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 重い病気にかかった。大事な人を亡くした。試験に落ちた。事業で失敗した。
 生きている限り、私たちは困難なことにぶつかります。想うようにならず、苦難が多い境遇を「逆境」と呼びます。

 ふと「逆境」という二文字を聞くと、なぜか「逆境に耐える」「逆境にもめげず」という言葉を思い浮かべはしませんか。「逆境に負けた」とは、あまり耳にしない言い方です。
 特に、成功した人の過去を聞くと、そうした言い回しを耳にします。

 仏教における「逆境」は、一般の言葉と似ていて「自分の心に反する境界」「自分の心に従わない対象」のことを言います。
 また「逆境」の反対語で「順境」という言葉もあります、
「順境」は「自分の心に従う対象」のことです。

 そして「順境」にあるのが全てよいことかと言うと、そうでもありません。先に述べたように、成功した人の中には「逆境にめげず」努力した結果、その状況を得ていることが多いのは、「逆境」のなかに「学び」や「縁」があるからなのです。

 仏教でもやはり「機縁」という、目覚めるべき縁、きっかけというものがあります。もし、すべての物事が自分の心に従う「順境」にあったらどうでしょう。
 生きるすべを得ようとか、仏教を知りたいとか、真剣に考えないのではないでしょうか。それどころか、かえって欲を追求したり、煩悩を深めたりして、「よりよく生きる」ことを阻害することさえ起こり得るのです。
 順風満帆でなくてもいいではありませんか。大切な縁に気づき、逆境の中で得た貴重な学びを縁として、やがて輝くような「果」を得ることができるなら、逆境もまた良しと言えるのです。


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