Daberiba

Daberiba

日々の徒然を記しています。
この人生もついに半世紀となりましたが、
わくわくする気持ちを大切に
これからも生きてゆきたいと思います。
旅が好き。友を訪ねてBOSTON、LONDON、そして沖縄。北海道の実家の話。
そしてライブやコンサート・・やけど日記も。

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17、8年程前に、夫の異動に伴って、兵庫県の豊岡市の住人となりました。

当時私はまだ三十代そこそこ。
年中になる長男と、歩き始めて動きが激しい一歳の二男と、仕事のことで身も心もいっぱいっばいの夫と、そこに3年半住みました。


全国的にはあまり知られていないことですが、兵庫県は日本海にも接していて、神戸や明石、姫路などの瀬戸内側とは全然違う気候や方言の地域を持っているのです。
ちょっとしたきっかけと、勇気があって、久しぶりに豊岡を訪れました。








朝七時半に羽田、飛行機を伊丹で乗り継いで、十時にはあっけなく着いていました。

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ドラマの舞台になることもない、ひっそりとした地味な地域。
神戸まで3時間もかかりました。デパート行くにも二時間半。
交通の便が悪い上に、夏は日本トップクラスに暑く、冬はけっこうな雪が降りました。
湿気も多くて秋は霧



そんな住みずらい思い出が多,いところだったんですが
なんと

豊岡はすごく素敵な街に育っていました。




田んぼにコウノトリが。
私が住んでいたころはケージの中に飼育保護されていたけれど
豊岡の人々の努力によって自然帰ることができたんですね。

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素敵なデザインバックがいっぱい。
これはなんと自転車につけるバック。
豊岡かばん は日本が誇る丁寧なつくりが特徴です。
当時はブランド物のバックや、安いならもっと安いものに押されて、正直売れるわけないイメージだったんだけど
なんか流れが来ている雰囲気があった。
だってすてきだったから。

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最近は<天空の城跡> とか<日本のマチュピチュ>なんて

大人気になってしまった竹田の城跡。あのころは観光地にはなっていなかったのに。


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こちらは号泣県議で有名になって微妙だけど、やっぱり趣のある・・・城崎温泉
とても風情があって、がんばっていて、また行きたいと思った。

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竹野浜   この色を見に、車を走らせたことが何度かあった。
        助けてもらったなあ。あの頃よりもっと美しく見えた。



子育ても大変だったし、住んでいたころは辛いことも多かったんですが、

そこで子どもを通して知り合った友人たちには、随分助けてもらいました。





蟹を土産に帰って参りました。




相変わらず寂れているだろう・・・・なんて、勝手に思って居た自分を、大反省です。

街が昔住んでいた人を勇気づけてくれることもあるんだと知りました。


また行こう次はバックを買おう。城崎に泊まろう。

ひそかに思っております。


豊岡のみなさんに

ありがとう。

先週に引き続き、
雪で世間はおおわらわです。

災害と言っていいほどの雪でしたね。
温暖なはずのこのあたりでも
珍しいほどの積雪でした。


そんな雪の後の日曜。

すっきりと晴れた。



今なら車もある。

チャンス!

行くと決めたら急げ



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雪は解け始めて

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引き潮の凪ぎ

富士が渚に映っているのが見えますか?

なんて美しいコントラスト



気持ち良くて 気持ち良くて
 
泣きたくなるほどでした。


                         この日ここに来た人は、

                        みんなそうだったんじゃないかな。

昨晩、くったびれて帰宅したら、

郵便受けにごっつい袋が入ってまして


AIR MAIL じゃありませんか、そしてこの字は!


 アロアロだ・・・・!!


家に入って着替えもそこそこに開けてみたら、

素敵なクリスマスカードと

こんなプレゼントが入っていたの。


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REDSOXが、優勝が近いとき、私はBSで試合を見ていて

上原が登場し、大活躍してるのを見て

思わずそのさなかにメールした。

そしたら




返信   


おトイレにも行けない。


だけ。笑




で、これ、笑い話になってるけど


実は私はちょっと、ほんっとにご無沙汰で久しぶりだったし

アロアロ夫妻がほんとに元気か

そりゃあ、あっちで生きてていろいろ大変なこともあるわけで




そのあと優勝して、

どれだけ夫婦が喜んでいることだろうと思うと

とてもうれしかった。もちろん私だって。

日本選手があんなに活躍してBOSTONがわいていると思うと

想像するだけでもう・


だけどそのあとは

メールしてなくって。


きっとREDSOXクレイジーたちと飲んでるなあ。なんて思って





こんなREGOがあるなんて、かわいいね。

もったいなくて開けられやしないよ。

キャップ被ってブログ書いてる。

この嬉しさ、わかって。


BOSTON mydear

上原選手、すごいよ。よかったね。

REDSOX万歳!

