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日本のエンターティナー&ロックバンド【HareteSarutahiko】公式ブログから

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2018年、新年の挨拶をしないまま 2月になりました。

あれから、3DCGでのドラマ制作を続行中です。

問題解決に、平気で1か月かかることがあります。それが、解決できたと思い 先に進むと、とさらに難題が出てくるもの。そうこうしているうちに1年が経ち、今年こそ、配信しようと加速させています。


絵が得意ではないので、人の顔は難しいものです。人物のモデリングに 多大な時間を使ってしまいましたが、そのモデルが実在しても、特に著名人ではないので「そんなに似てなくてもいいか!」そう割り切る事で スピードが上がってきました。

 

それと「今は誰にも、理解も期待もされず」なんて所がパワーになります!何を作っているのか、知っている数人でさえ、あまりにもの進度の遅さに 最近は話にも上りません。しかし、他人には分からないところで、一人でチマチマ向き合っているのが面白いところです。

 

PC1台、一人で映画を作る事が そんなに大層なことでしょうか?配信を急ぐため「途方もない この作業をどうしよう」なんて事を考えることもあるけれど、結局、一つずつ作り上げて行くしかなく、パソコンがあるから可能なことで、ほんとパソコンには感謝です。

 

そんな中、先月、久しぶりに手にした小説がこれ。


久しく読んでなかったこのタイプ。凝った文脈もなく 比喩表現も使っていないけれど、強烈な臨場感を与えてくれる本でした。

主人公には、そこまでしても会いたい人がいる。そして、周りを取り囲む登場人物達が、絶妙に絡み合って、印象として 夏目漱石の「吾輩は猫である」を、重ねた恋愛ファンタジー。

ここでの叶わない物語は、やがて2つになり、そこから、それぞれの行動や思いが、さらに分岐してゆく。予想を反した、先の読めない展開がとても面白い作品でした。 これは書評ではないのでちっとも分からないかもしれません。

 

アニメ声優さんが主人公なので この絵なんですね。

もう終わってしましましたが、先月友人からメールが届きました。月末、舞台に立っていたようです。フライヤーから どんな創作なのか読み取れませんが、偶然にもタイトルが「吾輩は猫である」で気になっていました。しかし、見にゆけず仕舞い。 

最近になって、本家本元の「吾輩は猫である」はどうだったかと、少しずつ読んでいます。

「エバーホワイト」…とにかく、凄まじい内容だった。
話の冒頭で、風俗嬢となった同級生の「長谷川夏美」と衝撃的な出会い方をして、成り行きで同棲を始めてしまうが、全てがここから始まる
 
主人公「森正文」は何処にでもいそうな まじめな青年である。ある事がきっかけで、大胆かつ冷静に振舞い、一方、自分の殻へ引き戻されるを繰り返す。
 
自分が分からないからこそ 陥ってしまう劣等感から 狂気沙汰へ引き摺り込まれて行く様である。常に「僕は正しい」ではなく「僕は悪くない」という表現が彼には似合っている。自己を基準にしていたつもりが、いつも他人に支配されているのである。
 
愛が故の正義感は、10~20代辺りの純粋さそのもので、誰もが持ち合わせているもの。それだけに、同情してしまう怖さをも、持ち合わせている。
正文の「善と悪」の判断基準は曖昧で、常に「愛=情」そして「自分」との狭間で揺で動く。コントロールしているつもりの彼女に振り回され、その溺れ具合と成り行き感、優柔不断と勘違い、純真ゆえの残酷さは 支離滅裂で破滅的。何度も立ち直ろうとするが、結果は許されざるものとなってしまう。
 
ヒロインの夏美も、その辺に居る ごく普通の娘で、決して悪い子には見えない。深刻な癖(性格)を持つ彼女に打算的なものは何ひとつなく 何もかもが唐突的で衝動的、こう言うのを無邪気と言うだろう。寂しさからくる献身的な優しさは依存型で、自分でも気が付かないうちに男を虜にしてしまう典型的なタイプである。その様が淡々と し過ぎているからこそ鋭い。
 
正文は、どこまでも彼女を愛し抜くが 「夏美」ではなく「長谷川さん」と表現し続ける 作者の意図が面白い。
懸念したくなる様なストーリーではあるが、一方で目を見張る、面白さが交差している。
 
