2007-05-31

偶然が重なる

テーマ:映画
シネマート心斎橋で『百年恋歌』(05年、ホウ・シャオシェン監督)の3回目。確認したいことや疑問に思っていた点などがあったが、映画が始まると、そんなことはどうでもよくなり、ただただ陶然と見入っていた。これはなんだろう。映像のテンポ、音楽、描写などが渾然一体となって、見る者を酔わせるのだ。何度見ても、素晴らしい。こんな凄い映画が、ひっそりと上映されていることの口惜しさと、それに遭遇でき、「自分だけの映画」だと思えることの嬉しさが綯い交ぜになる。
映画が終わって帰ろうとしたら、「Eさん!」と私を呼ぶ声がする。見ると、「シネ・ヌーヴォ」スタッフのYさんだ。Nさんもいる。お休みの日に、一緒に映画を見て、ショッピングに行くのだという。さすがはシネ・ヌーヴォのスタッフ。『百年恋歌』を選ぶところがニクい。彼女たちの頑張りにはいつも感謝しているので、「お昼まだだったら、一緒にどうですか」と誘ってみる。で、彼女たちの案内で四ツ橋駅近くのインド料理屋へ。カレーとチャイで1時間ほどおしゃべり。『百年恋歌』の素晴らしさをなんとか言葉にしようと思うが、なかなかうまくいかない。彼女たちも見ていたわけだから、こちらの見方を押しつけてもいけないと思い、感想を聞いてみる。だが、それほど強い反応は返ってこない。それが普通かなと思いつつ、自分の感動を的確に伝えられないもどかしさが残る。
彼女たちと別れ、紀伊國屋書店に寄り、事務所へ。『百年恋歌』のパンフレットを読み返す。上野昂志さんの映画評が素晴らしい。まさに私が言いたいことを書いてくれている、という気がする。採録シナリオも載っていて、とても参考になるのだが、書き手の主観が入り過ぎていると感じる。懐徳堂古典講座「小津安二郎の映画を読む」では、私もシナリオ採録の作業を買って出ていて、心しなければいけないなと思った。
そうこうするうち、O氏から電話。明日までのピカデリーのタダ券があるのだが、要らないか、とおっしゃる。〈タダ〉という言葉に弱い私、「Oさんはどうされるんですか」と訊くと、今日『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(07年、松岡錠司監督)を見るという。私も見ていなかったので、じゃあ一緒に見ましょうと、7時過ぎに梅田ピカデリーで落ち合うことにする。
『百年恋歌』とは違い、まずまずの入り。二つほど前の席で、いつまでもメールしている男がいる。予告編の間は我慢しようと思ったが、本編が始まってもやっている。思わず、「すいません、ケータイ切ってください」と言ってしまった。私一人だったら、躊躇していたかもしれないが、隣の席にいるO氏は180センチを超える偉丈夫なのである。逆ギレされても大丈夫、という安心感があった。男はチラと振り向いたが、無言のままケータイを切った。やれやれ。
さて、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』であるが、予想どおりという印象。親孝行という振る舞いがイヤ、主人公が着実に〈出世〉していくのも嫌。原作のキモでもあるのだろうが、母親の壮絶な闘病の描写は、樹木希林の熱演に圧倒されつつも、早く死なせてやってくれ!と思った。豪華なキャスト、力のこもった美術など、日本映画の最高水準と言ってもいいのだろうが、感動には至らなかった。時代考証もきっちりしているはずだが、母親が東京へ出てきたときの風景が、2007年のそれのように見えたのが気になった。
この作品への違和感もうまく表現できないのだが、天邪鬼な私は、こういう美しい泣かせるテーマには鼻白むところがある。
映画が終わって、O氏と少し飲む。「なんだかなあ」という私の感想が中心になったが、O氏の感想は充分に聞いていず、しゃべりすぎたと後で反省した。
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2007-05-30