って改めて。



多分、これが最初で最後のチャンス。


高いし

誰と行くとも考えられず・・・自分だけ。


迷いもなく先行の抽選を申し込んだ。




神様 !





そして


なんと

Daberiba



わお!

どうしよう。当たった。


信じられない。

ポールに会える時が来るなんて


願うことすらできなかったくらいの 夢が



叶った。(*_*)






振り返れば小6の頃


父の運転するライトバンの中で

カーラジオから流れてきた LET IT BE に感動し


誕生日に BEATLESの青いカセットテープを買ってもらった。




中三の夏休みに転校することになって

それが辛くて辛くて、ずいぶん泣いたけど


お別れの前に


キャンプファイヤーの炎の前で、

私の好きな

All my Loving を歌ってくれたのは・・・誰だっけな




転校してから、BEATLES が大好きな友達ができて

たくさんLPや本を貸してもらった。


ポールが好きだったキミはどうしているだろう。

物静かだけど、すごく詳しかった隣の席の斉藤君は、ホワイトアルバムを貸してくれた


きっとこの来日を、どこかで喜んでいるだろう


わたしと同じように、中学生だった私のこと、思い出してくれてるかな









昨年、友人を訪ねて、LONDONに行くことができ

ほんというとちょっと

戸惑ってるくらい

私は、実はずっと


この時点でもう夢が叶ってた




Daberiba



友達はご主人の駐在で、ロンドンに住んでいて

なんとその最寄駅は



アビーロードの近くで、



Daberiba

アビーロードスタジオを見て

Daberiba


この横断歩道を、いつか渡ることができるなんて、夢にも思ってなかったよ。

なんとそのあたりにポールの家があるらしいというではないか




Daberiba-IMG_3409.jpg (ポールが歩いてないかな?

会えたらなあ・・そんなうまくいくわけないか。)なんて、そのとき思った。




Daberiba

一年たって、ポールのほうが来てくれて、会えることになるなんて

思ってもいなかったよ。




そういえば

すごく不思議で、おかしいできごとがあって

九月に、近所のデニーズにランチで入ったとき


トイレに用を足しにゆき

個室に入ってほっとしたら

目の前に
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赤ちゃんのおむつ替え用の折り畳み台があって

なぜかその機材のなまえが

 Mommy’s

  Helper


    アビーロード



と、ありました。みえますか?



って、(なんでそんな名前なんだあ?)っと思ってその直後

その日がちょうど

昨年アビーロードに行った9/7だったことに気がつきました。

ちょっと不思議すぎた。


何か繋がってることを、神様が私につたえてるみたい


そうして


昨日ついについに


ポールのライブに行ってまいりました。






彼は思っていたよりずっとずっと

信じられないほど

タフだった。






この下はネタバレありです





ALL my loving も


Let it be も



「次の曲は福島の被災者に捧げたい」と言って


YESTERDAYを歌ってくれました。



ヘイジュードをみんなで。


大好きなアビーロードのB面が最後でした。 




何度も涙がでてしまいました。



ポール、ありがとう。









うちの、旅の思い出のコーナー。

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さて 最近

ニュースに、REDSOXが。



BOSTONは、きっと、

わくわくどきどきはらはら

そんな空気が流れていることだろう。






もう四年も前になってしまったけど

インターネットが繋いだ不思議なご縁で、

私はBOSTONへ飛ぶことができた。


新型インフルエンザで日本が大騒ぎの中、

仕事がクビになっちゃうかもしれないくらいの覚悟で

不思議なくらい

困難も大きく、だけどそれに勝つよな助けもあって


なんであんなに大変だったんだか、今になると笑っちゃうけど


ひとりで成田に向かうだけでもドキドキしながら


とにかく自分もよく頑張って


どうにかたどり着いて


Daberiba このキャップをかぶり



とってもかわいくて美しいこの球場で
Daberiba 熱狂的なREDSOXファンに自分も染まって
Daberiba-yungs
いっしょに歌った。


松阪選手の投球練習を間近に見て、

あまりのわくわくに胸が張り裂けそうだった。


Daberiba

それから年月が過ぎで・・・


あのころは、巨人の上原がREDSOXと守護神と言われる時が来るとは思いもしなかったな。

上原選手ありがとう  (T▽T)

BOSTONの友達は、

トイレにもいけないくらい

TVに噛り付いているらしい。


いやFENWAYにまで行ってるだろうか?



