やっぱり始まった指名解雇 日本IBMが直面する試練 | ジジイのブログ

ジジイのブログ

ブログの説明を入力します。

社内が恐れていたことがついに始まった――。業績の低迷に苦しむ日本IBM。この春、56年ぶりの外国人社長に就任したマーティン・イェッターが大ナタを振るい始めた。新たな成長戦略を打ち出す一方、成績不良を理由にした指名解雇を始めたのだ。大胆なリストラでIBMのドイツ法人を再建したと言われるイェッター。日本でもその手腕を発揮できるのか。

■突然の解雇通知




 文字通り、「紙切れ一枚」の解雇だった。

 7月のある平日、午後5時。日本IBM事務職の久保田一郎(仮名、49)は直属の上司に呼び出された。用件が不明なまま部屋に入ると、上司と人事部社員が待っていた。そして、上司が1枚の紙を読み上げ始めた。それは久保田には思いがけない驚きの内容で、しかも重大なものだった。

 「解雇予告通知および解雇理由証明書。会社は貴殿を2012年7月○日付で解雇します」。

 久保田は耳を疑った。動揺して言葉が出ない。そんな久保田を尻目に上司は淡々と読み上げていく。

 「貴殿は業績が低い状態が続いている。会社は様々な改善機会の提供やその支援を試みたにもかかわらず業績の改善がなされず、就業規則53条2項の解雇事由に相当する」

 業務成績の不振を理由に解雇するとの内容だが、まだ頭の整理ができない久保田に上司は続ける。

 「ただし自ら退職する意思を示した場合は解雇を撤回したうえ、自己都合退職を認める。退職加算金や会社負担で再就職支援会社のサポートを受けられるオプションも用意する」

 ようやく久保田が口を開こうとしたが、会社は反論を一切受け付けず、一方的に「あなたはもうIBMの人間ではありません。午後5時36分の退社時間までに会社から出てください」と通告された。文面はA4判の紙に十数行。部屋に入ってから10分もたっていない。あっという間の解雇通告だった。



 指定の時間を過ぎると、すでに自分のIDカードでは会社入り口のゲートは開かず、社内メールも使えなくなっていた。

 久保田は解雇も自主退職も受け入れない意思を固め、それを示すため、翌日から1週間、毎日会社に通って受付を通じて上司に面会を求めたが、一度も実現しなかった。「同僚や社外の関係者に満足にあいさつする時間もなかった。私が長期出張に出ていると思っていた人もいたようだ」


■自主退職に誘導か


 10月15日。日本IBMの元社員3人が会社を相手取り、解雇無効と賃金の支払いを求めて東京地裁に提訴した。成績不良を理由に解雇を通知された3人は「具体的に成績がどう悪かったのか示されていない。新しいリストラ手法だ」と憤る。

 日本経済新聞 電子版「コンフィデンシャル」では6月4日付で日本IBM社内がリストラにおびえる様子をリポートした。その後もリストラの噂が絶えなかったが、元社員による提訴により、水面下で進んでいた指名解雇がついに明るみに出た格好だ。



 実は「日本IBMは2000年代から人減らしを続けていた」と語る業界関係者は多い。ただ、「ドイツで数千人規模の人員削減を手掛けたと言われるイェッター社長の就任以降は手法が米国流に変わったようだ」とライバルのIT(情報技術)企業幹部はIBMの変化を指摘する。

 久保田らを支援する全日本金属情報機器労働組合(JMIU)書記長の三木陵一も「変化」を感じている。JMIUによると2003年以降、当時社長だった大歳卓麻の下で成績不振を理由にした人員削減が始まったという。ただ、「何度も面接を繰り返し、本人に反論する機会もあった。削減対象の人でも受け入れなかった人もいた。今回は洋画に出てくるような首の切り方だ」(三木)。JMIUの推計では、すでに100人以上が解雇通知を受けたという。

