お久しぶりです
今年は…訃報続きで、バタバタしてました。
サクラちゃん(チワワ娘)
叔母
るなちゃん(チワワママ)
サクラちゃん(チワワ娘)の百ヶ日を待たずに叔母が急死し、
叔母の四十九日法要の翌日にるなちゃん(チワワママ)が亡くなりました
仏法を学んでいる最中ですので、特に死に対して考えることが多くなっています
三年前にエル君(チワワパパ)が急性膵炎であろう症状で、あっという間に亡くなった時は、仏法を学び始め、未だ深まっておらず
色々と戸惑うことも多く、なかなか…
2匹目のサクラちゃん(チワワ娘)は腎臓と肝臓・心臓とトリプルのなか、三ヶ月ちょっとの闘病生活の末…肺炎症状で亡くなりました
そして叔母が急死したときに…
思いました
死は止められないのだと
サクラちゃん(チワワ娘)のときに薄々は感じていたのですがね
たとえ病院で適切な治療をしていても、またそうでなかったとしても、止められないのだと
思いました
ただ…後悔のないように、自分のできることを精一杯やるか、やらないか
それだけのような気がします
今回、るなちゃん(チワワママ)は急に腎臓の数値が悪化しまして、病院で治療を初めてか約一週間で亡くなりました
願わくば老衰で亡くなって欲しい
そんな甘い考えでした
でも、老齢の体にはほんの少しの事でさえも大きく響き、とうとう病気で苦しんで亡くなりました
ペットを飼うときに、自分なりに
病気で苦しんで死なせたくない
そんなお持ちがありましたが、やはり3匹とも病気で苦しんで亡くなりました
今回のサクラちゃん(チワワ娘)、叔母、るなちゃん(チワワママ)の死は、仏法を少し学んでからの出来事で
仏法に則って解釈しようと努力するも、難しく
ただ…感情だけが揺れ動くものともまた違い
悲しみと後悔の入り混じった感情(サクラちゃんの場合)
悲しみと驚きと後悔の感情(叔母の場合)
悲しみと納得に向けての感情(るなちゃんの場合)
それぞれこれらの感情を、客観的に観ている自分もいたように思います
いわゆる感情と思考の分離ですかね…
なぜ死が怖いのか、恐ろしいのか
果たして死が怖いのか、恐ろしいのか、もしくは苦しみ・痛みに対する恐怖なのか
生命を害されることへの恐怖なのか
未だ体験したことのない私には考えてもわからず
それでも、どの生命も最後まで諦めず生きていたように思います
最後の最後まで、私はその生命と向き合うことができていたのか?
今後、両親という生命との死別が必ずあります
その時に私は今回の死別から何を学べたのかわかるでしょう
ただ、ただ、今は自分のできる精一杯のことを、やっていくしかありません
一つの生命が消えてしまう
が、
輪廻は繰り返され、次の生はどこなのか?
地獄なのか?虫なのか?動物なのか?ペットなのか?
その分かれ道とは?
その時のために百ヶ日をまでを特に大切にし、徳を積み徳分を捧げようと思います