昨日は、坂の上の雲最終回ということで、最終回にあわせて浅草Amuseミュージアムで行われた「坂の上の明治TERAKOYA」に参加してきました。
三年がかり、三部構成で、明治中期から後期における幕末からひとつの国として統一された日本という国が、伊予松山で生まれ育った三人の人物、秋山好古、秋山真之、正岡子規らが、どのようにしてこの時代を生き、日清、日露戦争といった出来事に携わっていくか、を司馬遼太郎先生が書かれた「坂の上の雲」をもとに、映像化された作品です。
まず、坂の上の雲最終回前に行われた、坂の上の明治TERAKOYAのレポを。
オープニングからスタート。
TERAKOYAでは、坂の上の雲の時代、日清日露戦争前の時代、つまりは江戸後期、幕末と言われる時代からどのようにして明治に至り、明治という世の中で、どのようにして日露戦争までの背景を、少し変わった目線から勉強しました。
NHK大河ドラマ龍馬伝によって描かれた幕末。その幕末の時代、薩長同盟後、一気に倒幕ムードが高まり、江戸時代が終わり、明治という世の中に。
土佐藩はというと、板垣退助、後藤象二郎の二人は健在ながらも、坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎亡き後、勢いは減速。
明治初期、坂の上の雲に至るまで、3つのステップがありました。
1つめが、「廃藩置県」
、、、もとい、「乱と民権運動」
廃藩置県は、その時の通り、藩から県に代わり、大名を廃止し、中央から新たな県知事を配置するという形で、武士の世を廃止するというもの。
また、新たに戦を起こすなどをして、元々、旧武士の鬱屈の吐きどころのひとつとして武力により朝鮮を日本の属国にする考えが広まっていきます、それが「征韓論」。
強国ロシアと対峙していくにあたり、西洋諸国との差を縮めるために、4世紀の差を埋めるため、富国強兵を進めていく日本をやり遂げなければならないと、岩倉使節団に参加した面々は感じ、日本国内にとどまっていた西郷、板垣らをはじめとする「征韓論」派を押さえつけます。
今まで薩摩藩の2トップであり、幼馴染である西郷、大久保両名はここにきて亀裂が生じ、薩摩藩が2つに割れ、薩摩藩の勢いがなくなっていくと同時に、肥前佐賀の江藤は薩長の勢いを止めにかかります。
つづいて、坂の上の雲 最終回の感想を。
最終回、いつものオープニングの渡辺謙さんのナレーションとはひと味違って、「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている」といった直後に、日本連合艦隊へ。
前回ラストシーンだったとこまでさかのぼり、東郷平八郎の右手が上がった状態からの左への切り返し。
「と~りか~じ、いっぱい!」と伊地知彦次郎(ダンカン)が叫ぶところで「坂の上の雲」の題字。
そして東郷ターンのあとのロシア艦隊側なの黄金の10分間。
旗艦三笠をはじめ、日本艦隊は撃たれ放題。
この時ほど日本側は生きた心地しなかっただろうなと、指揮官らはどういう思いであの時間を過ごしたろうか、長い長い10分だったんだろうなと。
その10分が終わり、日本艦隊の反撃へ。
「天気晴朗ナレトモ浪高シ」
秋山真之が、このわずかな文字に秘めた内容。
当時、モールス信号でのやりとりだったため、いかに短く伝えるか、というところにセンスが必要とされたわけだが、俳句の祖となった正岡子規をはじめとする仲間たちと共に学生時代に学んだことが活かされたんだろうなと。
今でいうTwitterかな?