 解雇通知後に自席に戻ることすら許さず、一方的に退社を命じる――今回の指名解雇のやり方について前出のライバル企業幹部は「外資では顧客情報や技術の流出を防ぐための当然の措置」と解説する。

 もともと日本は解雇のハードルが高い。裁判になってメディアに取り上げられる機会が増えれば「冷淡な会社」として批判を浴びる恐れもある。労働法制に詳しいアンダーソン毛利・友常法律事務所弁護士の今津幸子は「成績不良を理由に解雇するケースは珍しくはないが、具体的な判断基準が何かという点でもめることが多い。裁判になると2~3年はかかり、双方にとって負担が大きい」という。

 経営側は、「自ら退職する意思を示した場合は解雇を撤回したうえ、自己都合退職を認め、退職加算金や再就職支援会社のサポートを受けられる」という条件を提示している。裁判の負担などを考え、自主退職の形に誘導したいという狙いだろう。

 近年の日本IBMは明らかに成長力を失っている。ピークだった2001年度に比べて2011年度の単独売上高は半分に、最終利益は4分の1まで減った。コンピューターをはじめとするハード事業の撤退など不採算部門を整理した影響もあるが、成長のエンジンが見当たらないことが最大の要因だ。他のIT企業と比べても、売上高の落ち込みが目立つ。

 なぜ、ここまで縮小均衡に陥ったのか。社内関係者は厳格すぎる採算管理を理由の一つにあげる。


■プロジェクト撤退で顧客が激怒


 「霞が関の仕事を二度と受注できなくなるんじゃないか」。同業者の間でこんなうわさが流れたことがあった。日本IBMのことだ。今年に入って、ある官公庁の情報システムの開発を複数の国内IT大手と共同受注したが、開発の途中で、ある日突然、「日本IBMが手を引いてしまった」(共同受注した国内IT大手幹部)というのだ。当然、発注した官公庁の担当者は激怒、今後の受注活動が今も不安視されている。そんなリスクをとって撤退した理由について国内IT大手幹部は「工期が予想以上に長引いてしまったため、工期延長による採算割れを嫌ったのだろう」と解説する。


日本IBMを巡る主な出来事
1999年 大歳卓麻氏が社長就任
2001年 東芝との液晶ディスプレー合弁事業を解消し、液晶事業から撤退
半導体部門を分離
2003年 HDD事業を日立製作所に売却
2004年 購買部門をIBMの中国上海に移管
2005年 野洲事業所を京セラに売却
中国のレノボ・グループにパソコン事業を売却
2007年 アジア太平洋統括会社の傘下から離れ、米IBM直轄に
2009年 橋本孝之氏が社長就任
2012年 POS関連事業を東芝に売却
スルガ銀行のシステム開発を巡る訴訟で東京地裁が74億円の賠償命令
マーティン・イェッター氏が社長就任。外国人社長は56年ぶり

 採算が見込めないプロジェクト受注を回避する傾向が強まっているのか、「最近は日本IBMとあまり競合しなくなった」とライバル社が不審に思うほどになっている。

 日本IBMはノートパソコンの開発や大型汎用機の販売でグループへの貢献度が高かった時代は経営の独立路線を許されていた。しかし、収益力が落ちたところに2005年には約270億円の売上高不正計上事件が発覚。この事件をきっかけに米本社の経営関与が一気に強まり、プロジェクトの採算管理が厳格になっていったと言われる。

 ただ、収益改善に向け、厳しい採算管理は当然の手段。不振の背景には、拡販を進めたい現場と採算管理を重視する経営方針がうまくかみ合っていないという問題がありそうだ。

 苦境打開に向け、1月に米本社のCEOに就任したバージニア・ロメッティは経営戦略担当副社長のイェッターを送り込んで「米本社による完全支配」(関係者)へ移行した。

 では、イェッターは日本IBMを再建できるのか。

 イェッターは9月、売り上げ増に向けた成長戦略として、中堅・中小企業の需要開拓を掲げた。4つの支社を新設して、営業要員を配置する。世界全体の中堅・中小企業向けビジネスを統括する幹部を米国本社から迎え入れるなど相当な力の入れようだ。

