貴重なプロショット・デンジャ・inブエノスアイレス
(1993年10月8日・10日・12日 アルゼンチン/ブエノスアイレス/El Monumental)
世は、1991年に勃発したユーゴスラビア紛争、そして、
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年から1995年)へと、
多くの犠牲者を生んだ、第二次世界大戦後、最悪の紛争の嵐が吹き荒れていた。
1992年のデンジャツアー・2ndレグ、東京ドームでのショウが、
その年の大晦日で終了し、
1993年8月より開始されるアジアツアー3rdレグを控えたマイケルの年明けは、
世界中が注目する大式典での平和運動、子供たちの救済支援活動に始まった。
1993年、マイケルは1月18日、
クリントン大統領(民主党)の就任祝賀祭(An American Reunion: the 52nd Presidential Inaugural Gala)で、
血液製剤によるエイズ感染によって18歳で亡くなったライアン・ホワイト君に捧げられたを'Gone Too Soon'を披露し、エイズ撲滅を訴えた。
1月31日、NFLスーパーボウルハーフタイムショウを行い、
カーター元大統領(民主党)を協力者とした平和運動組織、Heal The Worldに寄付された。
3rdレグ開始(1993/8/24よりバンコク公演)直前、
バンコクに滞在中8月21日に、
エバン・チャンドラー事件に関するネヴァーランド家宅捜査がロス市警によって行われる。
マイケルへの児童性的虐待疑惑報道がエスカレートしていく。
アルゼンチン、ブエノスアイレスは、その最中のステージである。
デンジャラスツアーは、1993年11月11日、メキシコを最後に中止された。
何度も何度も、この流れを追想するが、
やはり・・
マイケルのエンターテイメントによる
平和を訴える政治活動が、妨害されたのだ。そう思う。
デンジャラスツアーの冒頭シーンは、
正に、非暴力の軍隊が、いざ出陣する。
マイケルが、炎の玉となって、
ステージに聳え立つのだ!