あの子の街(クラブセブン)10 | えみゆきのブログ

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涼風真世さんのファンです。
パロディ小説を書いています

「あっ、桜だ」

ある日、パックは土台だけ残された家の跡地で、一本の樹に気付きました。ピンク色の花がたくさんついています。ここは津波が押し寄せた所なのに。



「生きていたんだ!木は、桜の木は津波に負けなかったんだ!」

あの子が大好きな桜。そうです。この街にも春の盛りが来ているのです。

小さい時、あの子が春になると行っていた山の公園をパックは見上げました。


「咲いている。同じように咲いている」



パックは、公園に急ぎました。



ここだけは震災の前のようです。桜も変わらず咲いています。公園にはたくさんの人たちがいました。音楽も流れています。

よくみると、簡単な舞台があって、数人の男女が歌って踊っていました。

舞台のそでに「青空すずめ一座春の公演」と書いたものがあるでは、ありませんか。

すずめさんだ!

パックは前に出て行きました。こんな時、見えないのはいいものです。



舞台は、たくさんの歌を次々と、歌っていきます。

観客席は盛り上がっています。大きな声で笑っています。

スピーカーは小さく、セットもほとんどありません。衣装だって、白いシャツか黒いTシャツに黒いズボンだけ。



「そうか。セットも衣装も津波で流されたんだった」

役者さんも8人だけ。後の人たちは震災直後に帰ったのです。この人数で避難所のお世話をしていたのです。



ちょっと、悲しくなったパックでしたが、人々はそんなことに構わず、とても楽しそう。シンプルな舞台でも、8人しか出演者がいなくても、いろんな味付けで歌われていくのですから。

すずめさんも、高校生になったり男性になったりして、喝采を受けていました。



そしていよいよ、最後です。

前奏が流れ、歌手が登場してきました。

金糸銀糸に緋色の鮮やかな着物・・・。いえいえ。それはガウンのような大きなポンチョのような変わったドレス!それをすずめさんは、堂々と着こなしています。

そしてすずめさんの頭のおダンゴには、満開の桜の枝がカンザシのようにさしてありました。



「オー」人々のどよめきが、起こりました。

なんてきれいなんだろう。

ずっとずっと、灰色や茶色の世界だったこの街。きれいなもの、美しいものが壊され、汚され、流されたこの街。

人々は、まぶしそうに目を細め、そしてむさぼるように、すずめさんを見つめます。

美しい物は心を豊かにする。

パックは、そう思いました。



でも、衣装だけではありませんでした。

すずめさんが歌い始めると、会場中がシーンと静かになりました。

声が響き渡ります。小さなスピーカーなのに公園中に、いえ下の街にも届きそう。

すずめさんは、桜の歌を歌いました。

この時期に、この街の人がよく歌っていた桜の歌を。

「さくら、さくら、弥生の空に~♪」

手拍子が起こります。しかし、ほとんどの人は笑っていません。真剣な顔で聞き惚れています。

そうです。この歌声をじっくりと聞いていたいと思うのです。中には涙ぐんでいる人もいます。



「花吹雪~♪」

すずめさんが歌いあげます。その時、一陣の風が吹き桜の花びらが落ちてきました。すずめさんに降り注ぎます。

白い肌に、桜の髪飾りに、赤いドレスに、ピンクの花びらが舞っています。

まるでまるで桜の樹の化身のようです。



歌が終わっても、しばらく誰も身動きしませんでした。心を揺さぶられで動けないのです。

すずめさんが小さな声で「ありがとうございました」とつぶやき、頭を下げてもなお、ひとびとは「ほー」と息を吐くだけでした。



しかし、次の瞬間、山にこだましているかのような大きな拍手が起こりました。力いっぱい手を叩いています。

すずめさんは、笑顔でした。最初に会った時と比べて、ずいぶん痩せたようでしたが明るい笑顔でした。



そして最後の挨拶が始まりました。

「この街で、私は役者として成長できました。いつも、この街は私を愛してくれました。今度は・・・、私がこの街を愛していきます」



愛する・・・。「力になりたい」「支援したい」「応援します」そんなたくさんの言葉はいらない。・・・愛していたら。

もしかして・・・、すずめさんは樹なのかもしれない。ずっと、世界を見続けている大きな樹。

災害が起こり、悲しむ人たち。でもまた、起き上る人々。そんな人間を見守ってきた大きな桜の樹なのかも。

すずめさんは、言い終わると静かに舞台を降りました。

代わりに男の役者さんが、上がって来て、一座がこの地を引きあげること告げました。すずめさんが面倒をみていた避難所は、もっと大きな避難所に移ることになったのです。

この舞台は、すずめ一座のこの街でのたった1回の公演でした。



それにしても、この衣装はどうしたのでしょう。東京から取り寄せたのでしょうか。

口々に感想を言いながら帰る観客たちを、横目に見ながら、パックはすずめさんを探しました。



すずめさんは公園の一番奥の桜の下にいました。

男のひとが一緒です。

「ありがとう、ございました。桜も喜んでいると思います」

「いいえ、こちらこそ、この振りそでを頂いて、ありがとんございますねえ」

すずめさんが、両手を広げると衣装の鮮やかさが一層、鮮明になります。

「あの泥だらけで破れていた着物が・・・。これを見つけた時は、もう捨てるしかないと思ったけど・・・。桜の思い出まで捨ててしまうようで・・・。すずめさんに貰ってもらって、あの子も喜んでいると思います」

「洗ってみたら、とても綺麗でね。桜ちゃんも似会ったことでしょう」

どうやら、衣装は男の人の娘さん、桜さんという人の着物だったようです。



「それはそれは綺麗でした。婚礼のお色直しにと作った着ものです。一度、私に着て見せてくれて・・・」

男の人は声を詰まらせて、すずめさんをにらみました。

「私は・・・、私は悔しい!なんで、桜が、あの子が死ななくちゃいけなかったんだ。なんで、私が生きていなけりゃいけないんだ!」

すずめさんは黙って、男の人の手を握りました。その手は震えていました。



そして、パックに聞こえてきたのです。今度は、黒い歌が。

怒りの歌は、すずめさんたちを包んで街の方まで流れて行きました。

風に吹かれた桜の花びらと共に、男の人の怒りも連れて。



パックはすずめさんと話したいと思いましたが、泣き始めた男の人に寄り添うすずめさんに声はかけられませんでした。

「明日、また来る」

パックのつぶやきに、すずめさんはうなづいたようにみえました。続く