ったような口調で言った。
「あなたはスポーツ選手でしょ? スポーツはその場その場で、次の動きを決めなければならない。いちいち考えていたら、試合になりませんよ」
スポーツのプレーと自分の人生をどうするかは、まったく次元の違う話である。選挙に出るとなれば、周りにも迷惑をかける恐れがある。江本の答えは社会の常識に沿っているが、猪木はその態度を批判した。
普通の人であれば、「猪木さん、あなたの言っていることはおかしい」と反論する場面だ。しかし、江本は猪木の話に納得し、その場で「分かりました。立候補します」と答えた。
スポーツ平和党の比例名簿第1位で立候補し、当選した。98年の参院選は民主党から立候補し、再選された。続いて2004年の大阪府知事選に立候補したが、現職の太田房江に敗れた。これを機に政界を引退し、現在は野球評論家として活動している。

プロ野球界出身の国会議員は公明党・創価学会系が多い。球界初の国会議員は白木義一郎だ。慶應大学からセネタースに入団し、東急、阪急でもプレーした。1956年の参院選大阪地方区に無所属で立候補し、当選した。公明党の結党に参加し、4期務めた。創価学会名誉会長・池田大作の妻の従兄弟。
上林繁次郎は明治大学から満州電力を経て、中日に入団した。東急、毎日でもプレーし、東急では白木とバッテリーを組んだ。引退後は船橋市議や千葉県議を務めた。67年の衆院選旧千葉1区に公明党から立候補したが、次点だった。翌68年の参院選全国区に公明党から立候補し、当選した。2期務めた。
石垣一夫は和歌山・新宮高校から常磐炭鉱を経て、大阪タイガースに入団した。南海でもプレー。高槻市議、大阪府議時代は公明党系として活動した。1996年の衆院選大阪10区に新進党から立候補し、当選。2000年の衆院選は社民党の辻元清美に敗れた。
三沢淳は立場が微妙だ。島根・江津工業高校から新日鐵広畑を経て、中日に入団。晩年は日本ハムでもプレーした。引退後に元公明党委員長の石田幸四郎の地盤を継承。1996年の衆院選愛知4区に新進党から立候補し、当選した。2000年の衆院選は保守党から立候補したが、落選した。01年の参院選比例区も落選。03年の衆院選は愛知6区から立候補したが、またもや落選に終わった。=敬称略=(続く)