おつ華麗臭!
リバーシブル芸人ししどっちです。
「コント食堂」について書く前に、発起人である僕の紹介をしておこう。
関係者にも話していないエピソードをまじえて。
芸名「ししどっち」
フリーのピン芸人。
芸歴9年目。
ししどっち名義では2年目。
いわばドペーペーのド新人。
「芸人」と自称しているだけで公式に認められたわけでもない。
「お笑い無免許運転」といってもいい。
そんな僕がお笑いライブを主催するなんて相当ぶっとんでいたと思う。
5月のあの日 、この正体不明の男に突然ライブの共催を持ちかけられた東京アヴァンギャルドとごまピエロ。
マルタ「『ちょっとあなたたち集合。素敵!』って。」
神戸「『この中にタイプがいる。あなた!』」
友納「『遺伝子が欲しい』って言われた(汗)」
マルタ「『ミックスしたい』ってね。」
とオープニングMCで出逢いのエピソードを面白おかしく語ってくれたが、当時はさぞ驚いたことだろう。
あらためて4人の懐の深さに感謝したい。
あのとき誰か一人でも断っていたら、「コント食堂」は存在していなかったのだから。
話は10年以上前に遡る。
地元の高校生を集めたダンスコンテストで3年連続優勝した僕は、大学進学後、地元の高校生やOBとともに毎年ダンスコンテストを開催していた。
部活動やサークルに属していない僕にとってかけがえのない居場所だった。生きがいだった。
全盛期は300人を超える出場者に、1500人ものオーディエンス。
その実績が認められ、新聞から取材を受けたこともあった。
主催であり、広報でもあり、審査員でもあり、そしてもちろんパフォーマーでもあり。
自分で作った団体の中で、誰にやらされるでもなく自主的にいろいろな立場を体験できる現状がありがたかった。
スポンサーを募ったり、照明の業者を手配したり、後援をもらうために市役所や市教委に出入りしたり。
今思うと21歳やそこらの若造にしてはよく動いていた方だと思う。
周りの大人たちもヒヤヒヤしながら見守ってくれていたに違いない。
しかしそんな運営も長くは続かなかった。
僕はあるときこの任務から自分自身を解き放った。
地域や世代を越えて巨大化していく団体の主催を続けていくというプレッシャーに耐えられなくなったから。
「高校生の自主イベント」という看板を前面に出すことと、自分自身がパフォーマーとして主張したいという願望が同時に成立しないという矛盾に気付いてしまったから。
僕がもう少し器用だったなら
人に任せることが上手だったなら
人を信じることができていたなら
あんな結末にはならなかったかもしれない。
僕は自ら築いた椅子を自らの手で叩き壊した。
気がつけば立ち上げから6年もの月日が経っていた。
僕の心は高校生のままだった。
大学生にすらなれていない高校九年生だった。
大人になりたい気持ちと、まだ子供でいたいという気持ちが同居した奇妙な6年間だった。
僕はもう主催はしない。
誰かの上に立って責任を背負うことなどしないと心に決めていた。