倫理観を放棄したテレビ朝日
皆さんもご存知であろう小学校1年生の少女が殺害されダンボールに入れられていた事件。
先日、テレビ朝日の「報道ステーション」を見ていたとき、
同級生の男子小学生がインタビューに応じていた。
そこには
「保護者の許可を得ています」
という但し書きが入っていた。
但し、本人の本当の承諾があったのかは疑問であろう。
彼は小学校1年生なのである。
彼をテレビの前に引き出して、少女に対する思いまでをも質問していた。
本当に、彼のことを考えれば
将来に傷を負うかもしれないし、
同級生はそっとしておいてあげる、
そのような倫理観があってしかるべきであろう。
男子小学生が話してくれる、
ということと、
それを報道に使い、儲ける
ということは、全く別次元のことなのである。
そこに倫理観の入る余地のないテレビ朝日というテレビ局の
恐怖を感じるのである。
個人を踏みにじり、
視聴率のためには、
小学校1年生をと、その将来をも踏み台にする。
彼の将来をテレビ朝日は保証してくれるのか?
私はまた、報道という名の暴力に嫌気がさす。
著作権問題とソニーの凋落
昨今MP3、iPod等デジタル媒体の音楽が一般化するにつれ、
アップル社の一人勝ちの感が出てきた。
これまで、ポータブルプレーヤーに関して言えば、ソニーの独壇場であって、他社の追随を許さなかったのは言うまでもないであろう。
しかし、ここにきて、
「ソニーの凋落」
が取り上げられれるようになってきた。
それは、根本的にアップル社とソニーには元来著作権に関して、
とらえ方が大きく違うことに起因しているためであろう。
我々古いアナログ時代からの世代は、
レコードを買っても、そのレコードを外で聞こうと思えば、
テープにダビングして持ち出したものである。
これは、レコードの扱いは、大きく不便が多く、
なおさら、自動車の中などで聞こうと思えば、選択の余地なく
「テープ」
だったのだ。
その当時は、私の記憶では、
他媒体へのダビングは、個人の範囲内で行なうもの
というただし書きがあったと思う。
それは、著作というものにもお金を払っており、
その媒体自体は、あくまでも音楽を再生するための
付属品でしかありえなかったのである。
しかし、現在の状態はといえば、
CDを購入して、自動車で聞こうと、CD-Rにダビングしようとしても、
コピーガードで、ダビングを阻止される。
結局、著作というものを購入しているにもかかわらず、その媒体自体が著作権を暴力的に保護しているのである。
元々、音楽も情報そのものであるから、その情報を個人でどう使おうと個人の範囲内なら問題ないはずであろう。
その部分を履き違えたのが、
レコード会社を傘下に持つソニーであり、
その部分を情報と言う概念で解釈したのが
アップル社だと思っている。
ソニーは、傘下のレコード会社を守るためにデジタルポータブルプレイヤーの分野に乗り遅れ、全て取り返しのつかないことになってしまった。
ソニーは、自らのレコード会社と引き換えに凋落してしまったと言っても過言ではないだろう。
その点、アップル社はレコード会社を持っていないため、その著作権問題に関わらずに新しい当然の発想でシェアを独占してしまった。
これが結論であろう。
国内で、著作権保護を訴える団体の名前に、
“安倍なつみ”
“綾小路きみまろ”
等、盗作を会社ぐるみでおこなっていた連中まで載っているのはどうかと思うのだ。
弱い立場の一般大衆を脅かすよりも、
上記の盗作をチェックせず、儲けた、いや、儲けようとしていた全ての人間を刑事告発したうえで、一般大衆に著作権の保護を訴えてほしいものである。
自らの団体に属す人間たちの、盗作(著作権違反)を許すのであれば
一般大衆のコピーをも許さなければならないであろう。
ソニーの凋落ということであるから、
あまり内容を広げないで、ここでこの項終わりとする。
ソニーよ驕るなかれ、
もはやソニーのブランド力は地に落ちかけているのであるから・・・。
しかし、音楽CD自体、デフレの世の中で、あれだけ値段の下がらないものも珍しい。
だから、P2Pが普及してしまうのではないかと思うのも、ありではないかと思う。
マスコミは、町工場を美談仕立てに報道するな。
それが日本の燕市の町工場を中心とした技術で磨かれていると。
これが世界の技術だ、と。
さらに、後継者不足であり、若い人間を求めているなどと・・・。
