Faro de vida

「命の灯を消さないで

―死刑囚からあなたへー」 を読んで

            りりと

 

48号にカレー事件で冤罪を主張している林眞須美さんのことを書いたので、その号を本人のいる大阪拘置所に送った所、会計課領置係から簡易書留郵便が届いた。

「差入品の引き取りについて

 先般、貴方から 林眞須美さんあて小冊子の差入れがありましたが、法令の規定により、当所においては受け付けることができません。ついては当該物品をお引取りいただきたく、当所窓口まで受け取りに来られるか、送料着払いでの送付を希望されるかについて、別紙申立書に必要事項を記載の上、当所あて郵送願います。(中略)当所からお知らせした日から六ヶ月を経過するまでに貴方が当該物品をお引取りいただけない場合には、当所において処分いたしますので、あらかじめ申し添えます」

 要するに郵便物は開封され、検閲の結果本人に渡せないというのだ。プライバシーの侵害が国によって行われる! 死刑囚だからこんなことが許されるのか? 死刑囚に人権はないのか? むろん林さんからの手紙や林さんを支援する会の会報などで、開封や制限のあることを知ってはいた。が、まさか自分が送ったものが開封されるとは! 廃棄にしようかと迷ったが返却を求めると、3週間後に簡易書留で返送され、返送料800円を請求された。メール便で80円で送ったものに十倍の代金を払わねばならないなんて! もう! が、死刑確定後、弁護士と家族など限られた人のみの交流しか許されなくなった林さんの怒りは百倍、否、千倍だろう。

 さて前回、F48号を読んだ読者Oさんから、「命の灯を消さないで」という本を贈られたことに触れたが、今回はその内容の一端を紹介したいと思う。副題にある通り、これは“死刑囚からあなたへ”のメッセージで「105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び」である。(死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90編・インパクト出版会)

 今年裁判員制度が始まったが、死刑制度のあるこの日本で、一般の人が死刑を申し渡す立場になる可能性もあるというのに、確定死刑囚の状況についてはほとんど知らされていない。国会議員の福島みずほ氏が序文で「死刑制度のあり方の問題で大きなことは密行性だ」と書いている通りだ。これではいけない。国民には知らされるべきだし、知るべきだ。

アムネスティ・インターナショナル日本の石川顕氏によれば「日本政府は死刑情報を国内ばかりか国外にも隠しつづけている」。

アンケートは、福島氏を通じてなされた。「死刑確定囚の人たちとの手紙のやり取りも極めて困難で一般的には不可能なので、国会議員を通じて、国政調査権を使って」。

死刑制度廃止のために活用すると述べた上、第一に、今一番訴えたいことをお書きくださいとし、質問の内容は生年月日、最高裁判決または控訴・上告を取り下げた日、弁護人について、再審請求について、恩赦出願について、他8項目である。

 2008年7月に行われたこのアンケートの返答は77通。内、再審請求中の人が43人、冤罪と主張する人もいる。中で面会も文通も全くない人が3人、面会がないという人が14人。年齢は27歳から86歳。アンケートとは別に1通の手紙も加え本はまとめられている。

 読んでまず驚いたのは、調書は本人の供述どおりには作られない、とかなりの人が言っていることだ。「警察官が書く供述調書というものは、こいつを犯人にしようとの意図を持って懸命に綴られた作文なのですよ。その作文を更に漫画にしたのが検察官の調書といえるでしょう」(鎌田安利氏・5人女性連続殺人事件)

「重造罪を創作されて、死刑へと追い込まれた」(山野静二郎氏・不動産会社連続殺人事件)。「再審に関し、私は『共謀共同正犯』という事で死刑を選択されている訳ですが、私は、被害者に会ったことも無いし、名前も知りません」(猪熊武夫氏・山中湖連続殺人事件)「私の事件は強盗殺人事件と認定されています。しかし、私本人は強盗殺人を共謀したこともなければ、殺意もありません。(中略)主犯がまだ捕まっていませんので、各裁判所が事実を歪曲して従犯である私の命を主犯の身代わりにしなければ、裁判官たちと一部の関係者の憤慨及び被害者の御遺族の方々の怒りや表面的な犯行様態しか知らない世論を宥めることができないということです」(何力氏・パチンコ店強盗殺人事件)

