蓮舫さんの国籍問題 〜小島剛一先生の「日本人とは?」 | ☆Dancing the Dream ☆

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民進党の代表選挙に立候補している
蓮舫さんが、“二重国籍”を持っているのではないか?
民主党党首になる資格があるのか?と
問題にされています。

蓮舫さんは、公職選挙法第2章第10条に
「日本国民は、左の各号の区分に従い、
 それぞれ当該議員又は長の被選挙権を有する。」
とあるように、被選挙権をもった日本国民であるからこそ、
国会議員になれたのでは?

フィンランド出身のツルネン・マルテイさんも、
日本国籍を取得して、国会議員になっています。

これは、人権の問題ですね。

この問題を考える時、
多重国籍を認めない現在の法律が
民主的と言えるのかという疑問が沸いてきます。

そして、以前、興味深く読んだ
フランス在住の言語学者・小島剛一先生(f爺)のブログに、
ある読者さんが予てから疑問を抱いていた「日本とは何か?」について尋ね、
小島先生が他の読者も議論に巻き込みながら、
この質問に答えていく一連の記事を思い出しました。

この質問をした読者さんは、
自分なりに取り敢えず思いついた「日本人とは何か?」についての定義を
下のように提示し、小島先生の意見を聞くのです。

⑴日本国籍を有する者
⑵親が日本人である者
⑶日本で生まれ育った者
⑷日本に居住する者
⑸日本語を聴き話し読み書く者
⑹日本語で思考する者
⑺日本人であるとの自覚を持つ者
⑻日本人でありたいと希望する者

小島先生は、読者さんのこの質問に答えて、
《F爺・小島剛一のブログ》に「日本人論」と題しこれを論じていきます。
詳細は、ぜひこちら↓をお読みください。
http://fjii.blog.fc2.com/blog-category-155.html

小島先生は、1968年に留学して以来フランスに住み、
トルコの少数民族の言語を現地調査して、
少数民族ラズ人、ザザ人との人間的交流も深め、
彼らの言語が、それぞれ独立した言語であることを提示しました。
しかし、トルコ政府の見解は、
「トルコ国民はすべてトルコ人であり、
 トルコ人の言語はトルコ語以外にない、 
 トルコ語以外の言葉はトルコ国内に存在しない」であることから、
小島先生はトルコから国外退去処分されるなど、
トルコ政府から様々な妨害に合うのです。
この全てを綴り著されたのが『トルコのもう一つの顔』
『漂流するトルコ―続トルコのもう一つの顔』、
近日刊行される予定の『トルコのもう一つの顔・補遺編』です。

以下は、小島先生のブログの「日本人論」から、
読者とのやり取りの中から先生の解説のみを抜き取ってまとめた
自分用のノートです。

小島先生は、
「日本人」とは、
「日本語を第一言語としていて、日本文化を身に着けている人」と
明言されています。


**********

日本人とは?

⑴日本国籍を有する者
これは、「日本国籍者」の法律上・行政上の定義です。
日本語を話すかどうかも、日本文化を継承しているかどうかも、
問題になりません。
「日本人」の定義としては、非常に不十分です。
必要条件でも十分条件でもありません。
日本国家が日本国籍者に多重国籍を認めないと決めた時に「法務大臣から国籍選択の催告を受けて『選ばざるを得ない』と思い込まされ、現住地での身分と職を維持するために泣く泣く日本国籍を放棄した人」は、F爺の定義では日本人に間違いありません。
言論の自由の無い国や「少数言語共同体に母言語を話す自由の無い国」の出身者の中には、命永らえるために「故郷を去ら」ざるを得なかった人が多数います。政治的な事情で国外に亡命した人たちには、生きて故郷に帰ることが普通は叶いません。この人たちは、決して「自由意思で故郷を離れ」てはいないのですが、傍(はた)からは「故郷を捨てて来た人」に見えるかもしれません。
1984年以降、日本国家は日本国籍者に多重国籍を認めなくなっています。しかし、外国籍を取得しても日本国家にその旨の通知は来ません。ですから、日本国籍を保持することは可能です。罰則もありません。しかし法務大臣から国籍選択の催告を受けて「選ばざるを得ない」と思い込んだ人が現住地での身分と職を維持するために泣く泣く日本国籍を放棄した場合が多数あります。法務省がいくら否定しても、この人たちは、「日本国籍を剥奪された」と表現します。現住地で生まれた我が子が大使館や総領事館を通じて日本語の教科書の配布を受けていたのを打ち切られ、「日本国家に棄てられた」と泣いている人もいます。
国籍至上主義は、「時の政府の決定がすべて正しい。お上に逆らってはいけない」と考えることです。思考停止です。民主主義の対極の態度です。

