一昨日鑑賞した、『レヴェナント:蘇えりし者』。
レオナルド・ディカプリオがアカデミー主演男優賞を獲得した映画です。
すごかったですね…
谷口浩久です。
一切、照明を使わず、自然光だけで撮影したそうです。
その映像美に圧倒された、2時間半。
テレンス・マリック監督の映画を彷彿とさせる映像と語り口。
そこに息づく、俳優の演技。
その、徹底したリアリズムの追求とはある意味「逆らう」かのような、動物たちのCG映像。
熊や、バッファロー、魚…
CGで描かれたそれら動物たちは、自然光だけで撮影された、文字通りリアルな大自然の風景に、どこか人工的な影を落とします。
もちろん、それはそれでとてもクオリティーの高い出来なのですが。
やはり、CGでは越えられない不自然さというか、違和感が残るのです。
…なぜ、本物の動物を仕込んで演技させなかったのか??
ご覧になった方はわかると思いますが、確かに、あのまんまの映像を収めようと思ったら、本物の動物をいくら仕込んでも無理です。
ディカプリオさんの体に、巨大なクマが乗っかってるわけですからね。
でも、演出を変えてでも、本物にこだわり続けるわけにはいかなかったのか??
…実は、その答えは「ラストシーンのディカプリオさん」に隠されているのでは?と感じています。
ラストシーンの、ほんとに最後のワンカット。
俳優の演技に、ある演出が施されています。
そこまでの2時間半、これでもかというくらい、大自然の偉大さが描かれ続けます。
大自然の前に、人間は何と無力なことか。
その姿、大自然にただ生かされている、運命を大自然に委ねるしかない人間のか弱き姿。
もはや、大自然こそ神であるかのごとく、山々や木々が神々しく映し出され続けます。
その中で、復讐という名のもとに、自分の運命に打ち勝ち、ある時は自然と一体化し、ある時は自然の猛威に逆らいながら、ムチに打たれボロボロになったイエス・キリストのごとく蘇える一人の男。
それは、か弱き人間の中に潜む、限りない力強さに見えるのですが。。。
しかし、そのラストシーン。
最後のカットでディカプリオは…
そこから、皆さんは何を感じるでしょう??
やはり、力強く生き続ける男の姿なのか?
それとも…???
人間を支配する、雄大な自然。
そこに脆くも傷ついてきた人間たちは、その大自然に対し、何をしてきたのだろう??
自然の力に、仲間や家族の命を奪われてもなお、自然に感謝したのであろうか?
その運命を、神に委ねたであろうか?
それとも…自然に復讐を誓ったのだろうか??
大都会に生きる今日。
人間は、まるで自然を制覇したかのように振舞っています。
復讐を遂げたかのごとく、大自然の上に人工の地面を築き上げ、我が物顔で暮らしています。
今や、人間が地球の覇者のように。。。
確かに、この地球や自然の覇権を人間が握る時代になったのかもしれません。
人間が、まるで神にでもなったかのように。
それなら、動物を作り出してごらんなさい。
最先端の映像技術があるのなら、その大自然の恵みを、人間の手で作り出してごらんなさい。
…果たして。
そこに作りだされたCGの熊や魚やバッファローたちは、自然光だけで撮影され、極寒の中を撮影した生身の人間の演技にマッチするほどナチュラルだったろうか??
ディカプリオのラストカットは、異化効果によって僕らを突然現実に引き戻し、そして、問いかけてきます。
カメラの向こう…観客のいる、現実世界に。
お前たちが自然の覇者だというのなら、神であるなら、本当にそれを作り出すことはできるのか?と。
自然に復讐し続けてきた人間たちの末路に、何があるのか?
