魅せるエステティシャン プロフィール | 魅せるリフトアップ専門店 個人エステサロン&スクールURURU(うるる)オーナーのブログ

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江東区大島駅より徒歩4分 魅せるリフトアップ専門店 『個人エステサロンURURU(うるる)』 魅せる経絡リフトアップ術を学ぶ『バランスリフトスクール』オーナー蓑輪静のブログです。

江東区大島、亀戸で個人エステサロン&スクール『URURU(うるる)』を主催しております

『魅せるエステティシャン』蓑輪静(ミノワシズカ)です。

ご訪問いただきありがとうございます♫



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自宅の7畳の一室に

エステサロンURURUをOPENして6年が経ちました。



エステティシャンとしては

多岐にわたりますが2013年7月で18年が経ちます。


サロンが7年目にあたって、

エステティシャンとして19年目になるにあたって、
もう一度自分自信と、エステティシャンというお仕事と向き合いってみました。



それをここにプロフィールとして記したいと思います。



ミノワにご興味を持っていただいた優しいお方^^
長くなりますが、よかったらお付き合いくださいませ。





【子供の頃から料理が好きでした。】



台所で届かない台にイスを置き、踏み台にして、
母の手伝いというよりも、邪魔をしていました^^


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中学生になると、カロリーにも興味を持ち始めました。
カロリーBOOKを購入し、四六時中読んでいました。


あまりに詳しくなったので、
友人からも「これは何キロカロリー?」とよく質問されてました。


ダイエットにも興味深々。
自分が人よりも足が太いことに気付き、
母によく『あの人と私とどっちが足太い?』と聞いていました。


でも、「食べることも大スキ!甘いものも大スキ!」

なのは変わりませんでした。


高校生になり、運動部に所属するようになると、食べる!食べる!!
「一日に何食食べてたんだろう?」という程に食べました。


そして、デカくなる(笑)

毎日自分でお弁当を作ってました。


相変わらず料理は大スキ^^

寝る前に冷蔵庫と相談して、明日のお弁当の見取り図を書いてから寝て、
朝は5時起きでお弁当を作ってました。


高校卒業後、栄養専門学校へ進学しました。

食に対する関心が高かったこと。


そして、当時は珍しかった
運動選手をパーソナルに指導する栄養士の記事を見て
すごく憧れたのもきっかけでした。


選手が最高のパフォーマンスをするために、
陰ながらサポートをする専門性の高い仕事内容に強く憧れました。


「プロフェッショナルでカッコイイ!!」

栄養専門学校では、毎日毎日、勉強に実習にレポートに忙しい毎日でした。


栄養士の勉強は、栄養学だけではなく、
運動生理学・生化学・解剖生理学・病理学などなど多岐に渡ります。


忙しいけど楽しい学生生活。


でも周りも自分も食べることが大スキ・・・

栄養士の卵なのに、食べてばっかりいました。


部活で体を動かすこともなくなっていたのもあり、
体重は増加するばかり。


アルバイトも頑張りすぎなほど頑張りました。


飲食のホールのお仕事が多く、
お客様から直接『ありがとう^^』と言ってもらえる
「接客業」が大スキだと気がついた経験でもありました。





【就職氷河期】


私が就職活動するときは就職氷河期と呼ばれた時代でした。



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受けては落ちる、受けては落ちる・・・

最終的には、憧れていた専門性の高い栄養士の仕事は諦め、
学校の推薦で行けた、社員食堂もある調理室に入社しました。


描いていた仕事には程遠い毎日でした。


毎日が退屈で、先輩を見ても憧れず、

自分の将来に期待が持てませんでした。


とにかく1年は頑張ろう。
そう思って、本当に1年でやめてしまいました。



【エステティシャンへ転職】



エステティシャンという仕事に興味を持ったのは、

親しい友人がエステティシャンの面接を受けに行ったと聞いて、
『エステティシャン』ってどんな仕事だろう???
と興味を持ったことがきっかけでした。


転職情報誌をよく見てみると~
あったんです、エステティシャンの求人が。

そこには『栄養士手当○○円』と書いてあるではないですか!
・・・・・・・・・・・


はい(^^ゞはじめはそんなヨコシマな気持ちで面接に行きました。



エステティシャンなのか?
エステシャンなのか???
それさえわかりませんでした( ̄□ ̄;)!!



