精神障害年金ナビ Ameba出張所

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強迫性障害での障害年金の請求

強迫性障害という障害の本質的病像は反復する強迫思考あるいは強迫行為です。

さらに詳しく言うと、自分の意に反して、不安あるいは不快な考えが浮かんできて、抑えようとしても抑えられない、あるいはその様な考えを打ち消そうとして、無意味な行為を繰り返す。このような症状を強迫症状と言いますが、強迫性障害は、強迫症状を主症状とする神経症(不安障害)の一型です。

もともと、几帳面、完璧主義などの性格の人に多い傾向があります。

また、強迫性障害の症状としては、たとえば、「誤って他人を傷付けたり殺してしまったりしやしないか」などの強迫観念、「便・尿・ばい菌などで汚染されたのではないか」などの不潔恐怖を伴った強迫観念、そのために人に近づけない、ものに触れないなどの回避行動、触った後に何度も手を洗う行為、些細な事の理由などをしつこく詮索し、時には質問してまわる行為などです。

強迫性障害の患者さんの半数はうつ病が合併してくるのも特徴的です。

強迫性障害 診断ガイドライン

確定診断のためには、強迫症状あるいは強迫行為、あるいはその両方が、少なくとも2週間連続してほとんど毎日存在し、生活する上での苦痛化妨げの原因でなければならない。強迫症状は以下の特徴をもっているべきである。

  1. 強迫症状は患者自身の思考あるいは衝動として認識されなければならない
  2. もはや抵抗しなくなったものが他にあるとしても、患者が依然として抵抗する思考あるいは行為が少なくとも1つなければならない
  3. 思考あるいは行為の遂行は、それ自体楽しいものであってはならない
  4. 思考、表象あるいは衝動は、不快で反復性でなければならない

うつ病 診断ガイドライン

確定診断のためには、抑うつ気分、興味と喜びの喪失、および易疲労性が通常うつ病にとって最も典型的な症状とみなされるため、これらの内の少なくとも2つ、さらに以下の症状のうちの少なくとも2つ以上が存在しなければなりません。具体的症状の数によって軽度、中等度、重度と判断されます。

  1. 集中力と注意力の減退
  2. 自己評価と自信の低下
  3. 罪責感と無価値観
  4. 将来に対する希望のない悲観的な見方
  5. 自傷あるいは自殺の観念や行為
  6. 睡眠障害
  7. 食欲不振

症例によっては、時に不安、苦悩及び精神運動性の激越が抑うつ症状よりも優勢であったり、以前から存在していた恐怖症や強迫症状の憎悪、あるいは心気症的とらわれなどの症状が加わることによって気分の変化が隠されたりすることがあります。

強迫性障害とうつ病の鑑別診断

強迫性障害とうつ病を併発している場合、いずれの診断がなされるかは、通常はうつ病とされますが、慢性障害の場合などは、他方の症状なしに持続する症状(障害)が優先されます。

障害認定においては、たとえ診断書に強迫性障害とうつ病の併発という風に書かれていたとしても、現に優先している症状、すなわち、主たる症状はどちらの障害によるものなのかが重視されます。ここが強迫性障害における障害年金請求の最重要ポイントとなります。

統合失調症における強迫症状

よく、以前は強迫性障害と診断されていたのに、転院したら統合失調症になったという方がいます。

統合失調症において発展する強迫症状は、病態の一部とみなすべきとされており、鑑別が問題となることはさほどありません。

しいて言えば、以前は強迫性障害と診断され、強迫性障害と書かれた診断書と、現在かかっている病院から統合失調症と書かれた診断書を書いて提出したところ、遡って認定されたという事例もあります。(あくまで統合失調症の一部症状)

強迫性障害で障害年金を請求する場合

診断書に書かれるべき傷病名はあくまで、強迫性障害以外のうつ病などの傷病名が書かれることが一番ですが、傷病名記入欄に「強迫性障害」と書かれた場合で、かつ、うつ病を併発している様な場合は、主訴はいずれの障害からくるものなのかが最も重要です。

この点に注意して申請を行うようにしましょう。

障害年金を請求する前に

強迫性障害で障害年金を請求される前に、当事務所までご相談ください。

また、現在、統合失調症で治療中であるが、認定日の診断書が強迫性障害で書かれているという様な方、一度、ご相談ください。

人格障害で障害年金は受給できるのか?