がんばれREDSOX !!

彼女のために


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この夏はまた、暑いですねえ。

皆様、お元気ですか?

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この色を見れば、それだけで、自分が幸せだと思えてしまうのです。

昨夏行った沖縄に、また行きたいと思いました。

それで、夫に話したところ、<行こう行こう!>ということで

思い切ってまた行くとにしちゃいました。

来月の赤字決定で。




いつ何があるかわからない。

行きたいところがあるのなら

行ける時に行く。やりたいことはやる。

心配性でいつも倹約し続けてきた私でしたが

どうにか子供たちも成人し

年々、そう思えるようになってきました。




さて出発のとき。


那覇に向かう搭乗直前、お互いの飛行機の席を確認したところ

私は25H、夫が25J

あれ?

ひとつ離れてとっちゃったかな。

I があるはずだよね。

二人の間に、あるはずのI! がない!

若干不吉。



ま、いっか。

と、乗り込んだところ、

HとJは隣だった。

もとからIなんて無かったのだ・・・・・。数字の1とまぎらわしいからかな?





今回は、昨年、青の洞窟で初めて体験して感動したシュノーケリングを

別の場所でまた体験したいと・・・

そして離島にも行ってみたかった。

宮古や石垣にも行きたかったけど、高くて混んで諦め

そのかわり

慶良間諸島へ高速クルーザーで一日コースというのを

予約してみました。これ、素晴らしい判断だったわ。

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この世界一と言われる、ケラマブルーと、私の足。

(一昨年けっこうなやけどで、大変な思いをした足。)

神様ありがとうございました。ってかんじです。


この青の中にもうひとつの世界があるのですよ。

それそれは美しくて深くてドキドキ


沖縄に行くのなら、体験してください。

インストラクターやスタッフの若者たちがまた、親切で素敵でした。


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食事はつましく、基本沖縄料理で、朝食以外は基本

そーきそば。と、運転しないときはオリオンビール

じまーみー豆腐の揚げたのも美味しかったな。




家族連れがたくさんいた夕食のときのこと。

自分でもびっくりしたんですけど

うちの息子たちが幼かった頃を彷彿とさせる親子がいて・・・・


1歳くらいの子を抱いたママと、ママのTシャツの裾を握って立っている

三歳くらいの男の子。

こちらを見ているその子のまなざしが、昔の息子に思えて

一瞬にして

ぽろぽろ~~~っと涙が出てきてしまった汗

自分でも参った参った。

ときどき感傷的になってしまうんだな。





その翌日、昨年、御嶽から見て、行けるんだろうか?

ってと思った久高島へ渡ってみました。

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自転車で一周一時間もあれば回れる

小さくて、美しくて、のんびりしていて、何もなくて

とても神聖な島です。

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星の砂をみつけることができました。

わかる?



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ハイビスカスが、空に向かい野性的に咲いています。




そんな素晴らしい旅が終わり、

帰りの那覇空港で、事件!が起きました。

久高島で、暑い中自転車漕ぎまくったせいか、

どうも気分が悪くなった私が

空港のどこかで、(多分トイレだと思うんだけど

アイフォンを紛失したのです!

気が付いて探したのだけど見つからず

インフォメーションに問い合わせたけど届いておらず


そうして、大切な大切な、思い出深いアイフォンを沖縄に置いて

後ろ髪をひかれるようにして飛行機に乗り込んだのでした。(ノ_-。)


 機内での落ち込み様と言ったら



意外と、なんとなく戻ってきてくれるような気がしたりして

とにかく沖縄は素敵だったと思いながら

でもやっぱりちょっと凹み





ところが到着して、羽田でバスを待っていたとき、夫の電話が鳴り

那覇空港の受付からで、

私のアイフォンが見つかったという嬉しい知らせ!。






あとで聞くと

夫も、少し前にスマホ失くして、届けてもらったことがあったらしく

しかも酔っぱらって。

空港や飛行機の中で、意外と

夫が私を気遣ってくれたように思えたのはそのせいだった。


というわけで

見つかったんです。


  失くした I   フォンが。

  


ありがとう沖縄。 


また地道に日々がんばろう。


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ご心配をおかけしましたが、椎間板ヘルニアと診断を受けたハッピー、

ほとんどもとの生活を取り戻しました。

ちょっと飛び上がるのが苦手になったくらいかな。よかった。(≧∇≦)Daberiba-IMG_5379.jpg ベーグル用ざぶとんが、こんなかんじに使っても寝心地がいいことに気が付いたようです。(笑



梅雨に入ってからは
わたしのほうが持病の頚椎がつらくて、整骨院にお世話になってしまってます。

二回目だったかな、電気治療のさなかにまるで麻酔打たれたかのように眠ってしまい

気がついたらすべてが終わっていて、マッサージされた記憶が全くなくて…

ほんっとになくて、「あのー…」と、聞いたら!(O_O)
先生も助手の方も受付の人もきょとーん!?

