PhDガールズとの邂逅 | いまのしゅんかん

PhDガールズとの邂逅

昨日、一緒にスイスにも旅行した学科で仲良くなったPhDガールズとの集まりに参加した。

ホストだった子は、12月に出産を控えている子で、わたしともうひとり以外は全員子連れで来たのだった。

奇しくも、一人去年の10月に第二子を出産、また7月にやはり第二子を出産したばかりの子もいて、この小さな集まりの中でもにわかにベビーブームなのである。

なので、自ずと出産の話で盛り上がったが、経産婦とはいえ、出産が17年近く前になるわたしにとっては蚊帳の外であった。ましてや、わたし以外は全員デンマークで出産しているので、事情に疎いわたしは話についていけなかった。(ちなみに、「陣痛」も「いきむ」も、英語もデンマーク語も知らなかった。改めて学んだ。。)

7月に出産した子は、予定日から2週間近くたっても産気づかなかったので、病院で陣痛促進剤を打ってもらったものの、2時間何も起きなかったので、病院から歩いて街に出たところ破水をしてしまい、歩くたびに水がじょぼじょぼ出てくるので、とまりとまり病院に戻ってきたそうだ。第一子のときは24時間かかったが、今回は数時間のスピード出産だったそうである。

去年の10月に出産した子は、第一子のときは48時間、第二子のときは24時間と、いずれも難産だったそうだ。

わたしが、「まさかずっとあの痛みが続いたわけではないよね?」と聞いたら、「鎮痛剤うってもらったから。」と言われ、ひぇーー、デンマークはそれもありなんだ、、と驚いた。でも、あの痛みがまる二日続いたら、それこそ母体も危なくなるであろう。わたしなんか、たった2時間でも七転八倒で死ぬかと思ったのに。

ちなみに、鎮痛剤をうてるのは、子宮口8cmまでだそうである。

妊娠している子がビクビクしていたが、結局、「まぁ全員違うお産ストーリーがあるからね。」ということばで落ち着いた。

わたしは、つわりもほとんどなかったし、お産も入院して4時間半後に出産と比較的軽いものであったが、産後うつがひどく、わたし以上にひどい子をみたことがないほど。やっぱりひとそれぞれなんだと思う。

 

小さい子をたくさんみて、なつかしいな、、、と思った。

娘もうっとうしいくらいまとわりついていたのに、今や全然遊んでくれなくなった。

高校に入ってますます外での交際費がかかるようになり、わたしはまさにその金づるとして機能しているにすぎないという感じである。

しかし、娘自身ももっと自由になるお金がほしいと、日本から帰ってきてからアルバイト探しをはじめ、2か所にCVをもっていったが、ウンともスンともいってこなかったので、地元のショッピングセンターにもっていったところ、すぐに面接によばれ、今日返事がきてめでたく仕事をゲットしたそうだ。なんでもパン屋の手伝いとレジ打ちの仕事だとのこと。

3回バレーボールの練習があるので金曜日と第四日曜日に仕事することになったが、たまに泊りがけのバレーボールの大会が週末にあるので、毎回行ける確信はないという。しかも、今も宿題が結構あるが、高校2年生になるとますます勉強がハードになるのでアルバイトはほぼ無理だろうとのこと。

それでも、1年間だけであっても経済的に自立することを学んでくれれば、、と思う。

 

それと、彼女らと盛り上がったのがやはり仕事の話。

同じ学科の元PhDの非デンマーク人何人かが今仕事探しをしているがいずれも難航中という。

ユランだと、デンマーク語が話せなくてもエンジニア不足なので比較的容易ではあるが、コペン周辺となるとデンマーク語が話せないことがかなりのネックになるという。

まぁ、それだけが問題とは思えないが、、、。デンマークでは、会社は応募者の中から選ぶというよりは、本当にマッチするひとしかとらないから、それが難しいのだと思う。

 

それにしても、、みんなに会ったころはほとんど独身生活を謳歌していたのに、今やほとんど人妻で子持ちになって、ワーキングママとしてバリバリやっているなんて、、と思った。

前は時間を気にせず仕事できたが、今はいかに時間内で効率よく成果を出せるかに注力しているという。

わたしはむしろ今、キリがいいところまで終わらせたいと気軽に残業している。