基本的に皆さんは人格障害では障害年金は受給できない、門前払いされてしまうと思ってらっしゃると思いますが、人格障害でも障害年金は受給可能です。

まず、人格障害における障害認定基準をご覧ください。

人格障害と障害認定基準

障害基礎年金が支給される障害の状態としては、国民年金法施行令別表に「精神の障害であって、前各号と同程度以上と認められるもの」が規程されている。

また、障害認定基準の第1章第8節/精神の障害には、精神の障害の程度の判定にあたっては、「日常生活が著しい制限を受けるか又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のもの」を2級に相当するものとして「気分(感情)障害によるものにあっては、気分、意欲・行動の障害及び思考障害の病早期があり、かつ、これが持続したり又はひんぱんに繰り返したりするため、日常生活が著しい制限を受けるもの」が一部例示されています。

さらに、人格障害は原則として認定の対象とはならないとされ、神経症にあっては、その症状が長期間持続し、一見重症なものであっても、原則として認定の対象とはならないと規定するものの、例外として、その臨床症状から判断して精神病の病態を示しているものについては、統合失調症又は気分(感情)障害に準じて取り扱うとされています。

人格障害でも精神病の病態を有していれば障害年金は受給可能

上の障害認定基準からも読み取れます様に、人格障害でも「精神病の病態を有していれば」障害等級に認定されることもあります。

障害認定基準によれば、「神経症についてのみの例外」と捉えられそうですが、この例外は人格障害においても同様です。

精神病の病態とは?

そもそも障害年金制度において精神の障害で年金の支給対象となる方は、「内因性精神病」の方を想定されていました。

内因性の精神病とは、脳の器質的障害(心因や外因性のものではなく)のことを指し、簡単に言えば、ICD10コードにおけるF2、F3に該当する疾患を指します。

正直、人格障害も神経症も脳のはたらきが深く関係していると言われている中で、また、心因反応や外因的なものが、内因性の精神病発症の原因となる場合も数多くある中で、内因性の精神病のみに支給対象を限定することや、人格障害や神経症をその支給対象から原則除外することは妥当ではありません。

しかし、現制度下ではこの基準に沿って認定事務が行われますので、こうした基準をよく理解した上で申請を行わなければなりません。

障害年金診断書には、①欄に「傷病名」を、⑬備考欄には「精神病の病態を示しているときはその旨と、該当するICDコードを記入してください」と書かれた欄があります。

基本的には、この①欄もしくは⑬欄に書かれた傷病名もしくは精神病の病態を示しているとされ記入されたICDコードによって、精神病の病態を有するのか否かを判断することになります。

人格障害(境界性)とうつ病は合併しやすい

人格障害(境界性パーソナリティ障害)はうつ病を合併しやすいそうです。

うつ病を合併してしまうと、自己破壊への衝動が増したり、死にたい気持ち(希死念慮)が増し、自傷行為や自殺企図を行ったり、その他、絶望感、空虚感、見捨てられ不安、自己非難、不安と怒りの変動、抑うつと不安の揺れ動きが目立つようになります。

人格障害(境界性パーソナリティ)の人が障害にうつ病を経験する割合は90%に近いという報告もあり、もっとも合併が多い病気とされています。

もともと生きている事に空虚感を持つことが多い境界性パーソナリティ障害の人は、うつ病の症状と多くの共通点を持っており、対人関係のトラブルが頻繁に起きることも、抑うつ的な感情をもたらします。

とくに、自傷行為や自殺企図を行った人は、殆どが抑うつ状態にあったことが調査によって分かっているそうです。

人格障害(境界性パーソナリティ)が改善すると、うつ病も改善することが多く、うつ病の治療によって、衝動的な行動がおさまる人もいます。

その他、いろいろな病気を合併しやすい

疾患名 割合
アルコール依存 42%
うつ病 32%
双極性障害 32%
その他の気分障害 75%
不安障害 74%
パニック障害 30%
PTSD 39%

人格障害で障害年金を受給するには?

