EMIの気分屋☆きまぐれ日記

EMIの気分屋☆きまぐれ日記

脱!家ごもり!めざせ!ステキ女子!

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自業自得…

それ以外のなにものでもない…

 

結果から言うと、

尻もちついて、腰痛めました笑い泣き

 

1/30(土)夜、

23時からBSで始まる『球辞苑』のゲストが

宮本慎也さんだったので、

それまでにお風呂に入っちゃおうと、

鏡月5~6杯ほど飲んだ後、すぐ、

ご機嫌でお風呂に入りました。

23時迄、まだ2時間以上あったので、

いつもは烏の行水だけど、

「ちょっと長めに浸かろうかな~音譜」と

音楽1曲分だけ…それだけなんだけどアセアセ

 

上がってタオルで拭いてる最中、

なんだか気分が悪い。

動機が激しい。

頭がグワングワン回る。

目を閉じて、ゆっくり呼吸をするも

ますます酷くなる。

 

………と、その瞬間。

 

ガクッハッ

 

体の力が抜けて、

そのままドンッって尻もちをついた。

 

私、その時、全裸w

まだ体拭けてない状態。

分かっちゃいるけど何にも出来ない。タラー

そのまま数分間、ベタァーっと仰向けになった気がする。

 

“気がする”というのは、記憶がないから…。

尻もちをついたところから少しの間、覚えてないのである。

 

さすがにこのままでは風邪をひく、と

まだフラフラな状態だったけど、なんとか起き上がり、

既に現われていた腰の異常を感じつつ、

なんとか下着だけ着用。

バスタオルをベッドに敷き、横になる。

のぼせたみたいに、異常な汗のかきよう。

と同時に、腰がかなり痛い事に気付く。

寝返りが出来ない上に、

起き上がる事が出来ないアセアセ

 

だけど、まだ下着着用のみの状態だったので、

なんとか時間をかけて起き上がり、

海老のように腰が曲がった状態で、寝巻を着る。

 

結局、楽しみにしていた『球辞苑』全く見れなかったえーん

もうそれどころじゃなかった。

 

翌日1/31(日)、

少しはマシになっている事を期待したが、

更に悪化したように思えた。

というより、前日は寝巻を着た後、そのまま寝たので、

状態が分からないままだった為、そう思ったんだと思う。

 

真っ直ぐに立つ事が出来ない状態だったけど、

ずっと横になるより、いつも通りでいる方が、

治りが早いとネットに載っていたので、

腰を支えながら、ヒーヒー言いながら、

いつもの日曜日のように、

フローリングを掃除して、

お弁当の作り置きを作った。

座っているより、立っている方がラクだった。

座ってて「この体勢は大丈夫!」ってなっても、

そう思った瞬間、激痛が走る事があり、

座るのも一苦労だった。

 

2/1(月)、仕事だったので、

いつもより早く起床し、

いつもより早く家を出た。

 

送迎の車に乗り込む時、乗車中、降車する時、

なかなかのBBAっぷりで、笑われたw

仕事中も、座って立ってが多いので、

その度に呼吸を整え、

周りに出来るだけ気付かれないよう、

振舞っていたつもりだったけど、

分かる人には直ぐ分かるくらい、

明らかに様子がおかしかったらしいあせる

 

病院に行こうかとも思ったけど、

どうせ日にち薬だと、シップ貼って、

痛み止めを飲んで、凌いだ。

 

ベッドから起き上がる時は、

枕をお腹に抱え、それをクッション代わりに、

回転しながら足を下ろし、

お腹にあてた枕を抱えた状態で、

背骨を1つずつ積み上げるイメージでゆっくり立ち上がる。

寝る時は、その逆w

 