簡単に入社出来て拍子抜けしたのも覚えています。



そんな大きな志もなかった

ミノワのエステティシャン人生のスタートです!



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大手エステティックサロン勤務時代
国内最大手のエステティックサロンに研修生として入社しました。


今思えばたくさんの研修を受けさせていただいて、

恵まれた環境でした。


3ヶ月間は研修生として勉強しました。


フェイシャル・ボディ・脱毛
全ての技術・知識も得ることができました。


覚えることがた~っくさん!!
でもすごく楽しかったんです^^



実際にサロン勤務となり、忙しさに驚きを隠せず・・・
あれができない、これができないなんて言えません。


出来ないと困るんです。


しかも、常に新商品・新技術が入ってきます。


先輩にお願いして居残って練習して、早朝チェックしてもらって~
毎日必死に頑張ってました。


お客様との時間はとても楽しかったです^^

でも、忙しかった~


忙しい店舗では、
1日の接客人数がMAXで22人∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
平均して14、5名のお客様を担当してました。


お客様の喜んでいる顔が見られて
『ありがとう!またお願いね!』と言っていただける。


こんなに幸せな仕事ってないな~
と思って無我夢中の毎日でした。


でも、サロン配属後1年が経って少し余裕が出てくると・・・

こんなに高い料金をいただいているのに、これでいいんだろうか??


もっとひとりひとりのお客様を大切にしたい!
もっとお客様のご希望、お悩みに対応できるエステティシャンになりたい!!


サロンワークに慣れてくると同時に疑問や、もっと~の気持ちががモクモク・・・

学ぶほどにこれでいいのだろうか??


と疑問だらけになっていきました。



また、寮生活での食生活の乱れと、

激務と、ストレスから、エステティシャンなのに、

ニキビと蕁麻疹に悩まされることとなりました。



現場でお客様に喜んでいただけても、
自分のエステティシャンとしての自信や誇りはどんどんなくなっていき・・・

職業は?と聞かれても
「エステティシャンです!!」っと言いたくないくらいまでになってました。



気がつけば1年後、

40人いた同期は半分になってました。


3年後には8名しか残ってませんでした。


約3年間のあいだに

担当した施術件数は10,000件以上になります。


今になればもっとよくわかるのですが、
大手サロンには大手サロンの良さがあります。


教育は一貫して充実していますし、設備もととのってますし、
スタッフの数がいるだけ予約取りやすいです。


でも、その時はただただ
このままじゃダメだ!!もっと学びたい!!


そう思い込み、3年後に退職。
化粧品や健康食品を扱うメーカーに転職しました。



インストラクターとしての初めてのお仕事

ここは自社ブランド化粧品・健康食品で

フランチャイズ展開をしている小さなメーカーでした。


(化粧品キープをしてもらい、1回の施術が3150円でうけられるという形態)


2週間の教育プログラムで、
個人事業主としてフランチャイズサロンを

オープンされる方に理論・技術を教えていました。


ここで、「知っているだけの知識」と、
「教えられるだけの知識」は違うのだということを再認識しました。


とても尊敬する先輩がいたので、
お手本に、勉強の仕方から教わりました。


2週間の教育プログラム後に

オープンされるサロンさんのお手伝い等もさせていただきましたが、

そこで現実の厳しさも知ることとなります。



カウンセリングを担当しても、なかなか次につながらないのです。


大手サロン勤務時代3万円は、ただの入会金でした。

その3万円でこんなにたくさんの商品が買っていただけるのに!
買っていただければ一回の施術代は3150円なのに!
化粧品だって、見た目は少しダサいけど、内容はすごくいいものなのに!


全然伝わらないのです。


『お試し3150円って書いてあったから

試しに1度来ただけだからいらない。』
・・・・・


3万円の化粧品を販売するのがこんなに難しいなんて。


同時に、今までは大手の看板があったから

お客様は安心して購入してくれていただけなんだ。


自分のカウンセリング力や技術スキルは
今の方が上がっているのに売上は上がらない・・・


衝撃でした。


オープンされたサロン様が、
現場で困っていること。
ぶつかっている壁。


何とかならないかと頑張っても、

経験の浅い当時の私には難しすぎる課題でした。


「どうにかしたい。」

でもメーカー社員ですから、

会社の意向に沿ってお仕事をしなければなりません。


もどかしさと、ストレス・・・・・・・・・・


ちょうどこの頃、

東洋医学にも興味が湧いていて、体質改善という言葉に興味深々!