タイトルの「エバーホワイト」を直訳すると「永遠の白」? そうとも訳せる。しかし「心がどこまでも純白」と言う意味よりも「無知ゆえの白(白痴)」、いわば「永遠の大バカ者」とも解釈できる。…ラストシーンは衝撃的で、日常に潜んだ凶暴な面が、一気に噴き出す。
 
70年代のATG映画を彷彿させるが、これは個人的な見解。しかし、確実に映像にしたら面白いかもしれない。「ズシーン」とした重苦しさがいつまでも 心の中にはびこるであろう。
 
もし、舞台で描いたとしたら、凄いことになるに違いない。俳優は1日2回以上、これを演じる事ができるのだろうか?

難題に迫られ、心をかき乱され、公演の後は放心状態、トラウマ、虚脱感に苛(さいな)まれ、暫く社会復帰が難しくなりそうな作品である。・・・だから、面白いのかもしれない。
 
…内容をバレらさないように書くと こんな感じになる。大晦日から元旦にかけて読んだが、余りにも衝撃的で、既に遠い記憶となっている。 
 
この作家も凄い!

新年あけまして おめでとうございます。

 

昨年後半、少しブログを書いた感がありましたが 総合的にみると少ないです。今年こそ頑張ろうと 勢い込んでいます!

ところで新年早々、凄い小説を読みました。あまりにもの暗さに「あれは凄かった」と 既に遠い記憶となっています。

 

今月末、1月28日(土) ・1月29日(日)「ウルトラヒーローズ THE LIVE アクロバトル クロニクル2016」東京公演が開催されます。http://m-78.jp/acrobattle/concept/

 

ここに出演する、大島研究員役の 外島孝一 彼は、昔ながらの後輩で、近年、再開してから仲良くなり、読んだ本の話ができる仲間の一人です。もう一人いました、火乃川修二隊員役の898(やくわ)君も よく読む人です。

 

何冊か読んで得た情報は、一つの答えを出してくれるます。小説は息抜きで、映画を見るような感しかもしれません。本はもう少し、安くならないかと期待しています・・・。

 

一方、自分の書いている物語は、一向に進んでいません。例の3Dアニメーションはよやく3人目の主人公が完成しそうです。更に1年かけてしまいました。

 

自分のパソコンはグラフィックカードがアプリケーションに対応していないので、多少、時間のかかる作業です。これを早めるには、クアドロと言うタイプのグラフィックカードが必要ですが、そこそこの物でも10万円。通常は20万円~80万程度します。いつか搭載しようと企んでいますが、これも安くならないかと期待してしまうのです。

 

と言う事で、本年度も よろしくお願いいたします!

リハーサルが続いて、なかなか読めなかったこの1冊。通し稽古が終わった帰り道、残りを一気に読み、気分はスッキリ!


「夜行」森見 登美彦(著)

 

「現実とは、何が基準なのか?」他人と記憶が一致しない事は、日常的に起こりえる。2人が一緒にいた 昨日は「自分の1日」と「相手の1日」は本当に同じ処なだろうか?

「本当に1日なのだろうか?」「夜寝て、朝目覚めた場所は同じ場所なのか?」「目を閉じて、目を開けた数秒後は、本当に同じ次元だろうか?」・・・。

 

時間や空間(時空)とは、相対性を元に「意識」や「多元宇宙論」などを照らし合わせると「過去・現在・未来」の定義が曖昧すぎる。

個の意識を放棄すれば 大海に砂を撒くイメージがある。そこで、互いや個の重要な繋がりを持つには「心=意識」が原動力であると個人的に考えている。

 

本当の意味での「物を見る」と言う一説は、まさにその通りで、普段、自分達は「物を見ている」のではなく「見たいように見ている」のである。例えば「木や花」を見た時 ”人は自分の意識を先に働かせてしまう”だから「本質が見えない」。もしくは「本質を見抜く事ができない」。その見切るコツは、小説の中に書かれているので、興味のある人は読んでみると良いかもしれない。


劇中に出てくる、銅版画家:岸田道生の「夜行」と言う作品をキーワードに綴られた、ホラータッチで不思議な話。「夜行」の反対が「曙光」。今回も、面白い話に出会えて 感謝~!!

Merry Christmas & a Happy New Year!