人格障害で障害年金を請求する場合は、上記認定基準や病気の特徴などをよく理解した上で申請を行わなければなりません。

人格障害という傷病名で診断書を書いてもらう場合で、精神病の病態を有していると記入していただく様な場合は、必ず「精神病の病態を有する」と認められる症状を強く主張しなければなりません。

上記にも挙げましたように、人格障害はうつ病等と合併しやすい病気です。

診断書には「精神病の病態を示している」などと書かれていたとしても、主症状が人格障害や神経症にとどまるようなものであれば、それは精神病の病態を有しているものとは認められません。

人格障害における障害年金請求において、最も重要なポイントとなります。


以上、申請の前に一度ご相談ください。


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障害年金相談室、社会保険労務士の日野 慶一郎です。


精神疾患を専門に障害年金の請求代行をこれまで行ってきましたが、改めて障害年金とは何かを考える機会をいただき、私なりに考えてみました。


障害年金とは、一言で言ってしまえば、


「病気・ケガが原因で、障害を負ってしまった方に支給される公的給付金」です。


では、障害とは何かというと、


個人の精神、身体における一定の機能の低下によって、能力低下を引き起こし、社会的に支障を生じさせてしまっている状態を言います。


そして、一定の機能低下とは、

手や足、内臓、脳等といった体の各部分の機能が十分に機能しないことを言います。


障害年金の支給対象となる精神疾患とは、

そもそも性格や外因的な理由によるものではなく、生まれつき、もしくは性格や外因的な理由、はたまた無意識的・不可避的な要因により、脳に器質的な障害を負ってしまうものがこれにあたります。


そして、障害等級もまた、

・一定の機能低下

・それによる能力低下

・社会的に支障

がどの程度なのかで判断されることになります。


したがって、機能低下はあっても社会的に支障がないという様な場合や、逆に機能の低下がないにも関わらず、社会的に支障が生じているという様なケースの場合には、障害年金は支給されません


障害認定基準にもその様な事が書かれています。



何故、この様な事を書くのかというと、今日、私は年金事務所で、窓口担当者にこんな一言を放たれました。


「障害年金は生活保障ではない」


非常に何かを感じさせる一言でした。申請される方は、明らかな機能低下によって、日常生活及び社会生活において不利的状況に置かれている方でした。勿論、反論するタイミングではありませんでしたので何も反論は致しませんでしたが。何が窓口担当者にその様に言わせたのだろうと考えました。いや、今考えています。


国民年金法第30条を見ると「障害認定日に障害の状態にあるものに支給する」としか書かれていません。

また、第1条には、「国民年金制度は、日本国憲法第二十五条第二項に規定する理念に基き、老齢、障害又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し、もつて健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする。」と書かれており、どこにも生活保障とは書かれていません。


では、国民の「生活」の安定が損なわれるとはどういった事を言うのか。


生活とは、人が生きている限り、その命を維持し、育むために行っている必要不可欠な活動のことである。基礎となる「衣食住」の他、日常生活動作という名でいうようなものや、働くこと、余暇を営む、コミュニケーションをとり、生きることの中に積極的な意義を見出し、それを喜びとする営み、職業生活と私的生活、また、その間の社会的な生活といった分野にまたがるもの全てをいう。とされています。(Wikipedia)


たしかに、「生活の安定が損なわれる」=「生きることの中に積極的な意義を見出し、それを喜びとできない」と考えるならば、そうした方々を救うために社会全体から受けることのできる恩恵とも捉えることができます。異論はありません。


真理を追究するときっと朝になると思います。いますぐすべての答えは見えません。


ただ、障害年金を受給することで必ずしも、生きることの中に積極的な意義を見出し、それを喜びとする営みができるとは限りませんし、逆に、障害年金を不正に受給して罪の意識を感じることがきっかけで「生きることの中に積極的な意義を見出し、それを喜びとする営み」が出来る様になることもあると思うのです


確かに「欲望を満たす為の障害年金」であれば、それは客観的に見て、「悪」と捉えられるかもしれません。ただ、人は障害を負っていようがそうでなかろうが、必ず罪を犯します。すなわち、罪を犯したことが人生を変えるきっかけとなることもあるかもしれません。


私たちは、昔から正義は悪を倒すものだと教わってきました。

仮面ライダー、ウルトラマン、その他いろいろ。


私たちは、善悪を判断する「目」を持っています。

悪を倒す英雄。そんな人がいてもいいのかもしれません。


ただ、善が必ずしも一生善であるとは思いませんし、悪が必ずしも一生悪であるとも思いません。

きっとこれも私自身の自我との戦い。単純に悪魔が私の尊厳を傷付けようとするために放った言葉なのか、それとも私に何かを考えさせようとしているのか。


私は自己の正義感で他人を傷つけた事があります。

だからこそ、今、何かが引っかかっているのかもしれません。

私は何故、窓口担当者にそんなことを言われたのか。

どういう答えにたどり着くのか、正直もう少し時間がかかるかもしれません。

ただ、何か答えを見出せれば、さらに多くの方々のお役に立てるのかもしれません。


今日はそんな事を考えさせられた一日でした。