自分探し | いまのしゅんかん

自分探し

今日から娘は北ドイツにクラスの2泊ツアーに行った。シュレースヴィにあるデンマークのスカウト用ヒュッテに泊まるようである。北ドイツは城もあるし、国境がらみで歴史的な場所なので、みるところは結構ありそうだが、ほかのクラスの行先をみても、修学旅行というよりは、親睦を深めるためのお泊りツアーっぽい。どこの高校でもこの手のツアーはあるらしく、同僚の娘さんは入学早々に行ってきたらしい。ちなみに、うちの大学でもあり、9月に入学した新入生たちが仮装して大型バスに乗っていく光景はもはや風物詩になっている。

今朝は早朝の商談ミーティングがあったので先に家を出たら、職場に娘から電話がかかってきてパスポートのありかについて聞かれ、常に携帯しているのであわてて家に戻りパスポートとブルーカードを渡した。ついつい近くに小旅行に行く感覚でパスポートのことはすっかり忘れていたわたしである。

商談には遅れてしまったが、おかげでわたしたちのプレゼンに興味を示してくれ、小さな仕事をいただけることになった。たった一日半の仕事だけど、これでもっと大きなプロジェクトをもらえたら、、と思うがどうなることか。

 

昨日は、聖書の会に参加し、そのあと友達宅に訪れ、ずっとお話ししたいと思っていた、シングルマザーの大先輩である家主さんと3人でじっくり語り合い、ずしんと来る日曜日になった。

 

聖書の会で、「義」について話し、わたしたちが普通に考える「義」や「正義」とは異なり、キリスト教で「義」は、行動ではなく、信仰することであると聞き、わたしは信仰どころか、そもそも何においても「信じる」ことができていないのかもしれない、、とひとりもんもんと考えたのである。

そしてそのあとの大先輩のことばだけに、ぐっさりくるものがあった。

その方に、「これから自分探しをしないとね。」と言われたのである。

彼女も、2人のお子さんがいずれも18歳で家を出て行き、下の息子さんが出て一人になったときに、どーーんときたらしい。幸い仕事が忙しく勉強もしなければならなかったのでだいぶまぎれたが、上の息子さんが結婚されたときには腑抜け状態になったそうである。

でも、だからといっていつまでも子供にしがみついてはいけない、自分をしっかりもたなくては、と奮い立たせ、20年間の一人暮らしの中でやりがいもみつけ、今やいろんな活動で生き生きと過ごされているようだった。

そんな方の一言だけに、とても納得させられたのである。

 

わたしは、やりたいことをみつけるのはそれほど難しくないし、何かにのめりこんで楽しむことは簡単にできると思う。

いろんなものに興味をもつし、つい最近にもひょんなことでみつけたアトリエから声がかかって、月イチの集まりに参加してみようかな~と思ったりしている。 

楽しみなことは結構あるのに、それでもわたしはグラグラしている。

なんとなく満たされない感じ。不満があるとかではなく、単に自分をしっかりもっていないのだと思う。

そもそも、娘が親離れしていくのにさみしいと思うのも、まだまだわたしは娘に必要とされていたいと思っているからだろうし。必要とされることで自分の存在意義を見出したいというべきか。面倒くさいと思いながら、バレーボールの集まりに行った娘を迎えにいこうとしたら、「友達のお父さんに一緒にピックアップしてもらうから来なくていい。」と言われて悲しくなったり。大先輩も、息子さんに迎えにきてと甘えられたときには喜び勇んで迎えにいったというが、わたしも間違いなくそうなるであろう。

でも、本当は自分で自分の価値を見出すべきで、娘をアテにしてはいけない。だから、おっしゃるとおり、わたしは「自分探し」が必要なのだと思う。

43歳で今更だけど、あと56年もすれば娘は家を出て行くだろうし、そのころちょうど更年期がくるだろうし、苦しみのビッグウェーブが来る前に備えるべきかもしれない。

そもそも苦しみは自分の内部からくると思っている。

それだけに、楽しいことをすることで問題は解決されないことをわかっているから、ますますどうすればいいのかわからずにいる。でも、昨日みたいにひとと話せるのはありがたいことだと思った。