こんな状況が約2週間続いた。

痛み止めを飲んだのは、最初の1週間程。

約2週間が経った先週辺りからは、

シップを貼らずにいれて、

送迎の乗降車もスムーズグッキラキラ

歩くのも真っ直ぐ背筋を伸ばせるようになりました。

ただ、先週の頭の時点では、重い物を持つと、

背中がピキーンと痛む事があり、

A4のコピー用紙2冊しか持てなかったけど、

その週の金曜には、4冊くらいは持てるようになりました。

順調に回復照れルンルン

 

もう今は、9割程度回復し、ほぼいつも通りOK

3週間前は本当どうなるかと思ったw

 

今回の教訓。

『お酒を飲んだ後、直ぐにお風呂は入らない』

 

これからは、1時間くらいは空けます。

けど、暫くはお酒止めときます笑い泣き

この年末年始、

生まれて初めて、地元で過ごさず、

1人で年越しをしました。

私と同じような人は、

この日本でたくさんいたと思います。

「私だけじゃない…」そう思って、

悔しさを我慢しました。

 

と…そう思っていたのは、

完全に帰省を諦め、母に連絡を終える迄。

母に連絡を入れるも、恨みがましく、

「何で!?どうして!?帰ってきたらいいじゃん!!

となかなか諦めない。

大阪の病院に勤務しているイトコが、

早々に帰省を断念していたのは知っていたけど、

そこは母も私と同じなんですよね。

「1人なのに…寂しい」って。

 

なんとか母を説得し、

弟や、母と同じ町に住んでいる叔母に、

「1人で寂しいと思うから~」と顔を出してもらえるように頼み、

そこで私の気持ちを切り替えました。

 

「どうせ帰れないなら、こっちで出来る事して楽しむぞOK」と。

 

大晦日は、産地直送の魚を扱っているお店のお寿司を買いました。

それも、私にしては高めの、ちょっと豪華なお寿司寿司

元旦2日とスーパーが閉まるので、

正月に食べる伊達巻と黒豆、

家ごもり用のお菓子に、

おせち料理の代わりに、お好み焼きの材料と…。

お餅を買い忘れたのは、家に帰ってから気付きましたてへぺろ

 

大晦日には、『進撃の巨人season3』の一挙放送をしていて、

買い出し以外の時間はずっと観ていました。

ちょうど、12月頭からFinalSeasonが始まっており、

前回終了から時間が経っていたので、

思い出すのに有難かったニコニコ

 

2020年中の休暇は、読書をしながら時間を潰し、

2021年に入ってからは、休みボケ対策の為、

ナンプレを始めましたメモ

母が「ボケ防止の為」と前々からしており、

面白そうだなぁ~と買ったのが2013年。

随分温めていましたw

これが、やり始めたら止まらなく、

1月中は、ほぼ毎日していました。

なんか、毎日のノルマみたいになってた爆  笑

 

年末年始を寂しく、

腐りながら年始を迎えると思っていたけど、

やっぱり1人が好きみたいです、私。

それなりに楽しく過ごしてしまう。

前から思っていたけど、

どうやら結婚不適合者のようで、

1人がとても気楽で、身内であろうとも、

無理して気を遣い合うのが、無~理~笑い泣き

 

会社が始まってからは、

昨年と何も変わらず、

今も送迎をして頂いているし、

雇用調整休暇も取っているので、週4勤務は変わらず。

いつか、送迎も雇用調整休暇も終わるけど、

その時、体がついていく気がしない。

 

あっという間に2月になり、もう1週間が経過。

年々、1年過ぎるのが早いですあせる

最後の30代、

コロナ一色の1年にならないようになれば良いな照れ

またまたお久しぶりの更新です。

前回からの出来事を書き残しておこうと思いますが、

なんせ覚えていない事も多く、

状況が変わらないので、どこまで思い出せるのか…あせる

 

5月、G.W.は緊急事態宣言が出ていたので、

地元に帰省せず。

4/29(水)~5/6(水)の8日間もあったのに、

2日程、スーパーへ買い出しに出たくらいで、STAY HOME家

そして何をして過ごしていたのか、

全く覚えていない滝汗

ゲームしてたかなぁ~??

