特に、言うべきこともないですけどね。
優出できなかったのは、もちろん残念だけれども。
1000勝達成の方は、いつか必ず来るものだと思っているし、そうとわかっているものを待つことは決して辛くない。
紆余曲折もまた、その道程を彩るもの。
どんなに今がダメでも、その先に続くものがあることを信じている。
だから、ある意味、かなり気楽に構えているかも。
もちろん焦らされてるような思いはあるけど、少なくとも12位付近で年末迎える時よりは、気分的には大分マシかな、って(笑)。


それでもまぁ、今日のレースを見れば、思うこともある。
進入を動く・動かないの選択一つにしたって、選んだ時点で、それに対する責任を負う。
能動的に動くものがあれば、必然として受動的に外に出されるものが出てくるわけで、結果的にそこにも選択は発生する。
突っぱねることも可能。
だが、無理にそうすることで自ら進入を深めるリスクを負うか、否か。
いずれにしても、どうなろうとその結果は自分で負わねばならないし、それに対して言い訳しようだなんてこと、誰も考えてないだろうと思う。
そのどれもが、勝つために選んだこと。
少なくとも、そうでなくてはならない。
たとえ、それが結果に結び付かなくとも。
そう考えれば、クリーンであることも、ダーティであることも、結局同じだけのリスクを負うことには変わらない。
自分で選んだことに対する責任は、平等に負ってもらわなくてはならない。
もちろん、勝つために泥をかぶることを厭わない人間の方が強い。
何言われたって平気な人間なんていないけれど、それでも、自分を汚す覚悟がない人間はきっと本当の意味では強くはなれないと思うし、そもそも勝利への姿勢をそうした覚悟で示せない選手を信用してお金を託すことは、できない。実力以前の問題として。
しかし、それは綺麗事を言うことを否定しているわけでなく、綺麗事だと否定されても自分を肯定できる厚顔さ必要だということだと思う。
何をしても、何を言っても、アタマから全てを否定されることだって、人生にはたくさんある。
だが、それでも揺るがないものがあるなら、それは確実にそのひとを強くする。

絶対に泥をかぶらない人間は、残念ながら、いない。
ブレない理想があってもズレが生じるのが現実というもの。
わざと汚れてみたり、その汚れを拭ってみたり、そもそも汚れているのに気付かなかったり。
そんなところを行ったり来たりしてるのが、目に見えている現実としては正しい。
キレイでクリーンなものはわかりやすいけど、本当に清廉潔白なひとなんかいないと思う。
殊に、勝負の世界では。
でも、そんな世界で、それでも綺麗事を言いながらど真ん中を真っすぐに貫いていく覚悟があるなら、きっとそれに価値があるんだと思う。
結果を出すことはもちろん。でなければ、誰も何も認められることはない。
でも、その結果に辿り着くまでの過程で、なにかひとつ輝くものを認めるなら、本当は、そこなんじゃないだろうかと思う。
そして、強さの芯がそこにあるのなら、どんなに回り道をしたとしても、いつか必ず、辿り着くべき場所に辿り着く。
…だから、大丈夫だと思う。

自分の思うように事態が回らない時こそ、信じることが大切。
焦りや苛立ちは、空回りする現実を加速させるから。

明日、最終日。
良い結果で締めくくれるように祈りながら、場外にて見守っています。