Mi diario
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

死について

{6198DED8-AE3E-4982-AF74-AD273433D8F3}

{47165942-F89A-4984-9970-E993CC67F025}


{5DA3A6BB-25BA-4626-9632-DC8F5C32D458}

{65F97B15-E720-476D-B18E-C7637F4EB1BF}

先日、大学の時の友人と平日の昼間、公園にピクニックに行きました。

他愛のない話をゆるゆるしながら、秋晴れが美しく、色づいた葉っぱの下、広い公園を歩きました。

青い空、カサカサなる落ち葉、冷たい空気、鮮やかな銀杏の黄色。

今、幸せかと聞かれたら、
幸せですと答えます。

私の場合、感覚が快楽と幸福の元だから、
健康な五体満足な身体を持ち、

甘いとか苦いとか
風が冷たいとか
青いとか黄色いとか
ふわふわする感触や
ことばやハーモニーとか

そういったものを見たり聞いたり感じたりできることは幸せで
自分の身体を愛し、生きる喜びを感じれることに
感謝しています。


生きることと同じ重さと大切さで死のことも
割と若い時から意識してきました。

大きな病気も患ったことはないし、大きな怪我に苦しんだこともないのだけど、

昔から何故か死に対しては不幸なイメージをあまり持つことがなく、10代の頃はティーンエイジャーにありがちな
「なぜ生きているのか」というか根本の疑問を考え、同時に死についてもよく考え、繰り返し想像してきました。

だからこそ、生きていることを強く意識し、感覚があることを嬉しく思います。

その日私たちは平均寿命について話していました。

私の家系は比較的、父方の方が早死で
曽祖父まで遡っても60歳前に亡くなっています。

だから、私も長生きするっていう気がちっともしないの。と言うと

友人は、平均寿命が80とか90だとして、もしそれぐらいの年代で亡くなっちゃったら、少なく見積もっても30年も損しちゃうよ。

と言っていました。
それを聞いて私は、生きることが得で死ぬことが損ていう発想のもと、彼女がそう言ってるんだなと思い、
それから彼女が
まだまだ楽しいことあるかもしれないから生きなくちゃ。
と楽しそうに言っていて、私も楽しい気分になって笑いたくなりました。


別の日、年上の友人とランチした時、
ラッキーだったらあと、30年は生きれる。
というのです。

友人は50代のイタリア人男性で、イタリア人男性の平均寿命を知らなかった私は、彼が日本人の私の同年代の友達と同じようなことを言っていた偶然にびっくりし、さらに「ラッキーだったら」とつけたことで彼も生きることが得であると思ってるのだと。

そういった肯定の姿勢は何であれ私を嬉しくさせます。そういう人といると楽しい気分になるから。


生きることを肯定してそしてその時が来たら静かに受け入れて、最後の最後まで幸せであると自分が感じれると不思議な確信が私にあります。

ふたつは正反対の事象ではなく、つながった事象と思っています。





Despacito

カヌレ

FRANCE RESTAURANT WEEK 2017

善意の人

The Puli

世の中で一番難しいこと

解決していくこと

おもしろhell

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>