それこそが、ディカプリオの、あのラストシーンだったように思います。
CGの動物が登場した時の、どことなく漂う違和感こそが、この映画の問いかけであり、答えだと、感じました。
自然は、人間が作り出したものではない。
人間こそが覇者であり、神であると思うなら、そこには自然と溶け合い共存する道はありません。
皆さんは、どのように感じましたか。
映画を鑑賞した、日本橋の景色。
都会の景色に、人間の力について考えさせられます。
レオナルド・ディカプリオがアカデミー主演男優賞を獲得した映画です。
すごかったですね…
谷口浩久です。
一切、照明を使わず、自然光だけで撮影したそうです。
その映像美に圧倒された、2時間半。
テレンス・マリック監督の映画を彷彿とさせる映像と語り口。
そこに息づく、俳優の演技。
その、徹底したリアリズムの追求とはある意味「逆らう」かのような、動物たちのCG映像。
熊や、バッファロー、魚…
CGで描かれたそれら動物たちは、自然光だけで撮影された、文字通りリアルな大自然の風景に、どこか人工的な影を落とします。
もちろん、それはそれでとてもクオリティーの高い出来なのですが。
やはり、CGでは越えられない不自然さというか、違和感が残るのです。
…なぜ、本物の動物を仕込んで演技させなかったのか??
ご覧になった方はわかると思いますが、確かに、あのまんまの映像を収めようと思ったら、本物の動物をいくら仕込んでも無理です。
ディカプリオさんの体に、巨大なクマが乗っかってるわけですからね。
でも、演出を変えてでも、本物にこだわり続けるわけにはいかなかったのか??
…実は、その答えは「ラストシーンのディカプリオさん」に隠されているのでは?と感じています。
ラストシーンの、ほんとに最後のワンカット。
俳優の演技に、ある演出が施されています。
そこまでの2時間半、これでもかというくらい、大自然の偉大さが描かれ続けます。
大自然の前に、人間は何と無力なことか。
その姿、大自然にただ生かされている、運命を大自然に委ねるしかない人間のか弱き姿。
もはや、大自然こそ神であるかのごとく、山々や木々が神々しく映し出され続けます。
その中で、復讐という名のもとに、自分の運命に打ち勝ち、ある時は自然と一体化し、ある時は自然の猛威に逆らいながら、ムチに打たれボロボロになったイエス・キリストのごとく蘇える一人の男。
それは、か弱き人間の中に潜む、限りない力強さに見えるのですが。。。
しかし、そのラストシーン。
最後のカットでディカプリオは…
そこから、皆さんは何を感じるでしょう??
やはり、力強く生き続ける男の姿なのか?
それとも…???
人間を支配する、雄大な自然。
そこに脆くも傷ついてきた人間たちは、その大自然に対し、何をしてきたのだろう??
自然の力に、仲間や家族の命を奪われてもなお、自然に感謝したのであろうか?
その運命を、神に委ねたであろうか?
それとも…自然に復讐を誓ったのだろうか??
大都会に生きる今日。
人間は、まるで自然を制覇したかのように振舞っています。
復讐を遂げたかのごとく、大自然の上に人工の地面を築き上げ、我が物顔で暮らしています。
今や、人間が地球の覇者のように。。。
確かに、この地球や自然の覇権を人間が握る時代になったのかもしれません。
人間が、まるで神にでもなったかのように。
それなら、動物を作り出してごらんなさい。
最先端の映像技術があるのなら、その大自然の恵みを、人間の手で作り出してごらんなさい。
…果たして。
そこに作りだされたCGの熊や魚やバッファローたちは、自然光だけで撮影され、極寒の中を撮影した生身の人間の演技にマッチするほどナチュラルだったろうか??
ディカプリオのラストカットは、異化効果によって僕らを突然現実に引き戻し、そして、問いかけてきます。
カメラの向こう…観客のいる、現実世界に。
お前たちが自然の覇者だというのなら、神であるなら、本当にそれを作り出すことはできるのか?と。
自然に復讐し続けてきた人間たちの末路に、何があるのか?
それこそが、ディカプリオの、あのラストシーンだったように思います。
CGの動物が登場した時の、どことなく漂う違和感こそが、この映画の問いかけであり、答えだと、感じました。
自然は、人間が作り出したものではない。
人間こそが覇者であり、神であると思うなら、そこには自然と溶け合い共存する道はありません。
皆さんは、どのように感じましたか。
映画を鑑賞した、日本橋の景色。
都会の景色に、人間の力について考えさせられます。