熊本県のある養鶏場で鳥インフルエンザが発生し、感染拡大を防ぐために関連施設の鶏、計110,000羽余りが殺処分されたというニュース。
夜を徹して行われた防疫対策。関係者の皆さまのご尽力には、心から敬意を表します。各メディアでは「非常に素早い対応によって、感染源の封じ込めに成功した」と高く評価をする向きが多かったが、私は素直にこのニュースを聞くことができなかった。
私自身も、毎日のように鶏肉や卵を食べて生かさせてもらっているので、こんなことを述べる資格は全くないと、自分自身認識しつつ、あえて言わせていただくならば・・・
「人間って(自分も含め)、なんて傲慢な生き物なんだろう」
もし仮に、自分が住んでいる地域に数十人の重篤な感染病患者が発生して、政府の命令で「感染拡大を防ぐために、健康な人も含めこの地域の住民の皆さんには全員死んでもらいます」って突然言われたら、納得するだろうか?
私はもちろんのこと、誰一人納得はしないだろう。でも、人間のためなら、11万羽の健康な鶏の殺処分は誰も論議することもなく当然のように許される。
「一人の命は、地球よりも重い」それは、人間にしか適用されないと誰が決めたのか。人間以外の他の生き物たちには、その権利はないのか。
昔読んだ星新一の短編小説に、こんなストーリーがあった。ある日突然、地球に超巨大な宇宙船が飛来し、巨大な宇宙人と、そのペットらしきこれも巨大な犬のような動物が宇宙船から降りてきた。彼らは特段人間には危害を加えようとせず、しばらくの間地球に滞在して、あちこちで調査や観測をしてやがて去っていったが、なぜか、巨大な動物たちは、鎖につないだまま地球に残していった。
鎖につながれていた動物たちは、しばらくすると空腹のためか暴れ出し、とうとう鎖を引きちぎって凶暴化し、見境なく人間たちを襲って残虐の限りを尽くした。人間はただ逃げ惑い、なすすべもなく蹂躙された。
それから1年ほど経って、あの巨大宇宙船が再び地球に舞い降りてきた。辛うじて生き残ったわずかな人間たちは、飼い主と思しき宇宙人が、残虐非道を極めた巨大動物たちにどんな厳罰を課すのか、固唾を呑んで見守っていたところ、なんと宇宙人たちは涙を流して動物たちに抱きつき、久しぶりの再会を喜んでいたそうだ。
それを見た人間は、「あの動物たちはきっと、宇宙人の言葉で「タロ」とか「ジロ」という名前に違いない」と、呆然としてつぶやいたとか。
この物語のオチがすぐにわかる人も少ないかもしれない。そう、かつて映画化(南極物語)もされた、南極観測隊が悪天候のためやむを得ず厳冬の南極基地に残してきた犬のタロとジロが、一年後観測隊が戻ったら野生化して奇跡的に生き延びていた、という「感動の」物語を揶揄した、星さん一流のSFショートショート。
鶏にしても、鯨にしても、人間の都合だけで生死はおろか種の存続さえも翻弄される幾多の動物や植物たち。「人間って、そんなに偉いのか?」この手のニュースが報道されるたび、毎日他の生き物たちのおかげで自分自身が生をつないでいることも棚に上げて毎回複雑な気持ちになる、悩める私でした。