 

8月、夏季休暇には帰省しようと思っていたのですが、

直前の朝礼で、社長からのあるお言葉で断念…ショボーン

「家庭内感染が増えてきているので、

 今ここで、改めて気を引き締めて下さい」

 

夏季休暇中は、9月にある健康診断に向けて、

運動を開始!

Youtubeで話題だった、竹脇まりあのエクササイズルンルン

ベランダ全開、玄関を少しだけ開け、風通しをよくした状態にし、

短くても1時間、汗びっしょりかきました。

終了後、そのままお風呂に直行。

もうね、爽快でした照れ

 

夏季休暇中だけでなく、シーズン中、

お風呂後には18時開始のプロ野球を観るという日々。

話は脱線しますが、

2017年のシーズン、あの96敗の夏から、

東京ヤクルトスワローズの応援をしていますラブ

始まりは、つば九郎ラブラブ

つば九郎見たさに試合を観ていたら、

あまりの最弱さに、母性ではないけど、

応援したくなってしまった…おーっ!

たまに勝った時の喜びが半端ない。

これが“ヤク沼”ってやつなのか…

以降、現在に至る。

今日も、ヤクルトキャンプ観てましたキラキラ

 

8/17(月)、送迎のメンバーが固定になる。

雇用調整休暇を取っている為、

状況に応じて、送迎のメンバーを変えていたが、

感染者が出た場合、コロコロ変えていると、

濃厚接触者が増えるので、

仕事のパートナーは必ず別々にした上で、

固定にするよう、社長からの指示だった。

ただ、比較的近くに住んでいるメンバーで

送迎のメンバーを組んでいた為、

私の送迎をして下さっていた部長を例にあげると、

私の迎えは20分で行けるけど、

高速を使用して1時間かかる社員を迎えに行く事になり、

私の迎えも、別の営業が1時間かけて来てくれる事になった。

 

9月、感染者数が少なく、

GOTOキャンペーンもしている状況だったので、

9/18(金)に有休を貰い、

9/22(火)迄の5連休、やっと地元に帰省DASH!DASH!

 

9/18、昼過ぎに母と合流し、くら寿司へ寿司

2000円以上だったかな?

食べたら条件クリアで

『鬼滅の刃』のクリアファイルが貰えるとのこと。

姪っ子が好きと聞いていたので、勿論、頂く。

ちなみにびっくらぽんもして、

富岡義勇のバッジも当たるキラキラ

 

久々の実家に、ウキウキ気分で車から降車するも、

足元に何かが!?

私がこの世で1番嫌いなヤツ…

にょろにょろしているヤツ…

ハッキリは見えなかったけど、デカい。

の割には、素早く、逃げられたあせる

その後、絶対にこの庭のどこかにいるであろうヤツに怯える日々。

ウキウキな気分も一気に奈落へ。

 

9/20、母は仕事だったので、1人留守番をしていた私に

叔母からお昼ご飯のお誘いラーメン

これが、2020年2度目の外食。

おなかいっぱいで家に帰るも、

なにやら玄関前に鎮座しているヤツが…ポーン

2日前はハッキリ見えなかったけど、やっぱりデカかった。

…1mくらい。

見たくもないのに、様子見で見るも動かない…。

誰か助けを~と団地住まいのご近所さんを探すも、いない…。

そこで幼馴染の家に助けを求めに向かう。

 

ピンポーン。。。ガチャ、小母ちゃんが出てくる。

「EMIです…小母ちゃん、助けて~あせる小父ちゃんいる?」

第一声がこれ。

「何があったんかと思った(笑)」って後で言われましたウシシ

玄関の前にデッカイヤツがいる事はその時伝えましたが、

あそこまでデカいのは久しぶりに見た、って言われました。

「EMIちゃんに会いに来たのかな?主かもよ」

なんて事も言われましたが、嬉しくない…。

そして、その後、何も喜ばしい事が起きてない。

 

小父ちゃんに退治して頂き、その後は見る事もありませんでしたが、

やっぱり嫌い…。

私、田舎暮らしは無理です…。

 

9/21、姪っ子の七五三写真を撮る為、

母が勤めている写真屋の別店舗へDASH!DASH!

