ゆとり世代 ~1987年から1996年生まれ~
このタイトルでムカッときた人は多いのではないだろうか。なぜかゆとり世代でない世代もムカッとくる言葉。「ゆとり」という言葉はマイナスなイメージを持っている。そもそも「ゆとり教育」というものがどういう目的で取り入れられたのか。昭和50年後半から文部科学省で審議され、授業時間の削減や内容の見直しを図った「ゆとり教育」。その後、改定と導入を繰り返し行っていった。この対策の目的は徐々に増大した授業内容が多くの弊害を引き起こしているため教育にゆとりを持つということである。多くの弊害とは・詰め込み式による思考力の低下・受験競争によるストレス増大・いじめ、不登校、少年非行、自殺の誘発いわば、偏差値重視となったストレス社会を見直し、のびのびと楽しく過ごしてどうせ忘れてしまう詰め込みの知識よりも自分で考える力をつけようという対策。土曜日が完全に休みになり、円周率は「3」とテレビで報道されたのを覚えている。タイトルにある年代が主にゆとり世代の対象となった。この対策の末路はゆとり世代の学力調査が「低下」という結果となり批判を受けたため、「脱ゆとり教育」を掲げ修正をかけた。この学力低下という結果には様々な意見があり、低下と判断するには時期尚早との見解もあった。やってはみたものの、批判されたために効果もろくに検証できず謎の取り組みのまま終わった。このずさんな管理が原因で「ゆとり世代」に悪いイメージを植え付け、世間は今でも間違った認識をしている。冒頭で「ムカッと」という表現をした。ゆとり世代は社会に出てから「ゆとり」という言葉で悔しい思いをしたことはないだろうか。ゆとり世代ではない人は「ゆとり世代」の態度や発言で悔しい思いをしたことはないだろうか。●私がよく聞く「ゆとりは本当に…」に続くワードランキング1.自分で考えて動くことができない2.コミュニケーションが下手3.何を考えているのかわからない「考えられない子ども」が多いから思考力を養うゆとり教育を導入した。しかし、ゆとり世代は「考えられない」ということを指摘されやすい。実際、「学力」の調査は存在するが、「思考力」の調査はない。どこか論点がずれている。思考力を鍛えられたゆとり世代は考えることが得意な集団のはず。「ゆとり教育のせいで思考力が低下した」と指摘する者は、ゆとり世代を出汁(だし)にしてただ優位に立ちたいだけ。自分の都合の良いように解釈し、威厳に満ちた態度で誰かに話しているだけである。反対に「考えられるゆとり」に対してはどう思っているのだろうか。矛盾したこの状況を考えられない大人こそ「思考力のないゆとり」である。私自身、まだ32歳であるが、20代の方と接していて思考力に問題があるとは思わない。ただ、「何かを言われ慣れていない」ということはとても感じる。「指導」は「叱り」に変化し、「愛情」は「憎しみ」に捉えられてしまう。考え方ではなく、感じ方が違うのだ。ヒトはカッとなって怒りが湧いてくると相手の伝えたい内容や意味が頭に入ってこない。こちらからすると「ただの指導」が相手にとっては「叱られている」に変化してしまい、そこで意識の違いが生まれる。指導側は伝えた内容の理解度を確認したとしても、相手は早くそこから離れたいから頭に入ってなくても理解したと返答する。でも、実際は「なんで俺がこんなこと言われるんだよ、うぜぇ。」と、言われ慣れていないからこその怒りの感情が生まれる。指導した側は「しっかり聞いていたし、確認もしたから大丈夫だろう。」と意味のない達成感に包まれる。この反対に向いた両者に歪みが生じ、「ゆとりは本当に…」という言葉が吐かれる。子どもを叱らないで、子どもに手を上げないでと訴え続け、何も言わせない風潮を作ったのは「世間」。ゆとり教育を作ったのは「政府」。たまたまこの世間の風潮にゆとり教育が重なっただけのように思う。結局都合の良いように「ゆとり教育」を出汁にして自分たちが作った風潮に目を向けていないだけである。子どもの影響は他人ではなく親にあるということを自覚しなくてはならない。