そこで、能天気な猪瀬直樹いわく
「若いニートなどがこういうところに行って、自分自身の技術を磨けばいい。」
と、また現実離れした意見を言っていた。
しかし、現実の町工場ははっきり言って、「酷い」。
自分が一生社会の底辺から逃げ出せないのではないか、と錯覚させる。
こんなことを何故言うのか、と言えば、
私も社員4人程度の町工場に2年くらい社員として働いていたことがあるからだ。
私が就いていた仕事はNC旋盤のオペレータ。
一日中旋盤二台に材料を出し入れして、必要な個数を毎日作る。
そこは、食堂と、着替えのロッカーが同じで部屋であり、
社長の親族が工場長で、工場の上のアパートに、自分の仮の部屋があり、(別に自分の家がある)自分はそこで食事を摂る。
もちろん、その男は食堂兼着替えロッカーでは
食事もしないし、着替えもしない。
我々社員だけが、そこで食事をするようになっている。
そこには、水道とガスがあるだけで、
昼休みには、味噌汁が出てくるわけでもなく、お茶が出てくるわけでもなく・・・。
もちろん、食事は自前で、会社の弁当などない。
我々は、使用人以下の人間だったのだ。
世の中の町工場がどうか知らないが、
その町工場では、社長の女房が会社のために働いているところを見たことがなかった。
我々は、向かいの町工場の社長の奥さんが、
2階の食堂にお茶を入れに外の階段をやかんを持って上がって行く姿をみて、
憧れたものだ。
とにかく、教えるということの一切ない町工場であったから、
同時期に入社した26歳の男は一年以上NC旋盤オペレータをやっていて、
刃物の位置補正のパラメータの入れ方を知らなかった。
であったから、その男のオシャカの率は突出していて、
その男のおかげで他の人間が割りを食うというのが日常であった。
それはある意味当たり前で、
補正のパラメータひとつ入れられない人間を放置しておくほど、社員の技術には無関心なのにまともなものが出来るはずがない。
また、我々の待遇についても、社長は平気でこう言っていた。
「機械にはいくら金かけてもいいんだよ、人間だったらやめちまうからな。
機械のローンが終わったら給料上げるからな。」
しかし、機械はどんどん新しいものが出てくるし、
それをどんどん買い換えていったら、
我々の給料など上がるわけもない。
もともと、信じられてないのであるから。
はっきり言って、こいつ人間嫌いなのかと思ったくらいである。
他人の神経を逆撫でするようなことを平気で言う。
だから定着率はきわめて低い。
よって、いつも人を募集しなければならない。
この悪循環なのだ。
あるとき、イラン人をアルバイトとして雇ったのだが、
解雇を通告して、いきなり明日から来なくていい。
と言ったものだから、
そのイラン人に労働基準監督署に通報され、
労働基準監督署の査察が入ったくらいである。
それ以降、何度か査察が入ったが、
想定問答にて、嘘をつくようその親族から指導を受けた我々であった。
また、町工場は、全ての固定費を下げなければやっていけない。
そこで、産業廃棄物として処分しなければいけない、
使用済み水溶性切削液(加工時に潤滑と冷却をするためにかける特別な液)を
「トイレに流せ」、と指導されてきた。
また、自らもそれに従ってトイレに流し続けた。
水溶性切削液の処分には、専門業者に適切に処分してもらわなければならないのだ。
とどのつまり、劣悪環境の町工場も、違法な公害も前世紀の遺物ではなく、
西暦2000年前後にも堂々と行き続けているのだ。
その環境にて作られた製品が堂々と、ISO-14000の会社を通して売られるのである。
そのようなインチキなのが町工場なのである。
もちろん、このような町工場だけではないだろうが、
これはひとつの事実なのである。
話しを戻して・・・
猪瀬直樹の後に、いみじくもテリー伊藤が言った。
「そうは言っても、今の若い人間は、給料や待遇、休日の問題でやっていけないでしょう。」
そうなのだ。
それを町工場側から変えていかなければ、
いくら後継者を探しても違法、違法すれすれ、では人は集まらない。
マスコミの連中は、良い面、悪い面をきちんと報道すべきなのである。
バブルをさんざん煽ったのは誰だったのか?
猫も杓子も株、土地・・・ で大もうけ
などという番組を垂れ流してきたのはだれなのか。
いま、まさに思い出したのである。