「もう一度現場に戻ろう!!」


そんな思いもあって、東洋理念に基づいた新規オープンサロンの
オープニングスタッフとして転職しました。




【職種転々模索時代の数年間】



新規サロンオープンだというのにお客様は来ない。


東洋理念に基づいたサロンのはずなのに、

肝心の講師の先生は中国から来日できなくなり・・・

毎日が暇で暇で・・・

お客様が増えるように提案しても、改善の兆しは無し。


今までは忙しすぎて、

人間関係なんてこだわっている時間もなかったのに、

暇だとアレコレ詮索する人がいるのですね(@_@)


初めて人間関係が面倒に感じました。


結局半年で辞めることとなります。
(私が辞めて半年後にそのサロンはクローズになりました)


そこからはいろいろと模索することとなりました。



ちょうど世間は脱毛ブーム!!


今までの針を使ったニードル脱毛から、

レーザー脱毛、フラッシュ脱毛へと進化を進め、

提供価格もリーズナブルになっていく過程の時でした。


ニードル脱毛経験者であったため、

カウンセリングが出来るということで

あらゆるところで重宝柄れ手伝って欲しいと依頼がありました。



新店のオープンニングのお手伝い。
スタッフ教育。
脱毛器の営業。
様々な経験をさせていただきました。


20代の小娘が当時一千万円以上する脱

毛器の営業を担当するのって・・・

営業の厳しさと楽しさも少し体感しました。



脱毛は必ず結果がでる仕事です。
必ずお悩みを解消することができます。


なのでやりがいもあります!


でも、当時はお金が拘りすぎて、一攫千金を目指すような・・・
そんな空気も流れていて、正直疲れ果てました。


「私のエステへの思いってなんだったけ???」
「もう一度良く考え直して、一生働けるような会社を探すぞ!!!」


そう思って就職活動をしたのが27歳の頃です。





【素晴しい理念との出会い!】



自分なりに厳選して、長く安心して勤められる会社を探し、
化粧品や健康食品のメーカーにインストラクターとして入社しました。


そこで出会ったのが経絡リフトアップ美容でした。
目から鱗の出会いでした。

お客様のお悩みを、原因から解決する方法に出会えた!!
そう思える出会いでした。


その経絡リフトアップ美容の理念や、結果効果は素晴らしく、

人の体の素晴らしさや神秘を知り、エステティックの必要性を改めて知ったのです。


自分の体も変わりました。
下半身が太く、O脚で、バランスが悪く、9号パンツはパンパンだったのに・・・


7号のパンツが履けるようになって、スカートだって履けるようになったんです。


「エステティックって素晴らしい仕事だな~」っと心から思いました。

表面的な美しさだけではなく、健やかな体へと導かれる体感!!
エステへの自信と誇りを持つことができました。


これを世に広めなければ!!!
毎日毎日忙しく、休む間もない毎日でしたが、楽しくって仕方がなかったです。


発案者の鍼灸師の先生の指導のもと、


・リフトアップテクニックのマニュアル作り
・業務用化粧品、ホームケア化粧品の企画
・商品、技術のセミナーの全国開催
・サロンへ伺っての講習会
・スパサロン、訪問販売会社などOEM化粧品の提案、企画、卸


様々な経験をしました。


サロン様へ向けてのセミナー、

講習は5年間で400件以上担当しました。




今はそのリフトアップメニューが

エステルームURURUの人気NO1の看板メニューとなっています。



【個人サロン『エステルームURURU』OPENへ】



仕事は楽しかったんです。

毎日充実してました。


どんどんスタッフの人数も増えて、やることも増えて、
自分の思いが届かなくなるもどかしさが募っていきます。


伝える術がなくて、忙しさに負けて、
今思えば、諦めてしまったんだと思います。


結局、組織の中で働くことが苦しくなって、
あんなに大好きで、使命感に燃えていた仕事を辞めることになりました。


しばらくはなにもせずのんびり~


とも思いましたが・・・

資格の取得のために、

通信教育を始めたり、スクールに通ったりしました。



これからどうしようかな~?
どこかに就職する??
どこに???
またどうせ辞めちゃうよ~!!!!!


