D・ボウイとマイケルのエレファントマン | ☆Dancing the Dream ☆

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エレファントマンと呼ばれたジョン・メリック(John(Joseph)Merrick 1862-1890)氏の物語ついて、私たちがよく知るのは、世界的な大ヒットとなった映画、
デヴィッド・リンチ監督の『エレファントマン(1980)』です。

しかし、その前年、この映画に先駆けて、
NYのブロードウエイで舞台版の『エレファントマン(1979)』が公開されていました。
その主役のJ・メリック役を務めたのは、デビッド・ボウイでした。

『エレファントマン』の演技は大絶賛され、
そして、その客席には、Fameなどの共作でも知られる朋友ジョン・レノンや
日本人映画監督・大島渚がいました。

ベルリン3部作の後、80年代に入り、ボウイは『エレファントマン』を皮切りとして、
俳優としての活動を盛んに行い立て続けに発表します。
BBCのTVドラマでブレヒトの戯曲『BAAL(1982)』で放浪の吟遊詩人バールを演じ、
『ハンガー(The Hunger)(1983)』でドヌーブ演じる吸血鬼の夫役を、
そして、『エレファントマン』を観た大島渚からオファーを受け、
『戦場のメリークリスマス(1983)』で、美しき捕虜、英国軍人のセリアズ役を、
スコセッシの『最後の誘惑(1988年)』ではピラト役を演じるなどし、
音楽活動においても、カルトからポップへと実験的変革の見られる時期でした。


一方、マイケルは、70年代後半からソロ活動を開始し、
NYを舞台とする映画『WIZ(1978)』に出演。
姉ラトーヤと共に、初めて実家のエンシノを離れ、NYに移り住み、
1979年、21歳の誕生日をNYのスタジオ54で祝いました。
この時期、初めて本格的に演技者として映画に出演した研究熱心なマイケルですから、
ボウイの『エレファントマン』の舞台を観ていたかもしれません。
MTVが1981年に開局し、1982にはマイケルの『Thriller』が大ブレイク。
ヴィジュアル映像と音楽が一体となったMTV時代の幕が開かれました。

マイケルとボウイ。
二人の関連性は、あまり語られることはありませんが、
9歳の年の差のある二人の芸術的着眼点には、ボウイの後をマイケルが追う
あたかも輪唱のような規則的なタイムラグのあるシンクロニシティが感じられます。

◆20歳で映画&ブレイク
例えば、共に二人は、およそ20歳の頃に、
初めての映画出演を果たします。
ボウイは、短編映画『The image(1968)』に、
マイケルは、前述の『WIZ(1978)』に出演。
そして、その直後に両者は、時代の寵児として大ブレイクするのです。

The imageを撮影した際、ボウイは現代舞踏家リンゼイ・ケンプと出会い、
ダンスやパントマイムの腕を磨いています。
(余談:ケンプによると、ボウイは全くハードな野心家ではなく常に穏やかな人物で、
 二人は恋愛関係となった。しかし、ボウイはツアーの衣装係の女性とも付き合っており、
 三角関係に陥り、ケンプは自殺未遂を図ったこともあると告白した。)

◆20代半ばでムーンウォーク
マイケルが「ムーンウォーク」を初めて披露したのは、
1983年モータウン25周年コンサート。マイケル25歳のことした。
世界中が、重力を無視したようなダンスに驚き魅了されてしまいました。
ところが、面白いことに、あのマイケルの代名詞のような「ムーンウォーク」の原型を
ボウイは、早くも1974年のDiamond Dogs tourで披露しています。ボウイ27歳。
すでにケンプ直伝でマイムの素地があるボウイは、
ルーカスの映画「アメリカングラフィティ」の振付け家でもあるトニー・バジルに
「ムーンウォーク」の原型のマイムを伝授され取り入れたのだという事です。

彼らの選び取るもの。
偶然か、あるいは、共通する鋭敏な感性が必然的にリンクさせるのか?


Bowie says he was moonwalking years before Michael Jackson wowed the world in 1983's Billie Jean. He wrote on his official website that choreographer Toni Basil taught him a type of moonwalk for his 1974 Diamond Dogs tour.

◆30歳でエレファントマン
話を『エレファントマン』に戻しましょう。
マイケルとデビッド・ボウイ・・
ふたりの天才アーティストは、
共に、エレファントマンの引力に惹きつけられました。

ボウイ、舞台版『エレファントマン』主演。当時30歳。

マイケルがエレファントマンの骨を買おうとしているという噂が流れ、
その直後に、エレファントマンの遺族から王立ロンドン大学に遺骨の返還の申請が起り、
遺族による金銭目当ての醜悪な出来事、スーパースターの奇怪な趣味のゴシップとして騒がれたのが、1988年のことでした。マイケル30歳。
そして、マイケルのバッドからのシングル、『Leave Me Alone』のSFで
アニメーション化されたエレファントマンがコラージュされて登場。

トップスターとして約10年の年月を直走った
30代にさしかかったマイケルとボウイは、
奇しくも、共に、
J・メリック氏(1862-1890)がかつて治療を受け、
遺骨と共に彼が作り上げた精密な教会模型が遺された
王立ロンドン大学内の博物館に足を運んでいます。



そして、彼らは、ヴィクトリア朝時代100年も前に生きた"異形の放浪者"の魂に
シンクロニシティーを感じたのかもしれません。
心安らぐ家庭とは無縁な者として育ち、
奇態を晒して喝采を浴びながら彷徨う"異形の放浪者"として、
自分の事のように理解できたのでしょうか。

ボウイは、複雑な家庭で育ちました。
ボウイには母の連れ子である7歳年上の優しい兄がおり、
音楽や文学など大きな影響を与えてくれた兄のテリーをボウイは慕い愛しました。
しかし、義父からは愛されず、母も実の我が子を守ろうとせず逆にテリーを阻害しました。
この複雑な家族関係の中でボウイは少年時代を送り、
兄に薦められたジャック・ケルアックの小説「路上」に刺激を受け、
やがて、哲学的な音楽家にしてスーパースターへの道へと進んでいきます。
一方、テリーは、兵士として空軍に入隊。
帰還後、精神ノバランスを崩してしまいます。
母方の家系に多く見られた遺伝的精神疾患の発生と見なされ、
母は、テリーを厄介払いするかのように精神病院に入院させてしまいます。
入院後、病状は改善するどころか悪化し、
退院することなくテリーは鉄道自殺を遂げてしまいました。
彼の作品世界には、常に影のように兄テリーが存在し、
ミステリアスにして奇怪鮮烈なデビッド・ボウイというスターは、
兄テリーの分身を宿していたのでしょう。


「戦メリ」のボウイ演じるセリアズの回想シーンは、弟との愛と悔恨の思い出。
歌の上手な弟は、せむし(hunchbacka)でした。
セリアズの「兄弟の軛」は、ボウイ自身にもリンクします。

片や、マイケルの生育環境は?
子供の頃から「金魚鉢の人生」「ステージがホーム」と本人が言うように、
プライバシーが守られることのない衆目の中に育ったので、
言わずもがな・・誰もが知るところ。よって省略します。


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マイケルのエレファントマン


Leave Me Alone(1989)


Morphine(1997)(Recorded 1991–1997)


D・ボウイのエレファントマン


The Elephant Man (play) on Broadway(Date premiered:19 April 1979)
at the Booth Theatre in NYC.


Scary Monsters (And super creeps)(1980)