「一般の人は信じないと思うけど、今の日本の刑事は事件のでっちあげも日常的にやっているし、まして調書の改ざんなんてあたり前にやっているのです。だけど無実を訴えても今の裁判では無罪になる事はないし、たとえ無罪を勝ち取っても年月がかかりすぎるから、懲役に行った方が早く出れるので皆、我慢しているのです。俺の殺人などは事実は変わりませんが、事件の内容はかなりでっち上げなのです。だから俺は100%無罪の死刑囚は何人もいると思っています」(尾形英紀氏・熊谷男女4人拉致殺傷事件)

 数えてみると冤罪を主張している人はこの本の中で18人もいる。

「死刑になるのだからこそ真実は大切なのではないでしょうか」(川村幸也氏・2女性ドラム缶焼殺事件)。

 つぎに死刑制度について

「俺の考えでは死刑執行しても、遺族は、ほんの少し気がすむか、すまないかの程度で何も変わりありませんし、償いにもなりません。俺個人の価値観からすれば、死んだほうが楽になれるのだから償いどころか責任逃れでしかありません。(中略)死を受け入れるかわりに反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族の事を考えるのをやめました。なんて奴だと思うでしょうが、死刑判決で死をもって償えと言うのは、俺にとって反省する必要がないから死ねということです。人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、くり返さないようにするのではないですか。将来のない死刑囚は反省など無意味です」(尾形英紀氏)

「このごろでは、死刑支持率が8割近くもあると言われているようです。そこにあるのは、現社会の厳罰化傾向が背景にあります。こうしたことから死刑判決や執行が急激に増加し始めました。なぜこういった現象が起きるのか。それは、メディアが被害者意識を煽るからであります。たとえば、∧人をこのようにした人は、やはり死刑にされるのが当たり前ではないでしょうか。どう思いますか…∨(中略)マスコミが作る現社会の死刑とは、すなわち感情論であり、応報刑主義。見せしめなんです。

死刑囚の立場である私などが思うには、そうではなくて、人間は変わりうるのだということを、もっと知ってほしいのです。死刑囚の中には心の底から反省している人もいます。確かに全然反省してない人もいます。(中略)私の理解では、死刑の責任はこの制度を支持する国民にあると思います」(岡本啓三氏・コスモ・リサーチ殺人事件)

「今日本国民の大半の人が死刑制度の存続に賛成している事を考えると、社会の歪みを感じずにはいられず、日本に死刑制度があり続ける以上、国民の命に対する価値観は損なわれ、人の痛みや苦しみを理解してあげられる人間は増えて行かないと思います」(西本正二郎氏・愛知・長野連続殺人事件)

 償いについてはどう考えているだろうか。

「生きて罪を償えない死刑囚だからこそ、希望する人間には、臓器移植や献体がスムーズに受けられるようになればと思う」(西本正二郎氏)

「法相や、一般の方々には、塀の中は不毛な場所、不毛な時間、不毛な生活…生きている価値のないもの…とうつるかもしれませんが、それはただの妄想です。塀の中でも、人として正しく生まれ変わり、自分のなした罪と向き合いながらも、充実した生活を送ることができるのです。誰でも(私も)与えられている環境の中で、(人として)最善のことを尽くすことができるのです」(匿名男性C氏)

このC氏の言葉には「(もし死刑制度が廃止された上で)終身刑となるならば」という前置きがあるが、∧法相や一般の方々∨と全く逆の価値観を述べている。

 

死刑囚は「どうしようもない奴」だろうか? 

「凶悪事件が起きるたびに『まさかうち子が…』(中略)などと肉親らが驚きのコメントを出しますが、(中略)感情をもっている人間ならば、誰でも、いくつになっても、凶行に走る可能性を秘めている。(中略)モンスターのように扱われる犯人であっても、キチンと面と向かって対話してみれば、実に礼節をわきまえた人間であることが多いのです。どこにでもいるまったく普通の人たちなのです。そういった、ごく普通に暮らしていた者が、金銭や愛情のトラブル、怨恨などの想いの深さによって追い詰められ、ある日突然感情が爆発してしまうということになるのです」(匿名男性B氏)

 

 死刑囚とわたし達は紙一重の差だと思い知らせてくれたこの本。どうかあなたも読んでみてください。      (2009・8)