こんにちは、谷口浩久です。


さっきもTwitterで呟いてたんですが。


役になる、役になりきる、演じる…
という事に必要なのは、
「虚構(想像)を信じる」
という事。

これは、ほんとに正しいと思います。

想像を信じるのは、人間だけにしかできない不思議な力、素晴らしい能力だと思います。

その能力が、演劇などの芸術を生んだのです。

かつての娯楽…
映画「グラディエーター」なんかで描かれている、罪人を処刑するのを観覧するのが娯楽の原点だとすれば、想像を信じられる事に気づいた人間は「よく考えたら、ほんとに人を殺さなくてよくね?」となった。
結果、想像・虚構で感情を補う事になったのが、芸術なんだと、ぼくは考えています。

ざっくりな書き方なので、いろいろ語弊はあるかもしれませんが。。。

とにかく、ぼくはそんな風に思ってます。


従って、役を演じるために「(虚構・想像を)信じる」という作業が必要なのは、確かな事です。


が、普通なら誰でも「信じる」というのは楽にやっている事なのに、演技となると、突然、心がパタッと閉じたかのように「信じられなくなる」というケースが多々あります。

そうすると、俳優は、先輩や先生から「信じる訓練をしなさい」と言われるわけです。

「信じる訓練」の方法というのは、当然、いくつもありますが。


実は、ラボをやっている中で「信じる訓練よりも、さらに前の段階で困っている俳優さんが多い」という事に気付きました。


みなさん、映画を見ている時、自然と泣いたり笑ったりしてますよね?


これ、役を演じる際に有効な「信じる」という事と、全く同じだと思います。

映画を見て感動している時というのは、自分にとって、無理のない、ごく自然な状態ですよね。

ところが、演技をしよう、役の状況を信じよう、となると、どんな事が起きるか。。。


…役を演じるのだから、その役の世界を「信じよう」、想像を「信じなくてはいけない」、役に「なりきらなきゃ」となる。


つまり、映画を見ている状況でいうと、
「この主人公は、自分だと思わなければいけない。感情移入をしなくてはいけない」
という姿勢で映画を見ようとしているのと同じような状況が起きているんです。

…どうでしょう、これって、自然な状態と言えるでしょうか??

すぐに想像できるかと思いますが、これでは、映画に対して感動したり、心を動かしたりしづらくなりますよね、明らかに。


役を演じる時の「役との距離感」みたいなものは、人それぞれの感覚もあるので、一概に、言葉で「このぐらい!」とは説明しにくいんですが。

「なかなか信じられない」という悩みを抱えている方の多くは、
「信じよう」とし過ぎている、
「役になろう」と思い過ぎている、
「与えられた状況を、自分の事だと思い込もう」と努力し過ぎている、
という所に、そもそもの原因があるようです。


「信じよう」とすると、
潜在意識は「信じようとしているということは、いま、信じられていないんだ」と解釈し、
「信じられていない世界」を作り出してしまう。。。
と、ぼくは考えます。


もし、「信じるのが難しい」と思ってしまっている方がいらしたら、一度、
「無理に信じようと思わなくていいや」という風にやってみましょう。

まるで、好きな映画を見ている時のように、役を客観視するぐらいの距離を置いてみるのも良いかと思います。

そうすると、不思議と、役の置かれた状況に対して自然と心が動いたりするんですよね。


通常、演じている側の感覚として、「あ〜、楽だなぁ〜、軽いなぁ〜」と感じる方向が、演技をする上では正しい道だったりします。

「なんか、苦しいな」と思ったら、それはどこかで「頑張り過ぎて、無理がかかっている」のです。


ぜひ、参考になさってみてください。


ではでは、ラボでお待ちしていますねチョキ音譜