決められた文字数の中でいかに要点よくまとめるか。
秋山真之は今の時代に生きていても、twitterでのつぶやきがうまいのかなーって思ったりw
三年がかり、三部構成で、明治中期から後期における幕末からひとつの国として統一された日本という国が、伊予松山で生まれ育った三人の人物、秋山好古、秋山真之、正岡子規らが、どのようにしてこの時代を生き、日清、日露戦争といった出来事に携わっていくか、を司馬遼太郎先生が書かれた「坂の上の雲」をもとに、映像化された作品です。
まず、坂の上の雲最終回前に行われた、坂の上の明治TERAKOYAのレポを。
オープニングからスタート。
TERAKOYAでは、坂の上の雲の時代、日清日露戦争前の時代、つまりは江戸後期、幕末と言われる時代からどのようにして明治に至り、明治という世の中で、どのようにして日露戦争までの背景を、少し変わった目線から勉強しました。
NHK大河ドラマ龍馬伝によって描かれた幕末。その幕末の時代、薩長同盟後、一気に倒幕ムードが高まり、江戸時代が終わり、明治という世の中に。
土佐藩はというと、板垣退助、後藤象二郎の二人は健在ながらも、坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎亡き後、勢いは減速。
その中で、今回フィーチャーしたのが肥前佐賀。
明治初期、坂の上の雲に至るまで、3つのステップがありました。
1つめが、「廃藩置県」
、、、もとい、「乱と民権運動」
廃藩置県は、その時の通り、藩から県に代わり、大名を廃止し、中央から新たな県知事を配置するという形で、武士の世を廃止するというもの。
また、新たに戦を起こすなどをして、元々、旧武士の鬱屈の吐きどころのひとつとして武力により朝鮮を日本の属国にする考えが広まっていきます、それが「征韓論」。
坂の上の雲 第5回「留学生」にて、子規と真之との会話でもこれらに関する内容が語られています 。
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子規「日本人はな、猿真似の民族と言われておるが、外国に行っても卑屈になってはいかんぞな。西洋とても模倣を繰り返して、ようやく猿真似が終わったとこじゃ。イギリスもフランスもドイツもロシアも真似しあい盗みおうて文明を作り上げた。西洋は15世紀にそれをやって日本は19世紀にそれをやったゆうじゃけの違いじゃ。
アメリカはそういう連中の吹き溜まりじゃ。そうやって飲んでかかればええ。
猿真似のどこが悪い。日本人がいかに優れた吸収力と消化力を持っとるか、あしらは十分誇ってええんじゃ。日本には大きくて深い皿がある。そこに乗っかるものがいろいろあるゆうんが日本の面白さよ。
そういう国を滅ぼしてはならん。
ほうじゃ。国が滅びるゆうことは文化が滅びるゆうことじゃ。淳さん、わしはどんだけ生きられるか分からん。じゃが、わしが死ぬ前にやり遂げようとすることを無駄にならんようにしておくれ。」
真之「よし。引き受けた。」------------------------------------------
強国ロシアと対峙していくにあたり、西洋諸国との差を縮めるために、4世紀の差を埋めるため、富国強兵を進めていく日本をやり遂げなければならないと、岩倉使節団に参加した面々は感じ、日本国内にとどまっていた西郷、板垣らをはじめとする「征韓論」派を押さえつけます。
今まで薩摩藩の2トップであり、幼馴染である西郷、大久保両名はここにきて亀裂が生じ、薩摩藩が2つに割れ、薩摩藩の勢いがなくなっていくと同時に、肥前佐賀の江藤は薩長の勢いを止めにかかります。
これらの乱により、この4年で薩長肥の主要人物は死ぬこととなり。
その明治の世の中で、明治陸軍に2人の諸葛孔明が存在していました。
1人が「田村怡与造」
1人が「田村怡与造」
彼に対ロシアの作戦を任せるも、対露開戦半年前に死去するという事態がおき、落胆する明治陸軍に対し、降臨したもう1人の諸葛孔明。
それが「児玉源太郎」。坂の上の雲では、高橋英樹さんが演じ、大山巌の下で日露戦争の陣頭指揮を執ります。
また、彼は台湾総督としても有名で、東日本大震災が起きた際に、台湾ほどの寄付を募ってくれた国はなく、台湾は親日として有名ですが、その台湾がなぜ親日となったか、というのもこの児玉源太郎が台湾総督の時に柔和政策により統治したことが一つの大きな要因であると考えられます。
そんなわけで、日露戦争に挑み、彼はその10ヵ月後に死ぬこととなるわけで、総理大臣にあることはありませんでした。
坂の上の雲を見て、そして明治時代を知り、そこから、我々平成の日本人は多くのことを学ぶべきではないだろうか。
明治という時代に、今を生きるヒントがあるのではないかと思いました。
それが「児玉源太郎」。坂の上の雲では、高橋英樹さんが演じ、大山巌の下で日露戦争の陣頭指揮を執ります。
また、彼は台湾総督としても有名で、東日本大震災が起きた際に、台湾ほどの寄付を募ってくれた国はなく、台湾は親日として有名ですが、その台湾がなぜ親日となったか、というのもこの児玉源太郎が台湾総督の時に柔和政策により統治したことが一つの大きな要因であると考えられます。
そんなわけで、日露戦争に挑み、彼はその10ヵ月後に死ぬこととなるわけで、総理大臣にあることはありませんでした。
坂の上の雲を見て、そして明治時代を知り、そこから、我々平成の日本人は多くのことを学ぶべきではないだろうか。
明治という時代に、今を生きるヒントがあるのではないかと思いました。
つづいて、坂の上の雲 最終回の感想を。
最終回、いつものオープニングの渡辺謙さんのナレーションとはひと味違って、「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている」といった直後に、日本連合艦隊へ。
前回ラストシーンだったとこまでさかのぼり、東郷平八郎の右手が上がった状態からの左への切り返し。
「と~りか~じ、いっぱい!」と伊地知彦次郎(ダンカン)が叫ぶところで「坂の上の雲」の題字。
そして東郷ターンのあとのロシア艦隊側なの黄金の10分間。
旗艦三笠をはじめ、日本艦隊は撃たれ放題。
この時ほど日本側は生きた心地しなかっただろうなと、指揮官らはどういう思いであの時間を過ごしたろうか、長い長い10分だったんだろうなと。
その10分が終わり、日本艦隊の反撃へ。
「天気晴朗ナレトモ浪高シ」
秋山真之が、このわずかな文字に秘めた内容。
当時、モールス信号でのやりとりだったため、いかに短く伝えるか、というところにセンスが必要とされたわけだが、俳句の祖となった正岡子規をはじめとする仲間たちと共に学生時代に学んだことが活かされたんだろうなと。
今でいうTwitterかな?