激動の1週間に

テーマ:日常
23日(水)ごろから風邪を引き、しかもこじらせてしまった。前回は「風邪だな」と思った途端に風邪薬やら栄養剤をのんで事なきを得たのだが、今回はそれが妙な自信となって何もせず、どんどん悪化させてしまったようだ。風邪を引いてもグウタラしていたわけで、医者にも行かず、自宅で寝たり起きたりを繰り返していたが、その1週間には実に多くのことがあった。
私的なことから言えば、友人たちと見に行く約束をしていたタイのアピチャッポン・ウィーラセタクンの『トロピカル・マラディ』を見逃した。最新作『世紀の光』は、前売り券まで買っていたのに。また、ビデオ店で借りてきていた小津の『麦秋』も、見ないままに延滞金を払って返却。
あとは傍観者としての出来事になるが、思い出すままに記せば、熊井啓監督が死去、テレビ朝日・丸川珠代アナの参院選出馬表明、5000万件の「消えた年金」問題、河瀬直美監督がカンヌ国際映画祭でグランプリ(審査員特別大賞)受賞、ZARDの坂井泉水さんが転落死、松岡農水相の自殺、そして元森林開発公団理事の飛び降り自殺と続く。まだ何か忘れているような気もするが、ともかく、とんでもない1週間だった。
学生時代、自然気胸という病気で入院していたときに、高松塚古墳が発見され、大ニュースになったが、そのときのことを思い出したりした。自然気胸という病気は、ただただ安静にしていればいいので、壁画のカラー写真が載った紙面を隅から隅まで読んだ記憶がある。
今回それと少し違うのは、そういった様々なニュースに接しながら、心の片隅で、「肺ガンでは」とか「肺炎になってしまったのでは」などという杞憂にとらわれていたことだ。リタイアした人の気分は、こういうものではないか、と思った。つまり、社会との具体的な接点を失うばかりでなく、健康への不安が募ってくるのだ。
完全禁煙3日、最後にはH先生から仕事の催促の電話がかかってくるというオマケまで付いたが、どうやら私の風邪は治った。だが、独りで過ごすことになりそうな老後について、真面目に考えねばならないようだ、という思いは今も消えない。
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2007-05-20

