『World Map』(https://openclipart.org/detail/1733/world-map )



先の記事『‐正恩氏を「キチガイ」扱いする西洋白人の思考その2‐』(https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12290665120.html )にて、コメント欄のMichikoさんとのやり取りで「自由主義陣営」における「価値観の共有」についてのお話です。


ここで述べられたことは、主に自由主義陣営における「民主主義の骨抜き化」についての問題と、本当は共有できていない「価値観」の問題についてです。



主にMichikoさんが述べられたことは、


そもそも「民主主義というのは、権力を持たない人たちにとっては、最も『可能性』のあるシステムですが、現状では、ほぼ、『金持ちの権利を守るための道具』と化していると言うほかには、ありません」


「西洋の支配層が、『民主主義』というものを、本当に大切なものだと思って、『いいものだから、広めたい』とか、『広めるだけではなく、きちんと運用してもらいたい』と思っているかと言ったら、『口』ではそう言っていますが、やっていることを見ると、そうではありません」


「民主主義的に選出された人でも、西洋の支配層が気に入らなければ、平気で滅ぼそうとする。ウクライナのヤヌコビッチ、シリアのアサド。そのいっぽうでは、『選挙をやっていないから、ダメなんだ』と言って、中国や北朝鮮へのダメ出しをしていますが、サウジアラビアには、お咎めなしです」


「さらに、日本。日本の民主主義というのは、骨抜きになって、形骸化しています。一部の権力者が、家業として、世襲であたるのが『政治』というものになっている。これは、もはや、民主主義などではなく、『寡頭政治』と言うほうが、近いです」


「選挙をやってもやっても、権力は、特定の人たちの手に渡ってしまうのです。アメリカも、同じ。親子で大統領をやるとか、クリントンのように、夫婦で大統領をやる予定になっていたとか、これはもう、寡頭政治です」



「さらに、クリントンとか、オバマとか、フランスのマクロンのように、『支配層の出身ではない新人』が出てきて、あたかも民主主義が機能しているかのように見えることがありますが、これも、実は寡頭政治です。
こういう「ぽっと出の人たち」というのは、支配層に引き抜かれて、それらの利権を守るために、お金を出してもらって、一定の期間、名前だけの権力者になるという話です」


「民主主義は、貧乏人にとっては、希望のあるシステムですから、本来は、マシなのに決まっていますが、使い方によっては、選挙をやっていない中国の官僚主義よりもひどい結果になってしまう、ということは、言えます」



以下のように、民主主義は過去の「人類の英知の結晶」であることは間違いないですし、現状における「最良の政治制度」ではあるのですが、現実を見れば、それがまったく実行されていません。


世界各地では「民主主義」の名を借りた貴族政治(Michikoさんは「寡頭政治」と定義)が横行し、一部の金持ちなどの特権階級のみが、そうした「権力を行使できる立場」を独占している事実です。


無論、これは昔から言えることで、日本で俗にいう「地盤」「看板」「カバン」(3バン)がなくては選挙に勝てませんし、一般論では「みなに開けた政治参画」を謳っても、現実を見れば虚空に舞う妄言に過ぎません。


しかし、こういう「民主主義国」の住人たちは、上記の矛盾を見ても、批判を許さないばかりか、近隣の「独裁国」をあげつらって、ひたすら自分たちの優位性を主張します。



世界に多くの矛盾が蓄積し、「本来の民主主義」というものは、ほぼ「理想の世界」の彼方にあり、それとは対極の「どろどろした現実にある『骨抜きにされた』民主主義」のみが、ただ私たちの前に横たわっているのです。


こうしてみると、それぞれの国家体制を見て「骨抜きの民主主義」と「独裁主義」、両者相対的に変わらないように思えます。



そして話は「価値観の問題」に移り、それぞれの「自由主義陣営」に属する国々(主にアメリカの同盟国)が、対立する「非民主主義陣営(独裁国)に向かって、自らの正当性や優位性を主張するときに決まって発する文句が、「我々は自由主義と民主主義の『価値観』を共有する」です。


一体、彼らが共有する「価値観」とは何なのか。



英語ブロガーのMichikoさんはこうおっしゃられます。


「誰だか知りませんが、安倍がしゃべる内容をこしらえているコピーライターが、『価値観を共有する』というふうに、しきりに言わせていましたけれども、今回、トランプがポーランドに行って『アメリカ的価値観』の内容を説明してしまったので、腹を抱えて笑いたくなりました」


「トランプは、アメリカ的価値観というものは、『フリーダムとファミリーとゴッドだ』と言って、だから、ポーランドと価値観を共有していると、言ったのです。まあこれも、誰かが書いた原稿を、読んでいたのでしょうが、トランプ本人に『違和感』があれば、ここまで言うということは、ないでしょう」


「これに従えば、日本とは、どうやっても『価値観は共有できない』ということになるわけです。トランプが言っているのは、『キリスト教国である』という条件が、価値観に含まれるということなので、それだと、安倍普三にも、日本にも、当てはまりません」


「安倍がいくら『価値観を共有している』と言い張ったって、相手の条件には、キリスト教が含まれているんですから、一方通行というか、片想いという話です。まあ、どうしても『価値観を共有していることにしたい』なら、自民党を上げて全員でキリスト教に改宗し、メルケルの党のように、『日本キリスト教ナントカ同盟』という党名に変えて、全国各地に教会を建てまくり、国会議事堂の上に十字架をくっつけるしか、方法はないでしょう 」



「価値観の共有」・・・・。


よく日本の報道でも目にするフレーズですが、安倍氏が盛んに「日本の正当性」を主張する機会において、とりわけ中国との尖閣列島(釣魚諸島)との問題や、北朝鮮(DPRK)との「ミサイル」問題の摩擦でよく唱えられます。


我が国日本において、多くの「民主主義者」たちに「その具体的内容は何ですか?」と質問をぶつけて「自由と民主主義だ」と答えたら、「いや、トランプ氏がポーランドでの演説で『フリーダムとファミリーとゴッド』って言ってますけど」と言えば、彼らはどう返答するのでしょう。


第一、日本は完全な「民主主義国」と言えば、かならずしもそうではなくて、一般論でなく、Michikoさんがご指摘のように「家柄」でその職業を独占してきたこと(おおむね全世界の「民主主義」国家にも当てはまる)とか、そもそもアメリカと対極にある「アジアの国」ですし、民族性も大きく異なります。


そんな「歴史も文化も違う」人たちが、無理して「同化」しようとしなくても良いのですが(実際できてないし)、ただ「利害関係」のつながり(本当は支配と奉仕する関係)だけで、「気に入らない国」を批判するときだけ「価値観を共有する」と連呼するのはやめてほしいと思います。



<ご見識>


・英語ブロガーのMichikoさん