『日本語の起元究明・成就(finish)書』(復活した・黄槿の花) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

 
 

 … 今年二度目(一度目は春)の帰郷(8/11~8/16・金曜)で得た事は、伊万里市の海から抹消された黄槿(ハマボウ)の花が復活(現在絶滅危惧種として佐賀県は指定しています)していた事です。春に帰った時に【ササベ桜植樹計画】を、故郷の我が町の班長(小形満男氏・同級生)に協力を求めた時、私の手記を手渡していました。そして、此の夏に会った時に「ハマボウの花」の話しを私が切り出した処、其の小形満男氏(班長)が言うには、今、「川南(カワナミ)造船所・跡地」の横の海岸に咲いているとの事でした。つまり、私の手記に書いていた「ハマボウの木」と、其の花の特徴を小形満男氏が知った事で、其の木の花のような特徴をした花が、今、此の町の海岸に咲いているとの事でした。従って、翌日、早速、海岸へ行った処、山の水の捌け口として、昔、叔父の家の海岸付近に授けられていた排水口は埋め立ての時に空けられていて、其の、立岩の山水の排水は、現在、更に「川南造船所・跡地」の南側石垣の横の海岸迄、引き延ばされていました。

 …つまり、立岩(地名)の山の水が浦之崎の海岸へ排出される折、長年も埋もれていた「ハマボウの花の種」も、其の工場跡地の石垣付近で、生育に必要な条件が整った頃(ボタ土が風化し植物が育成する環境・海水の透明化等)、其の花の種の芽が出たと私は考えますが、「其の条件が満たされた経緯等を考察すれば、其れは正に奇跡としか言いようが有りません」(「ハマボウの木は、潮水と綺麗な真水の混ざり合う暖かい緯度の場所に育成する性質を持つ)。

 …而して、奇跡的に復活していた其の「黄槿(ハマボウ)の花の種」から生じたと考えられる「ハマボウの木」は、沢山の蕾を有す沢山の枝を持つが、「ハマボウの花」に成るには未だ至っていませんでした。それで、是の木の大きさを考えれば、更に、「川南造船所・跡地」の海岸にも自生している可能性が有ると私は考え、其の「川南造船所・跡地」へ入ろうとしましたが、浜辺には海水が満ちていて、工場跡地には茨や雑草が生い茂り、其の雑草を分けて途中迄進んだが、其の先には雑木も生い茂り、それ以上入って行くのを断念しました。然し、更に、翌日に行ってみると、海水は少し引いた状態だったので、今度は、用意して持って来た鎌で、工場跡地を横断する川の淵の最初の雑木の下の茨の藪を切り払い、それで、木の枝の下に少し切り開いた隙間から海岸へ降りる事が出来ました。


 …其の川が海岸に接する際に一本の大きな「ハマボウの木」が自生していて、唯、一つだけ、黄色い花(画像を参照の事)を付けていました。其の花(実際的には黄色い花弁で中心付近は深紅色です)を携帯電話のカメラで写し、此のブログに掲載していますが、光線の影響で少し白っぽく写っています。

 …我が幼年期の頃、叔父の瓦工場の海岸際に咲いていた、「三本の此の木の花の下で」(『黄槿の花の下での表題は此処に起因します)、何時も1人で良く遊んでいました。今考えると、此の木が「昭和31年・初夏頃」に切り倒されたが、此の海岸付近には、それ迄の何十年もの昔からの此の稀なる木の花の種(マングローブ的潮生植物)が無数に居着いていた事が考えられます。