★CMを見つけた


『きっと君は泣く 』山本文緒

この本を読んで、端から主人公に、共感する人は少ないのでは・・・。しかし、それは、誰もが持ち合わせている闇の部分でもある。

主人公の内側から、まるで自分自身が行動しているかのようにストーリーが進み「登場人物」各々に隠された 訳あり人生の連鎖が生んだ「主人公”椿(つばき)”」の性格付けが絶妙である。
 
「本音と建て前」の表現には「あぁ~っ」と思わせる気付きもあり、男目線で読めば、スルーしたくなる部分が多々ある。
 

女同士の、複雑で紙一重な怨恨と優しさ。容姿や着衣のことなど、その時々の状態を皮肉った 何気ない中傷に臨場感もあり、笑かしてくれる。

そして「きっと君は泣く」の台詞から華僑へ突入。

ラストシーンで「椿」が男につく『嘘』は絶妙で爽快。その一言は、開き直りでもあるけれど、意識の底に潜んでいた 強さの現れでもあり、物語の続きの人生を、読み手にバトンタッチしているかのようにも受け取れた作品。

内容を隠して書いるので、よくわからなかったかもしれませんが、…映画を見終えたような充実感で大満足、面白かった~!

秋と言えば、遠い記憶の大学祭。

後期試験を目前に、恒例の一大行事「クラブ対抗 演芸大会」が待ち構えていた。

毎年この時期になると、体育会の部室錬には尋常ないピリピリムードが漂っている。武道系は上級生から、脅迫に近い優勝命令が下され、徹夜で練習するところもある程の力の入れようである。下ネタしかやらないのに、なぜそこまでこだわるのか。
 
我が少林寺拳法部は、特に下級生に口出しをする事はなく「考えておくように」とだけ伝え、3日後にその返答が返ってきた。

「失礼します。お時間頂けますでしょうか、演芸大会の件でお話があります。」 部室の奥のカウチに腰かけた幹部一同、その前には、後輩部員がぞろっと並ぶ。そして、代表責任者から説明が始まった。
 
演目はアルゼンチン・タンゴ! 
ラ・クンパルシータ」を「アカペラ&巻き舌調」これを全員 気合で歌い上げる。曲の節目節目、男の股間に手を添えた女役が強く揉みしだくと、男役が快感に悶え奇声上げるという内容である。
(予想図)

笑ったのはオレだけだった。しかし、ある幹部から「つまらな過ぎる」と、人格否定までされ考案者は 怒鳴られ、その時、チラチラ目を配せ、オレに助けを求めていた。

「アルゼンチン」の「チン」に なぞ掛けたことも、客席に背を向けると、タキシードのケツがくりぬいてあることなど、アイディアがチープなことは言われなくても予想できる。発案者の中では可笑しくてたまらなかったのであろう。しかしだ。そんなものは、ものの30秒もすれば、絶対に客は飽きる。間が持たなくなったら、どんな暴挙にでるのかの方が楽しみで、ワクワクしていたのだ。

翌日、校内を歩いていると、落ち込んだ様子の後輩を見かけた。目が合うとこちらに飛んできた。

「やはりあれ、ダメでしょうか?」。「説明の仕方が淡々としてて悪かったんじゃないのか・・・好きにやれよ!」 すると、さっきまでの暗い表情とは一転し 「ありがとうございます。僕らの気持ちを いつも分かって頂けるのは佐藤さんだけです。」と嬉しそうに頭を下げた。

しかし、オレをおだてたところで何にもない。幹部の中で一番 考えていないのは この俺だったからである。

そして、当日の結果も知る由もなし。
演芸大会などそっちのけ。
数日前、居酒屋で知り合った女子大の娘達と約束があり、別な場所で大いに盛り上がっていたのだ。

後に、後輩から結果を聞くと「それなりにウケけました」と満足げに満面の笑みを浮かべた。凝りもせず、翌年の構想を描き 一人ニヤニヤしていた。
20歳過ぎの大人とは思えないこの馬鹿さ加減、そんな姿を親が知れば きっと泣くことであろう。

※本物のタンゴは 凄い!

