人生なんて、そんなもんだよねぇ…。

恋多き女というわけではなく、ずっとひとつの恋を大切に育ててきたわたしにとっては、正直、あんまり恋愛自体を「いいもの」だとは思えないけれど。
いいものじゃないから、たくさんはいらない。他人と共にいることで、いいことも悪いことも普通に無造作に降ってくる。その覚悟も必要だし。
でも、恋愛によってどんなに傷ついても傷ついても、「だけど、わたしはまた恋に落ちます」と言えちゃうのは凄いなって思う。良くも悪くも。
みんな、そんなふうに恋してるのかなあ。
…疲れる生き方だなあ。
パワーあるよなって思う。
ま、それも人それぞれだよね。
でも、恋愛に落ちない子を見て、「この子はいつも情緒が安定してていいよね。羨ましい」と言ったりもするし。
それも多分、本音なんだろう。
女の子って、よくわかんないや。
恋をすれば、そこにあるのは必ずしも幸せだけじゃなく。色々不安定になるのに、それをなんだか、良いもののように思ってる。
なのに何故恋をするのか、そこには誰も疑問を抱かない。
わたしはいつも疑問だったし、今でもよくわからない。でも、一通り悩んで、わたしなりの答えを出して、今ここにいる。

恋をすれば、しあわせになる。
恋をした結果に、しあわせになる。
しあわせになるために、恋をする。
同じように見えて、それは意味の全然違うことだから。
でも、その意味は自分で考えて、自分で出さなきゃいけないよね。
そうやって無言のままに突き放しちゃうとこが、わたしは友達としてダメなのかもしれないと思う。
だけど、内面は、自分でしか鍛えられないものだ。
人と一緒にいるのは、どうやったって傷つき、傷つけ合うことに繋がりかねない。
そうならないために相手を知り、またその過程で自分を知るんだと思う。
言うべきことも、言わざるべきこともある。
その判断は自分でするし、その責任は自分で負うしかない。

がんばれ、と素直に背中を押してあげたくなる、その一方で。
これは自分で苦しんで、自分で出さなきゃならない答えだから、わたしは何も言わないよ、と状況を流れるままにさせておく冷たさも、わたしのなかにあることを知っている。

わたしは、人に、影響を与えることを選ばない。
言葉を巧みに使い分ける術を持っているからこそ、自分の関わる世界以外の変革には、触れたくない。
その気になれば、ひと一人の人生を容易く変える力が、言葉にはある。
だからこそ、わたしは容易にその力を行使することはない。
思ってることはたくさんあるし、それを言いたいとは思う。
…でもね。
言ったら、それにすがってしまうでしょう?
もし自分が不幸な方に転んだとき、「あのとき、あの人がああ言ったから」って、言い訳にできてしまうでしょう?
たとえ、それが最終的に自分で選んだことだとしても。
それは、その人のためにならないと思うのだ。

だから、容易い慰めや励ましは、言わない。
生身の人間と相対するからこそ、無責任にはならない。
これを誠実と呼ぶか不誠実だと呼ぶかは、それもまた人それぞれだろう。

好きにすればいいのさ。
わたしの真理は、結局そこから動かない。
どんなことも、決して無駄にはならない。
だとすれば、悩むだけ悩めばいいのさ。
ヒヒヒヒヒ。
(鬼だ…)