正月ぶりに会う姪っ子ピンクハート

相変わらず、「元気が有り余ってます」って感じのわんぱくぶりw

だけど、そこはやっぱり女の子。

お姫様は好きだし、胡蝶しのぶさんは好きだし、

ドレスや着物に喜んでいましたキラキラ

 

この時は、年末年始に帰省出来ると思っていましたが、

結局、2020年地元に帰れたのは、これが最後になりました。

 

この頃は比較的、感染者数が少なく、

「このまま収束に向かってくれたらなぁ~」と思っていた。

GOTOキャンペーンをしていたけど、

個人的にはあまり楽観視出来ないと思っていたので、

出来るだけ市街には出ないようにしていました。

出歩くのは市内だけ。

土日祝日は、やっぱり人の出が増えるから、

それでも、出歩くのは平日休みの時だけ。

動きやすい服装にリュックを背負い、

1時間くらいかけて大きい公園へ歩いたり…。

 

そうそう、9月にした健康診断の結果が、

“コレステロール値の増”で再検査滝汗

絶対に運動不足!

私以外にも、社内で数名、同じ検査結果になった人がいた。

コロナ前の運動といったら、

会社の行き帰りに計1時間くらい歩いてる程度だったのに、

それでも、それだけでも、違ったんだな~って思いました。

 

10月11月、何か出来事があったと思うけど、

記憶にございません…。

 

ただ、固定送迎になり、

日に日に、部長の機嫌が悪くなっていった。

質問しても、無視やカチンとくるような言い方だったりで、

私も気分を害していたので、

お互い、相手の事を考えず、

棘があろうが何だろうが、直球な言い方をするようになっていました。

(上司なんですけどね)

11月頃は、顔を合わすのも嫌で、

言いたい事がある時は、

メモを渡したり、メールを送るようになっていた。

仕事のパートナーとコミュニケーションが取れていない、

本当、最悪な状態だった。

 

そんなこんなで12月、

固定送迎を止めようという意見が出て、

急遽12月から元に戻る事に決まった。

私の元は部長。

そう、険悪な状況の今、送迎が部長。

車内は2人きり。

「何で今!?気まずっ」って思った。

話す事もないし、話す気もない。

この送迎の約50分、どうしようかと思ったけど、

部長が気を遣ってか、仕事の事、会社の事、

なんやら色々話してきたので、

相槌を打ちながら、なんとか持ちこたえ、

そうこう毎日を過ごしていくうちに、

部長の機嫌が嘘のように良くなり、

寧ろ、ご機嫌!?とこちらが戸惑う状態だった。

余程、固定の送迎が嫌だったようだ。

 

年末年始休暇、

どうしても地元に帰省したかった私。

母の近くに弟夫婦が住んではいるけど、

母とずっと一緒に過ごす事は出来ないし、

年末年始を1人で過ごさせるのは、あまりに不憫。

私だって、母と一緒にいたいし、

顔を見て、数日でも母と一緒に生活し、

母になにかしらの変化がないか、

娘としては、心配だし、知っておく必要がある。

66歳、もう母も若くない。

 

だから、休暇に入る約2週間以上、

今まで以上に、外部との接触を避け、

予防も徹底するようにしていた。

ところが…またもや緊急事態宣言の発令ショボーン

我慢して自粛していたけど、

帰省を諦めざるを得ませんでした。

 

そんな私を不憫に思ったのか、

年内最終日、仕事は午前中で終了した帰りの車内、

「お昼ご飯食べて帰ろう」と部長が昼食を誘って下さった。

鶴橋で焼肉ランチ焼肉

2020年、最後の外食でした。