いきなりですけど、伊坂幸太郎をご存じでしょうか?
彼の著作である「死神の精度」(少し前に映画化しましたね)という小説に、こんな言葉がでてきます。
「人間が作ったもので一番素晴らしいのはミュージックで、もっとも酷いのは渋滞だ」。
突然の死を迎えるはずの人間がいるとして、その運命が正しいものであるか否か、それを裁定することを生業としている死神のことばです。
ちなみにこの死神、人間にはまったく興味がなく、人間の生死なんかどうでもいい。むしろ音楽をきくために仕事してるみたいなとこがあるくらい。
とはいえ、人間がいなきゃ音楽もないんで、もう少し死神は人にやさしくてもいいと思うんですが。そこはそれ、ということのようですねぇ。

わたしはもちろん死神でもなんでもなく、間違えようもない人間そのものなんですが。
基本的に人間なんかロクなもんじゃないと思って生きているので、人間の作り出した大概のものが好きではないし、信じてもいません。
これもまた、嫌いなのとは、話が別のことですが、まぁ、それはともかく。
人間には興味はないけど音楽は好き、という死神ほど極端ではないですが。
わたしも、音楽は好きです。
音楽ならばジャンル関係なく何でも好き、という節操のない死神とは違って、わたしは究極的に人の声に勝る楽器はないと思っているので(しかし、その一方で、人の怒鳴り声よりもひどい楽器はこの世には存在しないとも思っている)。
その持論に則れば、うたが好き、ということになります。

今日、知り合いに誘って頂いたチャリティーコンサートで、アカペラを生で(マイクを通さずに)聞く機会に恵まれました。
これが、実に、素晴らしかった。ちょっと感動しました。
マイクを通した歌声が、いかに本質とかけはなれたものなのか、ということを実感。
わたしたちは大きさばかりを誇張された作られた音に、慣れすぎているのかもしれないと思いました。
そうしたことに気付いただけで、価値があることだよなあと思いつつ。

コンサートの主旨を理解した上で、音楽も十分に満足させて頂いたので、手持ちのお札(野口だけど)をポンと募金させてもらいました。
もらったものは、何らかの形で返すのが、礼儀です。
感動もまた、くれた人にその感動を伝えることで、その大きな恩に報いることができるでしょう。
そうして繋がっていく思いがあるなら、それは、とても素敵なことですね。
たぶん、それを左右するのは、伝えようという心の働きなんでしょう。
そして、伝えたいことの本質的な重みです。
本気で伝えたいと思うたったひとつのことを選ぶことが出来るなら、それは間違いなくちゃんと伝わるものなんです。
それでもひとは迷うから、伝わらずにすれ違うのかもしれません。
それでも、そうしたすべてを超越する瞬間があることを、音楽は教えてくれます。
死神にはわからない、音楽の醍醐味ですね(笑)。


攻めた結果のことだから、納得している。
そう言いながら、福岡の結果には、やはり少しだけ落ち込んだりしてたので。
そのあとに、思いがけなく良いものに触れて、気持ちを浮上させることができるのは、本当に良かったと思いました。
落ち込んだままで1日が終わらないのは、それだけで幸せなことだね。