 低コストでITサービスが受けられるクラウドコンピューティングの普及によって、顧客一件あたりの単価は下がる傾向にある。日本IBMが得意としてきた大企業や官公庁向けのビジネスは先細りとなる恐れがある。クラウド時代に成長するには従来型のビジネスモデルを脱し、手薄だった中小企業などの需要を取り込む必要がある。そのための人材の入れ替えも迫られる。

 ただ、路線変更を狙う日本IBMに対し、周囲の見方は冷ややかだ。ドイツ証券シニアアナリストの菊池悟は「日本は米国と違って個別に開発したシステムを好む傾向が強いなど独自性があり、米国と同じようにパッケージソフトが売れるとは思えない」という。大和証券キャピタル・マーケッツシニアアナリストの上野真も「米IBMのブランチ(支社)としてグローバル企業をサポートする機能に絞った現実路線が強まるのではないか」と、いずれも売り上げ増には懐疑的だ。


 事業の立て直しと人員削減についてイェッターに聞いた。


――ドイツのIBMで成功したリストラ策を日本でも実施するのか。


 「ドイツではある段階でコスト削減が必要な場面があったが、コスト削減より売り上げを伸ばすことの方が重要。日本でも売り上げをいかに伸ばすかを考える。従来の顧客だけでなく、新たな顧客の要望に応えられるよう国内の改革に加え、海外の専門領域のチームを連れてくる体制も整えた。日本市場は米国に次ぐ規模でIBMにとって重要性は変わらない。さらに改革を進めていく」


――元日本IBM社員がリストラに関連して訴訟を起こした。


 「我々に必要なことは顧客企業の要望に十分対応できる資質を持った人材の確保だ。今、起きていることは新陳代謝であり、人の入れ替わりはどこの会社でもある。当社は中途人材の採用も進めている。顧客の要求する厳しい水準を満たせない人をどうするのか。これはリストラではない」


■「1万人程度まで減らされるんじゃないか…」




 イェッターは今回の指名解雇は「新陳代謝」だと説明した。当面は売り上げ増を優先し、さらなる大規模な「リストラ」は否定している。ただ、日本IBMの社員数はおよそ1万4千人で、売上高が2倍あった10年前に比べて3割程度減っているに過ぎない。「余剰感があるという感覚を米IBMもイェッター社長も持っているようだ。もっと大規模なリストラに踏み切ってもおかしくない」(社内関係者)との声が社内では消えない。

 「1万人程度まで減らされるんじゃないか」「米本社の販売部門に格下げされ5000人規模まで縮小するのでは」などの噂話が飛び交っているという社内からは、人材流出も相次いでいるようだ。「日本オラクルが新システムの直販体制の構築に向け、中途採用を募集したところ日本IBMから大量に社員が流れてきた」(IT業界関係者)。

 1980年代から90年代にかけて、日本IBMはグローバルIBMの成長の原動力でもあった。今年4月に閉鎖を決めた大和事業所(神奈川県大和市)はノートパソコン「シンクパッド」開発の中心地となり、世界から優秀な人材を引き寄せた。日本IBMの首脳らが米本社の副社長やアジア太平洋地域統括会社のトップに抜擢され、世界のIT市場を舞台に采配を振るった。出世レースから外れた人材も外資系IT企業の日本法人幹部などにスカウトされることが多く、日本IBMは人材の供給源として日本のIT産業の成長を支えた。

 それからおよそ20年。新しいビジネスモデルを創出できずに縮小均衡に陥り、米本社から招いた社長に再建を託す日本IBM。世界をリードする新たな技術やビジネスを生み出せずに地盤沈下する日本の電機・IT産業の弱体ぶりを象徴しているようにみえる。日本IBMが日本の盛衰の姿を映しているとすると苦境から抜け出すのは容易ではない。