モデル・作家の鈴木詩織の『今の人』を読んだ。

ストーリーは生々しくて、身近に感じさせる 「こういう人っているなと…」。

本編の事象に対して 自分をも照らし合わせてしまう。

完璧と思える男と付き合い、なのに、得体の知れぬ不安と罪悪感を持ち合わせている主人公。計算高い割には 流れるままに生き、別れ際の爽快感がある。

 

「スパッ」と終わる最後も 斬新。

 

主人公は おそらく作者自身を表現したのであろう。淡々とした中の鋭さや切迫感があり、性別を超えて共感させられる部分が、不思議で面白さを出している。

 

あまり小説を読まなかったけど、この処 10冊に一冊のペースでハマっている。

ある会社で、ショー制作をやっていた頃の彼しか知らなかった。

その彼が、俳優をやっている聞いた時、違和感があったが、芝居を見ているうちに、 そんな気持ちは一気に吹っ飛んでしまった。自分の個性を生かし、面白い作りになっていた。

 

前説で、彼が劇団の主催者であることを知った。「福田アキ☆ラ(あきほしら)」、コメディアンのような芸名で 毎月の舞台に立っていたのだ。

浅草に長年足を運んでいたが、この場所は知らなかった。浅草ROXを超え、次の通りを浅草寺方面に入って、すぐの所である。本番前まで、出演者たちが 外で呼び込みをしていた。

(浅草リトルシアター)


舞台は、6畳あるかないのかで、あまりにもの小ささに驚いたけれど、この日の客は40名ほどで、ほぼ満席。昼間は、芸人がここでコントをやってるらしい。

 

料金は1500円~1700円、前売りだとさらに安くなる。1時間弱で、ショートストーリーを並べたオムニバス形式、どちらかと言えばコントに近い。しかし、芝居のクオリティーは高くて おもしろかった!

 

これは下積みではなく、浅草に根を下ろした 彼の独自の世界だと感じた。

 

…自分が言うのもおぞましいが、アメリカの「JACCAS」の影響であろうか?近頃Youtubeで見かける、人を困らせたり、驚かせたりの いたずらネタが多い。

人を笑いものにするのか、自分が笑われる立場になるのかで、その差は大きい。人を笑いものにするには、相当な覚悟とスキルがなければならない。常識を知らないと、笑いは非常に悪質なものとなってしまう。やはり、手間ひまかけ、作りこんだエンターティンメントが王道であると思っている。

またの機会に見に行くので、次回も 笑わせてくれることを期待します。

ミュージシャンの尾崎世界観の書評で「報われない人間は 永遠に報われない」を読んだ。

 

タイトルは何気に 村上龍っぽい…。

情景や心理描写の描き方が巧みで、一歩引いたところから 物語の中へズルズルと引き込まれてゆく。

 

本音と建て前から始まり、自惚れたつもりが、やがて嵌って、そこから溺れて、最後にすべてを失う。同情するとか裏切るとか、生活感 溢れた身近な距離から リアルに表現されていた。

カミュの「異邦人」とは また別物だけど、終わり方が実に生々しい。

舞台でやったら面白いだろうな~ 映画じゃなくて舞台でね。

 

数時間で終わらせてしまうには勿体ないので、3日間かけ ゆっくり読んだ。

素敵な時間をありがとう~ 作者に感謝!!!

ニーチェ
知り合いの娘がニーチェの名言「神は死んだ」を熱弁してきた。
彼女はクリスチャンなのに、いささか無神論者の意見を語る。

学生時代 哲学の期末試験が「アリストテレスとカントの正義論の違いを述べよ」の論文形式。勉強していなかったので、少林寺拳法の経典「力なき正義は無力なり 正義なき力は暴力なり」をこじつけた。結果、単位はもらえず~。

 


演技養成所に通っていた頃、先生達が文学座出身でレッスンは「新劇」が中心。海外物の戯曲の中に 、その手の比喩表現や偉人達の名前が多く出てくる。台本を読めば、新劇自体が哲学に思えていた。(※新劇とは、日本独自の名称です)


哲学は、中1の時 パスカルが最初だった。その後、森鴎外の「高瀬舟」で安楽死についてやったことがある・・・しかし、前文の通り、個人的に 相性はよくない。

 

苫米地英人氏の本で「なぜ、脳は神を創ったのか」や「正義論と言う名の洗脳」に1991年に「神は存在しない」の論文を書いた パトリック・グリムついて書かれていた本があり、そのアプローチの違いが気になっている。

釈迦も、神の存在や、死後の世界については、一切語ってない。語らなかっただけではないとも思う。

 

よいタイミングなので、 久しぶりに 哲学関係も読んでみようと思う!!