最後の転職にしようと思って就いた仕事をやめてしまい、

自分は何も続けられないダメな人なんだと、どこかで自分に自信を失っていました。


仕事を辞めてきた自分に自信が持てなかったんです。

就職は難しい。
でもエステティシャンとして働きたい。


一人でサロンをする??

一人でサロンを経営するということは、
責任転換する場所はない!ということ。覚悟がいります。


そう思うと・・・

何故だかそのほうが向いているような気がしてきたんです。


『どこかに勤めるよりも、一人で責任をもって働く方が向いていると思う。』


やると決めたら行動が早いので・・・
決めてから3ヶ月後に『エステルームURURU』をオープンしました。

もちろん自分のやりたい事を並べて、理想のサロンを目指しました。



しかし思いだけで、経営的な計画性はゼロ・・・
多少の苦労をすることになりましたけど(笑)


度々お客様に、
『なんで自分のサロンを持ったのですか?』
と聞かれることもありました。


『それしかなかったんです。』
と答えてました。


答えになってないですよね~

それしかない=勤め先がなかった
とは言いにくかったです(笑)



『なんでだろう??』
明確に答えられるようになったのはオープンして数年経ってからでした。


「正直に働きたい」この思いにつきます。


その思いにちゃんと気がついてから前にもまして仕事が楽しくなりました^^


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学生時代時憧れた・・・
スポーツ選手が最高のパフォーマンスをするために、

陰ながらサポートをする専門性の高い仕事内容。

プロフェッショナルでカッコイイ!!


そんな仕事をしたい!



でもどうやったらそうなれるのかわからなかったのですが・・・




今は、こうして一人一人、

「美しく健やかでありたい!」と願う女性の陰ながらのサポートを、
専門性を高めて、プロフェッショナルを目指して、担当させていただけている^^



ひょっとして夢を実現しているのでは?!!!

毎日充実して、とても幸せです^^





【魅せるエステティシャンへ】


自分自身に『魅せられるほど』の『結果』を出すエステティシャン


エステサロンURURUは、
ただ美しいだけではなく、『健やかで美しくありたい』
本物の美しさを願う女性に選ばれています。



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長くご愛顧いただくお客様も多く、
3年以上お通いのリピーター様が6割をしめます。



魅せられるほどの美しさを求めれば、そこには健やかな美しさが待っている。


そして5年後10年後はより磨かれた自分へ~



一流のスポーツ選手の筋肉や身体は、しなやかで美しいです。
世界で活躍する美女は、個性はそれぞれでも健康美そのものです。



ただ痩せてればいいのではないし。
見た目だけが綺麗ならばいいわけでもありません。




若い時、10代や20代はそれでもOKです。
徐々に見せかけだけの美しさは通用しなくなっていきます。



クリップ化粧で隠せないくらいのシワ・しみ・たるみ・・・
クリップ艶のない髪、肌・・・
クリップ細くっても痛いヒザや腰・・・
クリップ見た目が太っているだけではなく、襲いかかる内臓疾患・・・
クリップ若いつもりでも続かない体力・・・気力・・・




そして矛盾しますが、見た目はやはり大切です。



美しく整えていれば、生活・体・心・素肌が整い潤います。
投げてしまえばますます荒れ果てます。



本物の美しさが持つ力は大きいのです。




『魅せるエステティシャン』として



魅せられるくらいの美しさを求めてURURUへ通っていたら、すこぶる健康で楽しい毎日だった♫



そんなエステティックを目指しています^^



エステティックとは、
癒されて、尚且つ美容効果が得られること。
続けて尚、健康に導かれること。



『おもてなしの心=癒し』『結果』にこだわり、


ひとりひとりのお客様に


エステティックを通して、本当に価値のある時間を約束し、


世に貢献していくことを誓います。



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エステサロン&スクール URURU(うるる) 蓑輪静