約1500人もの選手がいる中で、ひとつの競艇場、ひとつの節に集まる人数は最大で52人(正確にどうかは知らないけど)。
その52人がどのような能力を持ち、どのような戦いを得意とするか。そしてそれぞれにどのモーターがあてがわれるか。
その組み合わせは幾千にも幾万にもなるだろう。
だから、ひとつとして同じレース、同じ節は存在しない。
毎年同じコンセプトで、同じ名を冠したレースが行われているとしても、ひとつひとつのレース、それを構成するコンテンツは分子のレベルから違っている。

実力に差が無く、凌ぎを削り、互いに肉薄しあう戦いがある。
かと思えば、圧倒的な力の差で他の追随を許さず、後ろを振り返ることなく水面を駆け抜ける者もいる。
一連の戦いがどのように終局に導かれるのか。そして、導くものとなるのは、一体誰であったのか。
その答えは、もう出てしまった。

選手それぞれに、背負うものがある。
まだ若い彼らの中にも、その行く先に重苦しく影を落とす何かは、確かに根ざしている。
確実な終末。未来は無限の可能性を秘めていても、これだけはどうしても、終わりが見えている。だから、区切りを越えるその瞬間を悔いのないものにするために、最善を尽くす。
過去の後悔。あのとき失ったもの、つかむべき未来を取り返すために、また同じ舞台へと立つ。
重い枷。激戦の中を勝ち抜くために支払った代償がどれほどその身を縛ろうとも、未来につながる糸がその先にあるなら、どんな領域にも飛び込んで行く。
様々な思いが錯綜する中で、勝利の女神が選んだのは、重い足枷をものともせず全速でスリットラインを駆け抜けた、その勇気の持ち主だった。


山口剛。
F2のハンデがあっても、彼の下馬評は揺らぐことなく高かった。
だが、それは、彼の圧倒的な実力の高さと共に、それについていけていない同世代の成長の遅さをも露呈している。
今節は、転覆の多い一節だった。事故が多いのは、新鋭だからというのもあると思うけど。それ以上に、焦りのようなものの存在を感じる。
今の新鋭世代に、昔ほどの輝きがないのは確かだと思う。
だが、それはたぶん時と共に解消されるだろう。
出世の早さだけが問われるわけではない。
焦らずに一歩一歩、自分のペースで自分に必要な階段を昇っていけばいいと思う。
それでも、わかっていても結論を急いで失敗を重ね、結局遠回りしてしまうのが人生なのだけれどね…。
それは、通り過ぎなければわからないことでもある。
だから今は、腹を決めて思いっきり遠回りしちゃえばいいと思う。

最後になったけど山口くん、おめでとうございます。
諸々のお祝いとして、笹川賞、投票しときます。
だから地区戦でも元気に回ってね。




…ちなみに、よく考えると新鋭王座優勝者って、フライングの事故禍に苦しめられる選手が多いような…。
気のせいかな。