岐阜・石川より無事に帰ってまいりました。
実際のところ、わたしは車椅子の母親の付き添いとしてついていったんで、ただのオマケだったんですよね。
楽しい旅、というよりは、苦行みたいなもんでした、正直。
来年もまた行こう、と言われましたが、正直もう行きたくないです(笑)。
介護が大変とかいう問題よりも、よく考えずに喋る両親の無神経発言連発の方が、余程わたしを疲労させましたね…。
あああああ、思い出すだけでイラッとする!(笑)

まず最初が悪かった。
いい年の娘があまりキャピキャピした格好をして親に恥をかかせてはいけないと思い、比較的落ち着いた色合いを選んで行ったんですが。
そしたら、会うなり母親が一言。
「なに、そのおばあさんみたいな格好。わたしの方が余程若い格好じゃない」

…………。

そりゃアナタ、年甲斐もなく某キャラクター入りの服とか着てるしね…。
わたしは、さすがに恥ずかしくて、そこまで子供がえりできないんで。
それを若さと呼ぶのであれば、むしろ、わたしはおばあちゃんでいいです…。
(言っときますけど、別に普通の格好ですよ。色が黒とか青を基調にしてるだけで…)
…そんなこと、言わないですけどね…。
……はぁ……。
親の心子知らず、とは言いますが、子供の心だって親は全然知ろうとしませんよね?(笑)
そんなの、本当にお互い様なんですよね…。
なのに、なんで、親だけが「子供は理解してくれない」なんて被害者みたいな顔してるのか(笑)。
すっごい理不尽!!
もちろん育ててくれた恩は感じてるし、それに報いるつもりではいますけど。
ただ、それとこれとは話が別!別なんです!(笑)

そんな始まりをしたこの旅でしたので、最後までこんな感じでした。
だから、正直、旅の内容はあんまり覚えてないですね…。
車窓から荒れる日本海を眺めてる時だけが癒しでした(笑)。

でも、いろんな意味で、勉強になった旅でした。
まぁ、無神経な母親のことはどうでもいいんですけど(笑)。
とにかく、この旅の間中、バリアフリーという言葉の中にある温度差を感じましたね。
健常者の考える「バリアフリー」がいかに偏ったものかが、よくわかります。
具体的に挙げても仕方ないですよね。
一人一人、症状は違うんです。できることとできないことは、それぞれ違います。
一口に「バリアフリー」を名乗っても、それが全体から考えて、どの程度の障害に適応できるのか?
もし適応されなかった人には、どういう対応をするのか?
ひどく難しい問題ですが…。
でも、その「バリアフリー」の言葉を信じて足を運ぶ方の気持ちを思うと、もう少しなんとかならないのかな、とは思います。
そういう局面になったとき、周囲に気軽に助けを求められる方ばかりではないですからね…。

でも、わたし、昔から思ってたんですが…ふつうのひとって、危機感、ないですよね。
どんなに健康な人も、そうでなくなる可能性はありますよね。事故とか災害とか、何が起こるかなんかわかんないんですし。
たとえ何事もなく年を取ってゆくことができたとしても、いつか必ず、動けなくなる日は来ますよね。
それが自然の摂理であり、当たり前のことなんです。
今は動けるからいい、というのが、後にどれだけ自分の行動を制限するのか。
そうした想像力を鍛えることも、この時代には必要なことだと思いますよ。

ほんの小さなことが、できない人もいるんです。
それを取り除くことのできる優しさを育てること。
それが、いつかの自分を救うんですよ。
情けは人の為ならず、というのは、そういうことなんじゃないですか。
よろしければ、ちょっとだけ、考えてみてください。
その優しさを必要としている人が、必ず、どこかにいますから。


…なんだか、旅行というよりもすごく真面目な話になっちゃいましたね。
むー。

ま、競艇話はまた次から復活します。
てか、わたしが見てなかったり買ってないときの方が智也さんが勝つので(ケコたんに「おねがい、ずっと買わないで!」と言われた…)、なるべく児島終わるまで触れないようにしてるのです(笑)。

複雑な心境(笑)。