決められた文字数の中でいかに要点よくまとめるか。
秋山真之は今の時代に生きていても、twitterでのつぶやきがうまいのかなーって思ったりw
終始一貫、「質実剛健」という言葉通りに生きた秋山好古。それに対し、様々な人と出会い、そして子規、広瀬たちの死に直面し、葛藤し、揺れながらも成長していく秋山真之。
その葛藤の中で、真之の本音が季子の前で呟かれる。
「海軍を辞めようかと思う。死んだ人間を仰山見過ぎておる。わしはもうこれ以上人が死ぬことに耐えられん。坊さんになりたい、坊さんになって戦没者の供養せやならん。対馬の海には日本とロシアの将兵が仰山沈んでおる。わしは坊さんになって、日本人もロシア人も等しゅう供養したい」
そして、坂の上の雲エピローグ。
伊予松山で撮影された、好古と真之が釣りに出るシーン。
坂の上の雲の撮影でもラストシーンだったみたいです(オフィシャルHP参照)
その前に、千葉習志野の好古兄さんの家を訪れ、亡くなった母の貞と対面し、「母さん、アシは世の中のお役に少しは立てたんじゃろうか」と問いかける真之。
それに対して、早くして父を亡くし、父代わりとして真之を育てた好古兄さんの言葉
「淳、、お前はようやった ようやったよ」
それが答えだったのだろう。真之は結局海軍を辞めなかった。
真之が海軍省の廊下を歩いて行くシーンは坂の上の雲のクランクイン直後に行われたものみたいです、そこも感慨深いものが感じ取れます。
この3年間、坂の上の雲を追い続け、日本各地、坂の上の雲に関連する名所を回ってきました。
神奈川「戦艦三笠」
長崎「練習艦比叡」
その葛藤の中で、真之の本音が季子の前で呟かれる。
「海軍を辞めようかと思う。死んだ人間を仰山見過ぎておる。わしはもうこれ以上人が死ぬことに耐えられん。坊さんになりたい、坊さんになって戦没者の供養せやならん。対馬の海には日本とロシアの将兵が仰山沈んでおる。わしは坊さんになって、日本人もロシア人も等しゅう供養したい」
そして、坂の上の雲エピローグ。
伊予松山で撮影された、好古と真之が釣りに出るシーン。
坂の上の雲の撮影でもラストシーンだったみたいです(オフィシャルHP参照)
その前に、千葉習志野の好古兄さんの家を訪れ、亡くなった母の貞と対面し、「母さん、アシは世の中のお役に少しは立てたんじゃろうか」と問いかける真之。
それに対して、早くして父を亡くし、父代わりとして真之を育てた好古兄さんの言葉
「淳、、お前はようやった ようやったよ」
それが答えだったのだろう。真之は結局海軍を辞めなかった。
真之が海軍省の廊下を歩いて行くシーンは坂の上の雲のクランクイン直後に行われたものみたいです、そこも感慨深いものが感じ取れます。
この3年間、坂の上の雲を追い続け、日本各地、坂の上の雲に関連する名所を回ってきました。
神奈川「戦艦三笠」
長崎「練習艦比叡」
松山「秋山好古墓」
東京「乃木神社」
京都「乃木神社」
東京「東郷神社」
神奈川「児玉神社」
最後に、最終回スペシャルとして、秋山真之役の本木雅弘さん直筆の壁紙がオフィシャルサイトでダウンロード可能となってます。
この作品を見た視聴者の想いとして、またこの作品に携わった本木さんをはじめ共演者、スタッフの想いというものに対して、この一言に集約されてるのかなと思います。
「だんだん」 完//京都「乃木神社」
東京「東郷神社」
神奈川「児玉神社」
最後に、最終回スペシャルとして、秋山真之役の本木雅弘さん直筆の壁紙がオフィシャルサイトでダウンロード可能となってます。
この作品を見た視聴者の想いとして、またこの作品に携わった本木さんをはじめ共演者、スタッフの想いというものに対して、この一言に集約されてるのかなと思います。