コミュニケーション文化ギャップ | いまのしゅんかん

コミュニケーション文化ギャップ

昨日は、夕方に新しくできた友達のところに少しだけお茶をしにいき、夜は半年以上ご無沙汰していた友達を我が家に初めて招待して一緒に夕飯を食べた。

いずれもデンマーク語でのヒュゲだったけれど、最近は意識してしゃべる機会をもうけるようにしてきたおかげか、勘が戻ってきたような気がする。 

夕方遊びにいった友達は、外国人だけれどデンマークで長いことデンマーク企業で会社員をやっている上デンマーク人のだんなさんがいるおかげなのか、とても流暢なデンマーク語を話す。

このわたしでも、前夫と暮らしていたときは彼女ほどではないにせよ、もっと話せていたような気がする。去年の2月に別居してからみるみるまにデンマーク語能力は落ちて行った。まぁ、娘関係のからみも激減したのと、バレーボールから遠ざかったのと、仕事も主にEUプロジェクトに携わっていたので英語を使う機会が多かったのと、いろんな理由があるのだが。

離婚して娘と二人暮らし、その娘にも日本語で話し家庭で使っていない以上、自らデンマーク語能力を強化する努力をしなければ、簡単に衰えてしまう。

 

夜来てくれた友達は、前夫のいとこである。

しかし、彼も前夫とはずっと連絡をとってないという。もともと携帯では連絡つきにくいひとだし、だからといって親戚づきあいを拒んでいる義父のいる実家にも電話しにくい。

なので友達のお母さん、すなわち前夫のおばも、妹である義母と長いことコンタクトをとれていなかったが、義母が1年半前だかに介護施設に入所してからはたびたび訪れるようになったという。それはよかったな、と思った。義父が義母の家族づきあいまでコントロールすることには内心憤っていたので。

で、友達がずっとご無沙汰していたのは、サマーハウスのプロジェクトで忙しかったからだという。

今年2月に遊びに行ったときもそんな話を聞いていたが、昨日初めてその理由を知った。

なんと、去年の12月の嵐で、強い風が近くの海からの水を内陸に運び、サマーハウスのある地域一帯が大洪水になったとのこと。床上50cmくらい水がつかっていたそうである。その結果、床と壁が痛んでしまい、総取り換えすることにしたと。業者に頼むと出費がすごいことになるため、経験豊富な知人と二人で大がかりのリノベーションに取り組むことになり、9か月たった今もその最中だそうで、終わるのは来年になるとのこと。

写真をみせてもらい、本当に壁もなくなっているのをみて、床はともかく壁も替えるなんてすごいね、というと、サマーハウスは木とギプスでできているので、素人でもやり方さえ知っていれば自力で壊すことができるらしい。さすがに本当の家はもっと頑丈な煉瓦とかでできているから、プロじゃないとできないが。いやいや、それでも自力でやるとはすごいと思ったが。来月好奇心がてら、その大工作業を見学しにいくことを約束した。

また彼は、同じ大学で研究員として働いているが、やはりプロジェクトあっての雇用なのでいつも綱渡りという話をした。それでも、今のプロジェクトが12月で終わるけれど、運良く来年から始まる大きなプロジェクトがあたったので首はつながったと。なんと総額2億円5年の大プロジェクトらしい。5年もあれば、次のプロジェクトのアプライをする時間もたっぷりあるし、かなり安泰である。彼も今までそういってギリギリのところで渡り歩いてきて、わたしもそうしてきたのだが、この12月で本当に本当にヤバイ状況になりつつある。それでも、やれることをやるしかないのだが。

そんなこんなで楽しいひとときだった。

 

今日はデンマーク語クラスで、パソコンも持ち込んでプロジェクターも使ってプレゼンの練習をした。11月に予定している、娘のクラスの会社訪問のときにプレゼンする会社紹介である。

パワーポイントでスライドを作るだけ作って、具体的にどう話すのかまったく決めていなかったこともあり、最初からぼそぼそとした話し方をしたら、即座に、

「もっと空気をふきこむというか、エネルギーを放出するような話し方をしてくれる?」

というつっこみを受けた。

ああ、そうだな、わたしは言語能力うんぬんの前に、こういう自信なさげな話し方そのものに問題があるんだ、と思った。

先生いわく、不安なら、話す文章なり、キーワードなりどこかに書きとめておき、練習をたくさんする。また、もっと大きな声ではっきりゆっくり話すことがポイントであると。

 

それに、デンマーク方式だと、プレゼンの最中に質問やコメントが挙がることが普通だから、聞いている側もプレゼンに参加できるような余地を与えるのも大切と言われた。

確かに、わたしは一方的なコミュニケーションではなく、対話できるような双方のコミュニケーションも歓迎ですよというオープンな姿勢をみせるべきかもしれない、と思った。

思ったのは、わたしはただ会社についてわかりやすく説明しようと考えていたけれど、相手は難しいティーンネージャー。そういう手ごわい相手を引き込むような、カジュアルな問いかけで進めてみてもいいかもしれない、と。

例えば、

「ここは、大学ですけど、わたしは大学で働いていません。会社員です。会社はどこにあると思いますか?」

「なぜ会社が大学にあると思いますか?」

「大学には何があると思いますか?」

というような感じで、相手に考えさせるような進め方も面白いかな、と。

次回もプレゼンの練習を中心にやることになったので、同じプレゼンを大幅に変えてやってみようかと考えている。

 

学校から帰る途中、ある日本人の友達から電話がかかってきた。

彼女は看護師になるための学校に、ほかのデンマーク人と同じように0の状態から入学して3年間教育を受けてきて、卒業も間近かというこのときにモジュールテストを落ちてしまったという。

テストは模擬カンフェレンスで、ある症例を挙げ、13人でのディスカッションの仕切りをやらされたそうだが、自分で意見をいうのはともかく、ほかのひとの意見をまとめあげるのは不十分で合格させてもらえなかったと。

わたしなんかわたしなんか、大勢でのディスカッションで意見を言うこともできないというのに、仕切りなんてできるわけがない。そこまで求められるなんて、看護師になる道って相当厳しいのだな、と思った。

彼女とつくづく言い合ったのは、言語そのものよりも、コミュニケーション文化の違いの壁が大きいよね、と。

一般的に日本人は大勢でのディスカッション自体を苦手とすると思う。ミーティングもシナリオができていたりするし、話し合いよりも文章でのコミュニケーションを多用するし、ディスカッションもマンツーマンが多いような気がする。

少なくともわたしは今でも苦手である。

だからプレゼンも一方的になりがちなのである。大勢との対話が苦手だから。

本当にわたしたちは、今その大きなカルチャーギャップに立ち向かっているところなんだな、、と思った。