そのレースのあと、しばらく、言葉がなかった。
今も、正直、ちょっと辛い。


今日は、11レースだけしか見れなかった。
昼間に出かけていたから10レースまでは全然見られなかったし、その後12レースもすぐに旦那の送迎に行かなければならず、その時間帯は車上の人となる。その関係で、まともに見れたのは11レースだけだった。
…その11レースが、まさかあんなことになるなんて思ってなかったけど。

久しぶりに強い光ちゃんが見れて、嬉しかったのに…。
児島はインが強いところだし、光ちゃんは心配いらないかなって思ってたんだけど…。
赤いひとだけでなく青いひとも緑のひともヤル気満々で。
枠なり全盛の近年、あまり見られないすごくピリピリした侵入だった。
それは非常に面白い部分なんだけどね。でも、あんなある意味ばかげた並びになるとは。少なくとも、私はこれは事前には予想がつかない。

まだまだ甘いなって自分でも思う。
だって、いつもの普通のレースとワケが違う。
これは、SGの準優なんだから。
誰もが、必死にたったふたつの椅子を奪いに行くワケで。
それは当たり前のことなのに、一体何に慣れてしまったのか、たまにこうした熾烈な争いを目にすると、頬を張られたような衝撃を受ける。目ェ覚ませ、って言われてるみたいなかんじ。
まぁ、レースによって温度差があるのは多分仕方ないことなんだけどさ…。
選手の気持ちになってみれば一目瞭然なんだけど。
毎日たくさんのレースを見て慣れてゆくうちに、つい、いろんなことを忘れがちになる。

…でも、選手自身にとって思い入れや意気込みが深いレースであればあるほど、あんなふうに負けてしまうことは…。
ニフティさんの記事に、戦いのあとの様子があって…痛々しくて、見てられなかった。

笑顔よりも、俯いたり涙を流すその表情の方が、記憶に鮮烈に残る。
勝利の栄光をつかんだものよりも、屈辱に膝を折ったものの方が気にかかる。
…それは、私の癖みたいなもの。
いつも、光の当たらなかった影の部分ばかりを見てしまう。
優出したひとより、できなかった多くのひとたちのことの方がずっと気になる。
その理由は、たぶん、そこから始まる物語の存在を感じるから。
涙を拭って、また立ち上がり、再び走り出せる力を取り戻すまで。
走って走って、また頂点にたどり着けるその瞬間を迎える、そのときまで。
その背中を見守っていたい、と。
そう、思うから。

倒れては立ち上がり、また倒れては立ち上がる。
ひとは、そうやって自分の人生を、運命を、少しずつ回してゆく。
近道なんかどこにもないし、誰も自分の代わりにこの道を歩んでなどくれない。
それを、転ぶたびに思い知りながら。
でも、何度沈んでも、また立ち上がり、歩きだす。
それには、理由なんかないのかもしれない。
そのように生まれてきた、それだけの話なのかもしれない。
だから信じることもできるのだと思う、自分の内に在るものを。

いつか、たどり着けるだろう、その場所に。
明日、たどり着くのは誰なのだろう。
それは決して楽なみちのりではなく、今日は勝負に勝つことの出来た彼らもまた、長く続く自分の道を巡り巡って、ここにやってきたのだろうから。

深く沈んだその痛みは、きっと、いつかの明日へ繋がるだろう。
そして、そのすべてがひとつに繋がった瞬間を、いつか私は目にするのかもしれない。

…それを、私は、信じている。