一年前の“あの日”いつもの日常が崩れ去っていった日(1) | 浪人生つらたん

浪人生つらたん

ブログの説明を入力します。


1日遅れましたが僕も書きます。

すみませんあせる多分書ききれないと思うので2回に分けてブログを書きますm(_ _)m

一年前の“3月11日”忘れもしない。
この日はいつもより忙しかった。
この日は僕の中学校生活最後の日だった。そう、『卒業式』だ。
朝起きてから式が終わるまで僕はずっと中学三年間の思い出を掘り返していた。

そしていつも通り友達と登校し「いつものメンバー」「クラスメート」と卒業後の話題や式が終わったら何をして遊ぼうかなどと話していた。
そして、担任が来て入場し順調に式を終えクラスに戻って先生にサプライズでケーキを渡し、あめを舐め、担任から最後の話を聞き、写真たてをもらい、帰宅になった。
僕は、学校の中で既にいつメンと多賀城ジャスコに行く予定を立てていたので友達を一人をコンビニで友達と待ちながらジュースを買ったりした。

そして、友達の親が「危ないから」と友達と来たので車に乗せてもらってジャスコに行った。着いたらゲーセンに直行しプリを撮った。その後、僕たち男子陣は近くのUFOキャッチャーを見に行き、女子陣は落書きをしにいった。女子陣が落書きをしようとしたその時だ、僕は床が揺れ始めたのに気づいた。周りの人たちは気づいていなかった。しかし、揺れは直ぐに大きくなり、電気は消え、コンクリートからは粉が舞い上がっていた、僕は必死で「地震だ!!早く逃げないとヤバイ!!」と友達に大声で叫んだ。みんなもそれに気づき一斉に走って外に出たエスカレーターからは2階にいた客が一斉に出てきてギュウギュウ詰め、外には卒業式を終えたばかりの中学生、泣いてる人がいた。

揺れは一端収まったが直ぐに今まででは考えられない揺れが来て3分程続いた。あんなに長い揺れは今までに経験したことがなかった。直ぐに友達のお母さんが車を出してくれてジャスコから逃げた。車のナビのワンセグに皆が釘付けになった。そこには更に信じられない物が写っていた。それは岩手の釜石を今、まさに呑み込んでいく津波の様子だった。画面左下には津波の到達予想時刻、右下には津波警報が出された日本列島の縮小地図、画面上にも津波警報の文字、画面から聞こえてくるアナウンサーの人はずっと「大津波警報が発表されました。海の近くにいる方、沿岸部に住んでいられる方は直ちに高台に避難してください!」と何度も何度も叫んでいた。