誰もが知っている天才画家・パブロピカソ。
ピカソの父親も画家だったが、ある日、まだ8歳だったピカソに
リンゴの絵を描かせた。ピカソが描いたリンゴの絵はとても上手で、
画家であった父親は自分で絵を描くことをやめてしまったほどだった。

早熟の天才ピカソは、幼少の頃から大人たちに褒め讃えられて育ったという。
まるで写真のような絵画を描くといわれ、彼の輝かしいキャリアは始まった。
しかし人生の荒波にもまれて、ピカソの画風は次々と変化していく。

親友の自殺に大きなショックを受け、暗青色を基調とした絵ばかりを
描いた時期がある。売春婦、乞食、盲人、裸婦などを好んで描いたそうだ。
青色の冷たく暗い色調で、「死」「苦悩」「絶望」「貧困」「悲惨さ」
「社会から見捨てられた人々」などをメランコリックに表現し続けた時代だ。
この時期を美術の評論家たちは、ピカソの「青の時代」と呼んでいる。

その後、新しい恋人を得て、明るい色調で絵を描いた時期がある。
特にサーカスを題材にすることが多く、サーカスの時代ともいわれている。
それは数ヶ月という短い時期だったが、彼のもっとも輝かしい青春であり、
名声をかちとる多くの作品を生みだした時期でもあった。

その後、アフリカ彫刻に影響を受けたりして、ピカソは変身を繰り返す。
いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収めた時期がやって来た。
その前衛的な手法はキュビズムと称された。それは、動くはずのない絵に
動きを導入した絵だ。その絵画は、ピカソの目に映ったありのままの風景だ。

ピカソはじょじょに崩していった。なにを崩していくのかというと、
じぶんのなかにある『既成概念』だ。『こうしなければならない』
『こうするのが当たり前』みたいな思い込みを、ひとつひとつ切り崩した。

圧倒的な基礎画力を有しながら、写実主義に見切りをつけたピカソ。
彼は、彼の一生の中で、何度も違う絵描きに変身した画家となった。
子供の落書き?としか見えない絵は、プロから見ると、まさに神技としか
思えない上手さなんですよ…というのが、この時代の評論家のピカソ評だ。

晩年になると、彼は今までの作風を全て混合し、
そのエネルギーを投入した作品を次々と制作していく。
最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されるほどの作品数だ。

ピカソは「私は一晩中描き続けられますよ」と言って、日夜、描き続けた。
その日その日の感じた事を、日記を書くように描き続けていたのだろう。
最後にピカソの名言をいくつか紹介します。

明日描く絵が一番すばらしい

私は対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ

絵画は、部屋を飾るためにつくられるのではない
画家(私)は古いもの、芸術を駄目にするものに対して絶えず闘争している

誰でも子供のときは芸術家であるが、
問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかである

ようやく子どものような絵が描けるようになった
ここまで来るのにずいぶんと時間がかかったものだ