 …叔父の住居の立ち退きが迫られ、移転(小学三年生の初夏頃)した家で毎夜寝る時は、「此の伊万里の浦之崎地域の綺麗な海岸が破壊された状況に対し、何かを発する自分の意見を持たず、其の自分自体の力の無さが悔しくて、何時も涙が出ていた事」は忘れる事は出来ませんでした。そんな或日の夢の中に、「ブルドーザーで叔父の家が埋め立てられた場所が均されている場面」が出てきました。其れで、自分なりに其の夢の意を検証して得た答は、「此の地域は、ボタ石炭採掘に生じた黒い廃土で埋め尽くされた儘で終わらず、将来、必ず、何らかの開発が行われるはずである」と成す結論に行き着き、そう考えると、将来、其の開発が始まる頃迄には、必ず、「自分の意見を持つ事」を目標にして今日迄生きて来ました。

 …「ハマボウ(黄槿)の花」との思い出に起因し、私が【の語元究明】に対し、一方ならぬ執念を燃やしたのはこんな経緯(私のホームページ【http://w01.tp1.jp/~a098477294/】に記載す)が有ったからです。而して、最初(私が3歳時の初夏)、是の花の美しさに引かれ、此の時点で…「此の美しい花を咲かせる木の語元が知りたい」…と真剣に思った事が功を奏し、現在、私は【日本元始ヤマト)・国家起元】、及び、【元始ヤマト言葉日本語の起元究明】に成功致しました。 

 …二番目の図表は、昨年の年末に完成させた図表の大枠の中に、詳細的な我が国の古代に於ける歴年を書き込んだ図表です。此の図表を以てすれば、【日本国家・成立】は、QumranSect(クムラン秘儀宗団者)が創建した事が直ぐに解る事と成ります。尚…《【伊勢神宮建立年】が、何故、【垂仁天皇26年】(数値26はYHVHを意味表す数値です)に設定されているのか?》…等の謎解きに関しては、ムハンマド(イスラム教の創始者)の【大巡礼の年632年】(ハッジ…其の時の直接指導による五行、乃ち…①信仰告白・②礼拝・③断食・④喜捨・⑤巡礼)が、【65725数え年26年=632年】の数値に当たっている事を考察すれば、既に其の答は待っておる次第で有ります。

 …一番下の画像(三番目)は、昨年の年末に完成させた図表で有りますが、其の後、此の其図表の大枠の中に書き込み、今回、新たに画像として掲載したのが「詳細的歴年・図表」(二番目の画像)で有ります。此の表の内用は、昨年の年末の時点に於いては、既に、私の脳裏にはインプットされていました。従って、後日、其の詳細的歴年を書き入れて、乃ち、「『旧約聖書Bereshith原始)』→アダムノアクムラン秘儀宗団者時代日本神話神武天皇東征神武天皇即位元年→ 景行天皇迄武内宿禰大臣時代大宝律令701年迄の連係的系図」を此処に完成させた次第で有ります。

 【追記(2013/8/26・月曜)】…『ホツマツタヱ・秀眞伝』文章の神代の年代設定(1鈴木を6万年と設定)は、『旧約聖書』の紀元前的歴年 を日本神話と同化させる目的で設定されていました。そして、タケヒト(後の神武天皇)の即位に始まり、オシロワケ(後の景行天皇)迄の歴年数値は…「イェルサレム(Jerusalem)昇天・祭詞方式」を確定させる為のthesis(テーゼ命題)に於いて、編輯された数値で有りました。従って、我が国の歴史的歴年数値は、武内宿禰を大臣と成す王の歴年(仲哀天皇)を基点とする必要が有ります。

 …尚、此処に始めて掲載した図表(歴年史詳細数値・二番目画像)は、「横線2000㎜」の枠内に設定し、「1年を1㎜」として年数を設定しています。従って、赤色青色四角状態に塗りつぶされている部分は「1㎜間隔各々の王の歴年的年数間隔を表す)」で歴年を表記しているからで有り、拡大図表(A1版で表記すれば線の状態が解る仕組み)を用いれば…「始から終り迄の歴年には1年の誤差も無い」…と言う事が解るかと思います。尚、【神武天皇即位以前】の歴年部分は、我が国の建国に関する重要な部分に当たる為、逆に、「10㎜を1年」として設定(汎用CADオフセットを用いての図表です)しております。