恥ずかしくて逃げるように帰りました。

大丈夫かしら私。^_^;

うちの家族、ミニチュアダックスのはっちゃん(正式にはハッピー)のこと。
昨晩、きゅーん、きゅーん、と、やけに悲しげな鳴き声に気がつきまして、
夜中の三時のことです。
どうした?
喉乾いた?いや、水はある。
おなか減った?そんなはずはないよ。
寂しいのかい?
はいはい おいで。

あ。
と、そこで歩き方がおかしいことに気がつきました。
動けるけど、いつもより遅い。
右かと思えば左を、よくわからない!ともかく庇っている。オットセイみたいに後脚をずるっとしたりするときもでてきた。
かと思えばうろうろ歩きまわる。何なんだ。

はっちゃんは夫のすぐそばで寝ていたので、乗っかられちゃったんだろか。と、私は思いました。
明日診てもらわなきゃ。夢ならいいけどななんて思いながら

そうこうしながらいつのまにか、はっちゃんも私も眠ったのです。

朝、やっぱり動きがいつもと違っているので、やっぱり病院へ行くことに。
するとマンションの通路は普通に歩けてるではありませんか?かまって欲しくて仮病?
ますますんからなくなりました。

しかし。病院で結局、、、
「椎間板ヘルニアですね。麻痺が始まってます。」(O_O)
と、言われてしまいました。
注射しました。
明日も明後日も、来るように言われました。

よくなりますように(u_u)


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ベーグルみたいでしょ。




風が凄くて、外に出るのが怖いくらいです。
明日は小学校の卒業式だけど、収まってくれるのかな…
もともと、黄砂が苦手で、その予報より早いくらいに喉が痛くなる体質なうえに、去年から花粉症になってしまいました。
そんな私ではありますが、それでも春がくるということは嬉しいです。必ず春は来るという、桜は咲くというそれだけの事実が、嬉しいです。
そんな気持ちを込めまして、こんなパネルを作りました。 Daberiba-IMG_3549.jpg
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校庭の桜。明日の卒業式に残っているかなあ… Daberiba-IMG_2057.jpg
明けましたね。今年もよろしくお願いします。m(__)m

実は昨日、告別式に参列してまいりました。
私の人生に、大きな影響を与えた大切な…中学時代の恩師 が、病で亡くなったのです。
六十一歳。まだ早いですよね。


始めて会った、中学の入学式。赤いチェックのギャザースカートを翻し、颯爽と現れた若い女先生。
ところが!体育大出身、部活の顧問で担任で、厳しいのなんのって。
だもんで、ま、縁のあった生徒は、
ほんとに、もう、文武どころか掃除でも係でも一切手抜きは許されない。ガンバらされた?んです。汗と涙と筋肉痛なしには語れない。

今更気付いて、同級生一同驚いたことがありました。あのときの先生は、短大卒だったのでまだ22、3歳。今のうちの息子と同じ歳!?
多分、先生だって職員室でも、家庭でも、辛いことも多かったはずだと今ならわかります。

離れて自由になって、あの厳しさは何だったんだ?と、疑問を感じたりもしたけど、それからさらに年を重ねて見える大切なこと…愛なしでできない厳しさ。勇気、美意識みたいなこと…

昨日、
かつての暴れ男子も、実は大きな悲しみを抱えていた子も、いいおじさんおばさんになって、そして、制服姿の現高校生まで、私を含む多くの教え子が、それぞれの涙をためて先生を見送りました。
会場は大きな感謝の思いで包まれていたように思います。

そして三時間かけて帰宅。
香典返しに挟まっていた施主の挨拶状をなにげなく見たとき、はっとしました。
「やさしい、愛情あふれる妻でした…」とあったのです。

先生は、あの静かなご主人にとって、ただ一人のやさしい奥さんだった。
また違う涙がこみあげきてしまったのでした。

近づくこと、できるかなあ。