⑵親が日本人である者
⑶日本で生まれ育った者
非常に不十分です。「日本語を母言語として保持しているかどうか」「日本文化を継承しているかどうか」が不明です。
F爺の定義では、「日本人」とは「日本語を第一言語としていて、日本文化を身に着けている人」です。
「秋田語」「八丈島語」「国頭(くにがみ)語」「首里語」などの表現を使い「日本語」と対立させて「別言語だ」と見做しています。完全に秋田語のみの単一言語話者は、秋田人ですが、日本人ではありません。秋田語と日本語の二重言語者は、秋田人でもあり、日本人でもあります。F爺が子供の頃、「秋田諸語の単一言語話者」は、秋田県中どこの町にも村にもたくさんいました。2016年の秋田県には、もう探してもいないかもしれません。日本語の「方言」と見做されることのあるものの中には、琉球諸語のように、言語学上、どう見ても「日本語と同系であるが日本語ではない」言語があります。全く一言(ひとこと)も通じないのです。首里語などを差して「日本語の沖縄*方言」などと呼ぶやり方は、中央集権の政治主張に惑わされた誤った表現です。
「2016年の世界情勢において現代人を分類する時に有効な定義では、江戸時代以前には『日本人』はいなかった」ことになります。また、江戸時代以前の人の大多数に「自分は日本人だ」という意識があったとは考えられません。大同小異のことが「ドイツ人」「フランス人」「イタリア人」などにも言えます。例えば、作曲家のバッハが生きていた時代(1685~1750)には「ドイツ」という名前の国家は無く、従って「ドイツ人」という概念もありませんでした。当然、バッハ自身に「ドイツ人意識」は無かったのです。そのことは、今のドイツに生きる人たちが「バッハは、ドイツ人だ」と見做すことを妨げません。時代によって、「日本人」の定義は変わるのです。
話し言葉に関する限り、「各時代の標準日本語」というものは存在しないのです。江戸時代以前の日本人の大多数は、土地に縛り付けられていました。長距離を移動していたのは、「役人の一部」「防人(さきもり)として動員された人たち」「流刑人」「旅芸人」「江戸時代になってから参勤交代に動員された人たち」「北前船などの船乗り」「ごく一部の俳人」などです。数として、微々たるものです。その人たちは、自分の行動範囲の諸方言が何とか操れれば、旅や生活に差し支えはありませんでした。それに、「文語」が共通の書記言語でした。当時の本州、四国、九州の諸言語・諸方言は、今よりも相互の差が大きかったはずですが、「隣接した集落との意思の疎通は可能だ」という意味で広い「方言連続体」をなしていました。標準語が存在しない時代に日本列島に住んでいた人たちは、「同一の方言連続体に属する一言語を話していた」という意味で、「日本人」でした。また、識字層は「共通の書き言葉で意思の疎通を図っていた」という意味で「日本人」でした。幕末から明治初期にかけて江戸/東京に集まった諸国の藩士には「共通の口語が無く、文語で筆談した」と聞いています。文語が「標準書き言葉」だったのです。明治初期までの「日本人」と標準語が成立してからの「日本人」とは定義が違うのです。
「日本人が共有する文化的要素」には、日本語能力の他に、
大きく分けて二種類あります。
一つは、日本の地理と歴史と伝統文化に関する知識です。
「日本人としての教養」と言い換えることも出来ます。
もう一つは、「日本人の文化コード」(= 日本人が共有する文化的要素から上記の「教養」を除いた物)、つまり「日本人ならこういう場合にはこういう行動をするものだ、という暗黙の諒解」です。
言い換えると「日本人に共通する行動様式」です。
生まれてからずっと日本に住んでいる人は、無意識に行なっています。海外生活の長い日本人は、忘れていて失敗することがあります。
「日本人としての教養」とは、子供時代の数年間を日本の外で過ごした人が、日本語が普通に話せても、日本に住んでいる日本人に「日本人扱いしてもらえない」ことがあります。原因は、いろいろありますが、日本人なら当然身に着けているはずの基本的な教養が欠けている場合が多いようです。この「文化障碍」は、日本で生まれ育ってずっと日本に住んでいる人には、普通は起こりません。詳細 http://fjii.blog.fc2.com/blog-category-155.html
次に、自分の生まれ育った地域の文化コードは、その地域から抜け出た経験が無いと、自覚する機会が無いために、なかなか把握できません。書籍や映像で「他所(よそ)の国や地域の話」を教えてもらっても、机上の知識に留(とど)まります。生まれてからずっと日本の中心部に住んでいる人の場合、異言語体験・異文化体験は、たまの海外旅行のときに「するかもしれない」ことです。
海外旅行をしても、団体に参加して「異文化に触れる」だけでは、異文化体験ではありません。それは「異文化見物」に過ぎません。異文化体験は、異言語を操ることをも含めて普段とは異質の行動をせざるを得ない立場に陥ることです。挨拶の仕方に始まる礼儀作法のように躾(しつけ)として意識的に自分も身に着けたし子供にも教え込む行動様式は、暗黙ではない文化コードです。すぐ目に見えますから、理解も、適応するのも、その意思があれば簡単です。
重要なのが「単一文化の人が無意識に行なう仕草、立ち居振る舞い」です。例えば、乾杯の仕方は、国や地域によって異なります。キスやハグの仕方にも、地域ごとに別の決まりがあります。机から落ちた物の拾い方も、文化によって違います。会釈や握手の仕方、話し相手との物理的な距離の取り方、話すときに相手のどこに視線を置くか、肯定と否定を表わすのに首をどう振るか・・・など、一つ一つ違うのです。

⑷日本に居住する者
「日本在住者」の定義です。「日本人」の定義ではありません。

⑸日本語を聴き話し読み書く者
これは「日本語話者」の定義です。「日本人」の定義ではありません。

⑹日本語で思考する者
これは、「日本語第一言語話者」の定義です。「日本人」の定義ではありません。

⑺日本人であるとの自覚を持つ者
これは「本人は日本人のつもりだけれども周りからはそうは見做してもらえない人」をどう扱うかという問題があります。このことを冷静に議論するだけの素地が今の日本社会に出来ているでしょうか。

⑻日本人でありたいと希望する者
論外です。