「殺人狂時代」という邦題は、物凄い!
どなたが名付けたのでしょう? ほんとに素晴らしいです!
「○○狂」という、熱を帯びた暴走感と
「殺人」と「時代」が合体すると、
もう、「人類の集団自殺」の絵図が浮かんで、物凄いインパクトです。
この映画の核が、そっくり伝わります。
そこへ行くと・・チャップリンの付けた原題は、
物凄くシニカル。。
ひねりにひねっています。
優雅な素振り、虫も殺さぬ笑顔で、
ひたひたと、知らぬ間に忍び寄り、
突然、狂気に変貌する恐ろしさ。。そう私は感じる。。
まるで、原発だ。
前記事で、チャップリンの付けた原題『Monsieur Verdoux』、
つまり、ムッシュ・ヴェルドゥ・・『ヴェルドゥおじさん』は、
二人の実在の連続殺人鬼の混合的な人物像を反映しており、
その名も、
「Henri Désiré Landruアンリ・デジレ・ランドリュー」 +
「Thomas Griffiths Wainewrightトーマス・グリフェス・ウェインライト」
=「Henri Verdoux アンリ・ヴェルドゥ」なのだろう。。と述べました。
「Henri Verdoux アンリ・ヴェルドゥ」の「アンリ」は、
そのままだから、解るとして・・
「Verdouxヴェルドゥ」ってなんなの?・・ですよね。。
たぶん。。
「Verdoux」って、「Ver」+「doux」じゃないかしら?
現代フランス語の 「ver」は、「蛆虫」「幼虫」などを意味する男性名詞。
「doux」は、「温和な、穏やかな、やさしい、おとなしい、柔和な」という意味。
何の「幼虫」なのか?
殺人鬼が「穏やかな優しい」ですって?
遠くから地響きが聞えるような、いや~な恐ろしさをかもしています。
だって、ポスターがこれですもの。。
隣に住む、至って普通の優しそうな紳士風です。
殺人鬼が、このような風貌に擬態していたとしたら、
これほど恐ろしいものはないでしょう。。
チャップリンが、モデルにした殺人鬼二人も、
まさにそんな風体の人物だったのです。
モデルの一人、ランドリューは、
厳格な家柄の子息で、建築事務所でこつこつと働き、
こよなくバラの花を愛し、物腰も柔らかく女性を安心させる雰囲気があったと言います。
しかし、積立貯金を雇用主に持ち逃げされたことが引き金になり、
詐欺等の犯罪に手を染めていき、300人もの未亡人を騙し、
ついに、結婚詐欺罪で投獄されます。これを恥じた父親が自殺。
そして、これを機に彼は殺人へと駆り立てられて行きます。
レディキラー「青髭」の誕生です。ターゲットは、常に裕福な未亡人でした。
そして、
もう一人のモデル、ウェインライトは、教養ある文学者でした。
友人だった名文筆家のチャールズ・ラムは、彼を
「心あたたかな気さくなウェインライト」と呼び、
彼の散文を「美事なもの」と褒め讃えました。
しかし、彼は、祖父を保険金と遺産目的に毒殺。
その後も義母、さらに妻の連れ子にも保険金をかけたうえで毒殺しました。
そして、妻の連れ子までを殺した動機について、
「たしかに悪いとは思ったけど、あの娘は足首が太かったから仕方なかったんだ」と
供述した狂人です。
つまり・・彼らの分身『ヴェルドゥおじさん』は、
いかにも、表面上は「doux=温和な、穏やかな、やさしい、おとなしい、柔和な」
殺人者だったということを示しています。
けれど。。
チャップリンは、優しそうな殺人者『ヴェルドゥおじさん』にこう喝破させます。
「 殺人において私はアマチュアだ。
しかし世界は戦争による大量殺人を奨励している。
破壊兵器を製造し、罪もない女性や子供達の命を奪っている。
殺人者は権力を持つ貴方達であり、
私の犯罪に衝撃を受けているふりをしているに過ぎない! 」と。
「 一人を殺せば悪党だが、100万人を殺せば英雄となる。
数が殺人を正当化する。」と。
・・ということは、殺人者としては、
『ヴェルドゥおじさん』は、
まだまだ「ver=幼虫・・にすぎない」ということ。
殺人のプロとは、大量殺人を行う権力者であるということなのです。
中国の戦国時代の思想家、「墨子(ぼくし) 」も、
『墨子』非攻編に
「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。
数が(殺人を)神聖化する。」と言って、
ヴェルドゥおじさんと、ほぼ同じ指摘をしました。
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チャップリンの
『邦題:殺人狂時代』
『原題:Monsieur Verdoux』・・・
ブラックコメディですが、
今の日本では、笑えませんね( ̄□ ̄;)
私たちは、殺人のプロに
せっせと税金を貢いでいるのですから。。。