日本にいた頃は、アメリカ自体にはそれほど興味がありませんでした。
帰国子女とはいえ8歳で日本に戻っているので、英語が出来る訳ではないし、
それでも家族は英語が出来るから、自宅で映画を吹き替えで観せてくれない家族に反発して、プチ家出(隣のお家にテレビ見せてもらいに。。。)( ´艸`)という情けない状態で、ほとんど英語アレルギー。
大学に入るときも、ぜーったいに英文科にはいかない!と宣言していました。
そして入ったのはなんとスペイン語/スペイン文学科。カソリック系の女子大で、スペイン語の教授陣はみなスペイン人のシスターという環境です。

結局その大学には6ヶ月行っただけで、アメリカに来てしまいましたが、せっかく始めたスペイン語は続けようと思い、入ったJr. Collegeでクラスを取り始めました。そこもなんとカソリック系でスペイン語の先生はスペイン人のシスター!そのころは英語のほうがまだ"アブナい”状態でしたが、アメリカ人のスペイン語を習い始めた学生に混じってだと、私のほうがスペイン語が出来るし、発音もいい!と褒めまくられ、テストの前のスタディーグループでは引っぱりダコでした。結局丸1年初級のクラスを取ったのですが、残念ながら中級のクラスは生徒が集まらずに2年目はスペイン語を取ることは出来ませんでした。

Jr. Collegeの後は4年生の州立大学に編入するのですが、たまたま、12月にJr. Collegeの単位を取り終え、州立大学は編入の時期が遅れてしまい、翌年の3月からはじまることに。1月2月と丸2ヶ月のお休み!
これはチャンスと父親に頼みこみ、スペインに短期の語学留学をさせてもらうことに。
始めに私の見つけてきたのは、スペインでもリゾートで有名なカナリア諸島の語学学校で、さすがにこれにはいい顔をされず、そんなリゾートなんて行ったら、勉強しないで遊びまくるだけだから、マドリッドにしろと言われ、1987年の1月2日、年明けそうそうにLAからNY経由で単身マドリッドに入りました。

知人の知人から聞いたマドリッド市内の語学学校にファックスで申し込みをして、そこでホームステイ先も紹介してもらい、友人も知人も一人もいない街に一人で乗り込んだと思うと、若いってすごい!って自分でも思います。

予定は4週間のホームステイと語学学校。そのあと10日間は自由にスペイン観光して約6週間の滞在です。空港からはタクシーでこの先4週間お世話になるマドリッド市内のアパートに。新年そうそうの朝の7時過ぎに着いたマドリッドはまだ日も登らないし、人はいないし、タクシーの運転手さんの言うことはひとことも理解出来ないし。。。たどり着いたアパートの前で呼び鈴を押すこと5分、早朝の礼拝から戻ったセニョーラフェルナンデスの6階の部屋にたどりつきました。セニョーラは一人暮らしの未亡人。アパートは3ベットルームに居間とキッチン。廊下にあるバスルームは私専用に使っていいということです。同じ語学学校から入れ替わり短期の留学生を受け入れているらしく、家からもよりの地下鉄までの地図、地下鉄の路線図と学校までの道のりをちゃんと用意していただいていたのは本当に助かりました。 

私のスペイン語のお粗末さを理解して、始めの家の中のルールと日程の説明だけは英語にします。とたどたどしい英語を駆使していろいろと説明してくれたのですが、その最後に、”あなたイヌは大丈夫?”と聞かれました。もともとイヌは好きだし、だいたいちょっと広めとはいえこのアパートのサイズでは小型犬だろうと、タカをくくっていましたが、セニョーラがいまから連れてくるから、どうしてもいすに座れというので居間のいすに座って次の瞬間。どーんという衝撃とともに、目の前に巨大なジャーマンシェパードの顔が。。。飼い主のセニョーラとあまり違わないサイズです。あ~びっくりした。。。

この子、実はすごく人懐っこいことは後で解るのですが、セニョーラの前ではぜーったいに他の人に懐いている仕草を見せない忠犬です。例えば夕方語学学校から帰ってセニョーラがいないと、私の部屋に来てべーったり私の横に座っているくせに、ドアの鍵がカチャ!と鳴ると、す~っと奥に入っていき、セニョーラがドアを入ってくると同時に、私の存在など知らなかったよ。という顔で出迎えに出てくる徹底ぶり。。。

こんな具合に私のスペイン滞在がはじまりました。

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