『百年恋歌』にハマる

テーマ:映画
4月28日の夜から5月3日まで東京・横浜にいて、従姉妹のピアノ発表会を聴きにいき(これが東京行きの主目的であった)、恩師・友人・仕事仲間に会い、キム・ギドクの『受取人不明』(01年)やアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『バベル』(06年)など7本の映画を見、長倉洋海(ながくら・ひろみ)と中平卓馬の写真展を見、叔父(父の弟)の七回忌法要に参加し、泊めてもらった叔母(母の妹)には花束ひとつの御礼しかせずに慌ただしく帰ってきたのだったが、帰ってきた途端にギックリ腰となり、3日ほど安静にしているうちに、いつもの怠け癖が出て日記更新が面倒くさくなってしまったというテンマツである。
帰ってきてからは、5月9日に河瀬直美監督の『殯(もがり)の森』を試写で見、「悪くない」と思った。このたびのカンヌ国際映画祭コンペティション部門にノミネート出品され、監督も参加しているが、さて今年の結果はどうなるだろう。その試写会で松岡奈緒美さんという監督と知り合い、『花の鼓(こ)』というドキュメンタリー作品のビデオをもらった。流産を経験したことから、〈いのち〉について考えを深めていくという内容。自分自身によるナレーション(モノローグ)が多く、そのためか閉じている印象を受けた。凝った映像ではないが、そのセンスに光るものを感じた。
11日には恒例の映画観賞会でNさん、Fさんと一緒に『バベル』を再び見て、世界をこのように観、このように救いをつなぐイニャリトゥ監督への共感を新たにした。その後の飲み会にはKさんも加わって楽しくおしゃべり。そのKさんの質問。「登場人物の誰に共感しましたか。また、自分が演じるとしたら、誰を演じたいと思いますか」。思いもよらぬ切り口で、それが面白かったが、私の答えは、菊地凛子に共感し、演じるならブラッド・ピット、というものであった。あなたなら、どう答えるだろうか。
その飲み会でだったと思うが、ホウ・シャオシェンの『百年恋歌』(05年)の話が出て、翌日さっそく見に行った。1966年、1911年、2005年の3つの恋が描かれる。初々しい、哀しい、苦しいと、それぞれに味わいは異なるが、演じているのは同じ女優(スー・チー)と男優(チャン・チェン)。両方ともいいが、これはやはりスー・チーの映画だろう。モデルのような体形、個性的な顔立ち(私は上戸彩を連想した)。この女優が、三様の素晴らしい演技を見せる。
最初はビリヤード場の女で、やや蓮っ葉な感じもあるが、笑顔がよく、優しいところも見せる。ビリヤード場を転々と流れつつ、その細腕で懸命に生きているようだ。この女に男が惚れ、あとを追うが、なかなか見つからない。上野昂志氏もパンフレットに書いているが、虎尾のビリヤード場でついに二人が再会するシーンが素晴らしい。〈素晴らしい〉という言葉しか出てこないのがもどかしいほどだ。
次は遊郭の芸妓で、男への一途な思いを内に秘めながら、あくまでも優雅でたおやか。堂々たるものだ。そのコスチュームも着こなしも美しい(このあたり、私はウォン・カーウァイの『花様年華』〔00年〕を思い出した。ひょっとして、対抗意識があったのだろうか。そういえば、音楽の使い方にもそれを感じた)。また、遊郭内部の調度や内装にも徹底的にこだわっているのが分かる。しかも、このパートだけ無声映画になっているという凝りようだ。
最後はアンニュイな歌手で、のど元に〈¥〉と赤いタトゥを入れ、自分のホームページに《いくら出す? 魂を売るわ。過去も未来もない。飢えた現在があるだけ》と書くような、まさに現代の女。この恋は辛い。カメラマンの男と激しく愛し合うが、男には女がいて、女のほうにも同棲している女がいる(つまりレズビアン)。二人の関係を知り、女のほうの女が自殺したかと思わせるシーンもあるが、二人の関係は続いてゆく。
そこで映画はパッと終わる。「えっ、もう終わりか」と思う。ホウ・シャオシェンともあろうものが、3つの恋愛をただ描いてみせただけかと思うのであるが、考えてみれば、冒頭から最後まで、まったく揺るぎなく映画に没頭していた自分に気付くのである。そして、思い返せば思い返すほど、すべての画面が、甘味で豊かな記憶としてよみがえってくるのだ。こんな映画体験は、そうそうあるものではない。やっぱりホウ・シャオシェンは凄い。常に先へ先へと映画を拓いていく。そんなことを思った。
18日は懐徳堂古典講座「小津安二郎の映画を読む」を受講。今回は『秋日和』(60年)が対象で、その脚本を出来上がった映画どおりに修正するという作業を私が担当。ほぼ1カ月の余裕があったのに、結局当日の朝に完成し、27部コピーして持参。相変わらずの泥縄である。講義が終わって、これも恒例の上倉庸敬(かみくら・つねゆき)先生を囲んでの飲み会。事務局のAさん、講義が終わってから駆けつけたYさんも参加。どうも女性陣のほうが酒に強く、Yさんなど〈テキーラY〉という称号が、この日決定した。
昨日の19日は、ほぼ6カ月も休んでしまったヨーガ教室の大師匠が、24日から3カ月のアメリカ・ヨーロッパの旅に出られるというので、初めて京都のご自宅に伺った。そこでは、毎週土曜日に大師匠を囲んでの集会というか勉強会が開かれているのだ。30~40人ぐらいの弟子が師を囲み、質疑応答が繰り返される。師を敬いつつ打ち解けているという雰囲気で、明るい笑い声が絶えず、なかなか良いものだった。おかげで私も全然緊張することなく、大師匠と少し話すことができた。質疑応答の内容は、私には理解できないところも多かったが、お弟子さんたちが真剣に〈真理〉を求めていることは伝わってきた。私も少なくとも教室通いだけは再開しようと決めて、帰りの電車がなくなる前に辞去してきた。
そして今日はシネマート心斎橋で『百年恋歌』を再見し、さらにシネ・ヌーヴォでツァイ・ミンリャンの『黒い眼のオペラ』(06年)を見てきた。
『百年恋歌』には、また新しい発見があった。3つのエピソードには、それぞれ「恋愛の夢」「自由の夢」「青春の夢」というタイトルが付いており、そのタイトルが映し出される前に短い導入部分があるのだが、その部分の映像はタイトル後にどこかで出てくるシーンを前もって見せているようでありながら、実は同じ映像ではないのだ。ということは、タイトル前の映像に出てくる男か女が見た〈夢〉が、タイトル後の映像になっているのかもしれない。だが、3つ目のエピソードに関しては、そうなっていない。これはどう考えればいいのか。映画そのものがひとつの〈夢〉じゃないか、とホウ・シャオシェンは言っているのだろうか。興味は尽きない。
『黒い眼のオペラ』も凄いと思ったが、どこかに書かれていたように《彼の最高傑作》とまでは感じなかった。正直に告白すると、ワンシーン・ワンカットが悠然たる長さで、しばし睡魔に襲われてしまった。ほんの一瞬のことだったとは思うが。だからこの映画も、もう一度見なければならない。やはり凄い映画は一日に一本で充分だ。
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