蝦夷(愛瀰詩)は、何者だったのか 5 | エミシの森

蝦夷(愛瀰詩)は、何者だったのか 5

「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」と読んだ場所は、島根県松江の八重垣神社である。ここに鏡池がある。

カガミイケで、ピンと来た方は、「エミシの森」を、そうとう読んでくださっている方・・・だろうか。

出羽、羽黒山の鏡池は、この写しである。
鏡池は、戸隠など全国にあり、蛇信仰の流れを考察する上で重要な情報である。
蛇は蛇でも海蛇であることに、前回少し触れた。
完全に海で暮らす蛇であり、陸ではもはや生きれない。

外洋からの海流に乗って日本海側、特に出雲にやって来るのである。

出雲では龍蛇(たつだ)様と呼ぶ。

毒蛇で、身体にも毒の要素があり食べれば死ぬ。その意味でも特別と見なされた。

尾の模様は、海人系の一族に魔除けに用いられている・・・。

龍蛇信仰は、基本的に日本海の信仰であり、出雲族の移動の推察が可能な重要な情報である。

特徴的なのは、羽黒の鏡池もそうだが、海に繋がっている伝承が残っている、はずだ。
無い場合は、失われたのである。それがこの龍神様、いや龍蛇信仰の根源が海蛇である証なのだ。
後に大陸の龍神信仰と同化し、鏡池は、龍の地と天を結ぶ出入口と解されたのである。
銅鏡は、生け贄からの変化ともみれる。

長者とその娘と男の大蛇がセットになった昔話は、・・・止めよう。

出雲と言うと山陰全体と想う方がいるが、島根の東部で狭い地域である。


アラハバキは、その出雲の一族である。

現代的に表現すれば、アラハバキ製鉄株式会社の支店長である。現代に残るアラハバキの社は、位置が変えられていない前提であれば、その支店や製鉄所の形跡である。処によっては病院跡の場合もある。

神に対する現代人の概念は、明治に作られたキリスト教の影響が大きい。一神教であり、人間を超越した存在である。日本では古来より八百万の神というように多神教であり、神は、人間と対等の存在であった。対等というと誤解を生じる。人間の中にも、超人的な者がいる。神を超える能力を持つ者も稀にはいる、という事だ。それが神道で言う神主、つまり神の主なのだ。語弊があるが神を操る能力を有するのが神主である。

アラハバキの支店長は、優れた技術者である。縄文人にとっては、自分達に似た姿たではあるが、服装を異にし、火の中から鉄取り出し、道具こさえる奴らの頭目である。しかも背が高く隻眼なのである。働いているのは脚が悪く杖をつく者、片腕だけが大きい者など異形の者達が多勢いる。しかも人里から離れた山の側に住む。その様な者達の長を観て、神と感じて不思議はない。いや鬼神と観たのかもしれない。

いつも疑問に感じるのは、言葉である。通じたのだろうか。

アラハバキの正体の朧げな姿が浮かんで来ただろうか。

怪我の絶えない彼らは、医療技術にも長けていた。里の者との交流においても面倒を観たのだろう。仏教輸入後は、薬師如来を薬師の神とみなし、東北地方では数多くの薬師如来が祀られた。薬師如来は、ヤクシャーというインドの古代の土着信仰の神でる。わかりやすく言えば夜叉であるが、森の妖精であって、日本人の思う怖い夜叉ではない。細かい説明は省略するが、薬師如来の堂が残っている寺社は、かつてアラハバキの支店があった場所に重なるケースがある。東北地方にアラハバキ社が少ない理由のひとりは、薬師に置き換わったのである。七つ森の薬師信仰も、福島の飯坂の医王寺内になる薬師堂もそのひとつである。

岩手山のアラハバキの社のある地は、上野目という地区であるが、カミノメ、つまり神の目を意味する。上野目地名にも、アラハバキ形跡が読み取れる。

アラハバキの話が長くなった。

このままアラハバキと呼ばれた民族は、何者なのだろうか。という方向に進むべきか・・・。

アラハバキ族は、その後、各地で縄文人の血に混ざった。
が、どの地域の民族の血であったのだろうか。それは明確な答えを得れてはいない。
ただDNAによる人間の移動研究が進み、現代日本人には、大陸系以外に、南方系の系統がある事が確実に認められている。以前より推察されて来た事だが、少し確証がついて前進した。

一方で北からの移入は、特にアイヌ民族の内、北の集団は、現代日本人とは異なる型であり、異民族と判断されている。同時にアリュートの血を引く事もわかっている。

今回は、この位にしておこう。