社会に出てからもうすぐ一回り!

ひとまわりとは、干支の話ですw

 

うわー、無駄に数えてしまった!!滝汗

 

大学を卒業した年から今年で12年目!

ってことは社会人12年目!

 

以前書いたかもですが、高校生で1年間NZに交換留学に行ったのが、わたしとNZの出会いでした。

 

高校に通いたくなくて、留学をすれば高校を2年で卒業出来ると聞いて「わたし行きます!」と手を挙げました。

 

高1→NZ→高3→大学4年(日本)

 

(NZの大学は3年で卒業できるって知っていたらNZも考えたかもしれません。とにかく早く大人になりたい子どもでした)

 

 

 

大学3年の時に、「就活」と「大学院」と「公務員」の3択で

 

「もう勉強したくない\(^o^)/」

 

という理由から、いやいや就活を始める。

 

その年の解禁日だった4/1に内定をくれた会社に、「もうこれ以上就活をしたくない」という理由7割で入社を決定。

 

(当時姉がNYに住んでいて、大学4年の4月か5月に家族みんなで会いに行ったんです。早く就活終わらなきゃNY行けない!って、そんな理由か!)

 

入ったのは当時日本で最大手だった証券会社(今はどうなんだろ?)。全国転勤ありの総合職でしたが、最初に配属されたのが東京にある「本店」。そこで4年間法人営業をしてました。

 

その後転勤になって、今度は一駅となりの「本社」配属になりました。

ここは本当に伏魔殿みたいなとこでした。

当時担当していたお客様は機関投資家と呼ばれる方々で、毎日右から左へ動かすお金は「億円」単位、デスクの電話は受話器が2個ついていて(本当に右と左に受話器持って話すんです。さらにディーラー直通のインターコムみたいのもありました)、個人のパソコンは一人2.5台ずつあって、なんか異様な世界でした。

いろいろな感覚が、だんだん麻痺していくような感じがありました。

 

そして大震災をきっかけに、死ぬことと生きることの意味を当時の自分なりに真剣に考えました。「生きてるうちに好きなことしよう」「どうせ働くなら人の役に立つ仕事がしたい」そう思って、NZに行くことを決めました。

 

もともと自分のやりたいことがよくわからずに、「とりあえず5年働いてみて、その後また考えよう」と思って入った会社でした。

 

あの震災の後で、毎日毎日TEPCOの債券を売ったり買ったりする仕事に嫌気がさしたのもあります。

 

こうやって振り返ると、わたしの人生のターニングポイントっていっつも後ろ向きチーン

 

 

NZに行って、それからどうなった?

つづきます。