書きたいことがたくさんあるほど逆に沈黙したくなるのは、私の悪い癖かもしんない。
答えがひとつに決まってることにあーだこーだ悩んで頭を痛めるのもバカらしいのに。
すべてを生真面目に悩んだ結果、面倒臭くなってすべてを放り出す。
そんなことの繰り返し。

でも、何も考えずに素の自分を曝け出せるのは、幸せなこと。
私みたいに、大切なものを守るために絶えず周囲に気を配ってきた人間には特に。
その努力の多くは誰にも気付かれず、何も起こらないという味気なさでのみ報われる。
作業としての達成感はまるでなく、時に、死にたくなるほどの虚無が、延々と果てしない荒野のごとく広がっている錯覚まで覚えた。

ひとりでいることが楽だったのは、誰にも気を使わずに済む唯一の時間だったから。
果てない人の波に溺れる悪夢は、少なくともひとりならば怖くなかった。
誰かに沈められて窒息するより、孤独に溺れることの方がまだ生きるためには障害が少ない。
それだけの、合理的な判断にすぎない。

…でも、誰かといても気を張らなくてもいい瞬間があるって、すごく、いいことなんじゃないか。
自分をラクでいさせてくれる相手に巡り合って、その相手が自分の傍にいてくれることを選んでくれるなら…。
それは、何にも代えがたい幸福なんじゃないだろうか。

人は、人のなかに在ることでしか気が付かないこともある。
だから、それが私にとって辛く重くても、その営みを区切りをつけることはなく。
そのための勇気は、さまざまな形で与えられるもの。
そして、与えられていたことに気が付いた、そんな瞬間があることが、嬉しい。

時は、さまざまな変化を人に与える。
だが、その例外もまた死ぬほど見てきた。
無為に過ごした時を惜しむことなく、結局は大人になり損なった子供の残骸を。
飛ぶための術を親から教えられないまま解き放たれた、そのことをいつまでたっても恨み続ける雛鳥を。
自分の人生を他人に預けたまま、足場が安全なことを確かめてから、そのくせ居心地が悪いと文句を言っているような連中。
吐きたくなるような激しい嫌悪感だけが、いつもそこに残った。
だから、いつもなかったことにした。

人は変わる。
進化もするし、劣化もする。はたまた変化もする。
にもかかわらず、たださまざまな人の劣化していく瞬間にばかり立ち合うことに、私は少し疲れていたのかもしれない。

人は変わる。
そう、人によってのみ、人は変わってゆく。
だから、どのように変わってゆくのか、自分の変化は自分で見極めねばならない。

今、自分が何処にいて、何をするべきなのか。
何を選び、何を捨てるべきなのか。
それを決めること。そして、その決断に責任をもつこと。
それが出来て初めて、人は人間になれるのだ。

私の結論は変わらない。
ただ、人の波に揺られながら、忘れたり思い出したりを繰り返す。
迷いながら、傾きながら。時にひっくりかえってすべてを失うこともあるけれど。
でも、そうして生きていくことを、恐れはしない。

どれほど多くの人が周りを取り巻こうとも、私は一人で立っている。だけど、足早に通り過ぎる人の群れの中で、笑って私を待っていてくれる人。その差し伸べられた手のぬくもりが、与えてくれるものがある。
それを私は、知っている。

でも。
選ぶのは、自分自身。
その言葉の本当の重さに気が付いたときに、人生というものは初めて産声をあげる。
誕生日、おめでと。
…本当の意味でそれを言える日がくるといい、と思う。